32 青い瞳の少女と、赤い瞳の彼女。

 「いただきます」と笑顔で両手を合わせたメル。

 カーボは最初に食べた時より若干じゃっかん甘口だったが、それはそれで美味しかった。肉の切り方が雑で、スープの奥にヤツの赤い目が見えた気がしたが、気付かなかったことにしておく。


 ともかく俺たち三人は深い話をしたわけでもなく、俺やチェリーの居た世界の食べ物の話をしたりしてとどこおりなく食事を済ませた。


 制服はもう着れる状態ではなく、俺はチェリーの部屋にあるクローゼットの中から、一番男らしいシンプルな白シャツを借りた。あの薬のお陰で、とりあえず家の中を歩けるまでに回復している。


 チェリーは部屋の入口まで見送ってくれたが、別れ際に「ねぇ」と俺を引き止めた。


「どうせ寝れないんでしょ? ちゃんと話して来なさいよ。こういうのは、その日のうちに終わらせておかないと後が大変なんだから。二人で――ね?」


 そう言って、メルが泊っている二階を促してくる。


「アンタたち殺し合ったんでしょ? ほんっとお人好しなんだから。呆れちゃうわ」


 重そうな胸の下で組んだ手をひらひらと振って、チェリーは「じゃあね」と扉を閉めた。

 彼は何でもお見通しだ。

 今日という日が穏やかに終わろうとする空気にあらがう勇気を貰って、俺は意を決して階段を上った。


   ☆

 部屋へ行くとメルの姿はなかった。

 スゥと吹き込んでくる外気に目をやると、廊下の一番奥にあるバルコニーに繋がる窓が少しだけ開いていて、その向こうにメルのフワフワした頭が見えた。


「メル」


 横引きのドアを開き暗いバルコニーへ足を踏み込むと、メルは少し気不味きまずそうな表情を浮かべながら「ユースケ」と俺を呼んで迎えてくれた。

 チェリーから借りたピンク色のブラウスが大きすぎるせいで、ワンピースを着ているようだ。


 チェリーが間借りしているというこの住まいは、メルの家と同じ町にあるらしい。メインストリートからは引っ込んだ場所にあり、バルコニーからは夜の色に包まれた山や丘の風景が一望できた。

 昨日は焚火の横で夜の山を眺めていたが、今日は遮るものが何もなく、俺はメルと話すことも一瞬忘れてその広い空を仰いだ。


「すっげぇ星空」


 部屋から漏れる明かりが唯一の光だ。その暗さが星を明るすぎるくらいに引き立たせている。


「ユースケの世界からは星が見えないの?」

「いや。見えないことはないけど、地上が明るすぎて見えにくいんだよ」


 俺の例えがあまり上手くはなかったらしく、メルは足元に視線を下げて、困惑気味に首を傾げた。


「あぁ悪い。えっと、地面が光るわけじゃなくてさ、夜が暗いことを受け入れない奴が多いんだよ。明かりをいっぱいつけて、昼みたいにしてるとこが多いんだ」

「へぇ。変わってるのね」

「だよなぁ。暗くなったら寝ればいいんだよな?」

「あ、でもゼストが、あっちの夜は素晴らしいって感動してたわよ?」


 パチリと手を合わせて声を弾ませるメル。


「けど、詳しくは教えてもらえなかったの。すっごく楽しいみたいなんだけど、大人の世界の話だから、私にはダメなんですって。だから、ユースケもまだ知らないかもしれないわね」


 ゼストって奴は異世界で何を楽しんでいるんだろう。それってエロい話って事だよな?


「そうだな、知らないかもな。メルから見たら、俺はまだ子供なのか?」

「子供よ。そうじゃなきゃ遠くに行っちゃうでしょ?」

「遠く……?」


 メルの小さな右手が俺の手をぎゅうっと握り締めた。

 うつむいた彼女の表情は見えないが、突然「ごめんなさい」と吐き出した泣き声に、俺はハッとしてしゃがみこむ。


「ユースケ……あのね、えっとね」


 ひくひくと嗚咽するメル。何か言いたげに唇を動かすが、言葉がうまく続かない。


「ゆっくりでいいし、謝らなくていいから」


 フワフワの頭を抱えるように、繋がれた手とは逆の腕で彼女を抱き締めて、俺は「違うんだぞ」と彼女に伝えた。


「あの時、崖に落ちる前。俺はお前を殺そうとしてたんだ。謝らなきゃいけねぇのは、俺も同じなんだからな?」


 俺の刃を受け止めた彼女の腕の傷は、もうすっかり消えていた。心臓を突き刺された俺と一緒で、目まぐるしい回復である。


「分かってるわ」


 メルはきつく唇を噛み、涙でぐしゃぐしゃになった顔で真っすぐに俺を見つめた。


「今はもう効力が消えてしまっているみたいだけど、ユースケはクラウ様の力を預かっていたんでしょう? だから、あの時貴方が私を殺そうとした意志は、貴方のものじゃないのよ」

「どういう意味だ?」

「ユースケが蘇生して私と戦った力は、私の力と一緒なの」

「え? それは」


 メルが何を言っているのか分からなくて、俺は首を傾げた。

 俺がクラウに貰った力と、緋色の魔女の力がイコールだって言いたいのだろうか。


 緋色の魔女は炎を操っていたように見えたが、クラウに最初会った時、カーボをやっつけたのは雷だったはずだ。


「何が同じなんだ?」

「クラウ様の力は、私の力だから」


 メルは空の手を胸元でギュッと握り締め、瞳を潤ませる。


「今はもう、記憶も何も残っていないから、私が宣言できるものじゃないけど」

「記憶? って……」


 彼女がその言葉を口にする前に、ただ漠然と俺の中でひとつの答えが導き出された。

 メルはその答え合わせをするように、ゆっくりと話し出す。


「クラウ様に魔王としての力を与えたのは、私なの。アルドュリヒ=ジル=メルーシュ。それが、この国の前王だった私が、27歳まで名乗っていた名前よ」


 俺は、握り締めたメルの手を取り落としそうになって、慌てて力を込めた。

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