悪役令嬢は最愛の婚約者との婚約破棄を望む

水野沙彰

悪役令嬢は最愛の婚約者との婚約破棄を望む

「リュシエンヌ様には、人前で私を辱めようと私の言動を非難されたり、殿下とダンスをした後で嫌味を言われたり……。それに、先日には! 私を階段から突き落とそうとしましたわ! そんな女、殿下の婚約者には相応しくありません!!」


 悲劇のヒロインよろしく人々の視線を集め、はらはらと涙を流しながら私を指差している桃色のドレスの令嬢は、オデット・ラマディエ男爵令嬢だ。彼女は光が当たると独特の桃色に光る銀髪を振り乱し、夕暮れ色の瞳で私を睨んだ。

 ジョエル殿下は自分に縋り付いているオデット様を困惑の瞳で眺めている。


「あらあら、オデット様。弱い犬ほど良く鳴くと言うんですのよ?」


 私は扇で口元を隠し、ふふふと笑った。この騒ぎの当事者の一人であるはずのジョエル殿下はこの私の言葉にどう反応してくれるかしら? 考えると楽しくなる。


「リュシエンヌ、それは言い過ぎではないか」


「そうだぞ。オデット嬢が可哀想ではないか!」


 先に私に文句を言ってきたのは、殿下ではなくその取り巻きの公爵子息と騎士見習いだった。そうそう。そうでなくっちゃ。そして、殿下が決め手になるあの言葉を言うのよ!


「リュシエンヌ。お前にはがっかりだ」


 さぁ、続けて! あの台詞を! 王道ロマンス小説のヒーローの名台詞! 生で聞ける幸せったらないわ。まして、最愛の彼のものならより素晴らしい!!


「貴女との婚約を、白紙に──」







 ここは、王国の貴族の子女が通う学校、リベルタス学院だ。十三歳から十六歳までの子女は、王都にある建国より続くこの学院で、学問に励み人脈を築くのだ。


 まさに今、この学院の卒業パーティーが大広間で開かれている。国王と王妃も参加するパーティーは、学生達も制服を脱いで華やかなドレスや正装を身に纏っている。

 そんな華やかなはずの会場が、バルニエ侯爵令嬢である私、リュシエンヌが入場した瞬間、シンと静まり返った。中央には最愛の婚約者と、その取り巻きと、一人の女性の姿。参加者の皆が私と彼らを見ている。


 私の評判と言えば、金の髪に紫の瞳を持つ美しい令嬢、らしい。今日は父がオートクチュールでオーダーメイドさせてくれたお陰で、最高の悪役令嬢らしいドレスだ。華やかに薔薇の生花をあしらった深紅のドレスに、大粒のアメジストで揃えた装飾品を身に付けている私の姿は、ロマンス小説の悪役令嬢そのものだ。……それにしても、どうして悪役令嬢って大抵赤いドレスなのかしらっ! 私、赤ってあまり似合わないのよね……。

 とはいえその意匠や宝石の大きさから、バルニエ侯爵の権力が分かることが大切だ。悪役令嬢は、権力のある家の娘で、かつ誰もが憧れる男性の婚約者でなければならないのだ。

 バルニエ侯爵家はこの王国で建国以来侯爵であり続けていて、私の父は王国の宰相を務めている。王家とその血族の貴族を除けば、王国で一、二を争う有力貴族だ。権力、財産、知性、美貌──私を除いてこの王国で完璧な悪役令嬢が務められる人間など、いるはずがない。だって、子供の頃から王妃となるべく教育を受けてきたのだもの。





 元々、私がこの作戦を思い付いたのは、大好きなロマンス小説を読んでいる時の事だった。ロマンス小説では、素敵な王子様が、身分が離れていても──大抵は実は有力貴族の隠し子だったり王族だったりするのだが──真実の恋に落ち、権力を笠に着ている元々の婚約者と婚約破棄をするのだ。


 だからこそ、初めてオデット様を知った時には、素晴らしい逸材であると感服したわ。最終学年が始まった時期に転校してきた彼女は、平民に育てられながら、その美しさによって領主である男爵に養子に出されたという。しかし彼女は──他に誰も気付いていないらしいが──この国の王族の女性特有の、光が当たると独特の桃色に見える銀の髪を持っていたのだ。もしかして国王の御落胤だったりするのかしら──。

 私は、彼女こそ正にロマンス小説の主人公に相応しいと思った。そして愛する婚約者であるジョエル殿下こそが、そのヒーローに相応しいと。だって殿下は本当に素敵だもの。彼は物語のヒーローとして相応しいわ。だって、髪は輝くプラチナブロンドで、サファイアブルーの瞳なんて、本当に物語の中の王子様じゃない!

 私が悪役令嬢としての汚名を流せばきっと物語のように、ジョエル殿下は真実に愛する(であろう)令嬢であるオデットと、末永く幸せに暮らしました。めでたしめでたし──と、なるはずだ。


 とりあえず私の処遇は置いておいて、愛するジョエル殿下には幸せな結婚生活を送って欲しい。そうして私は、この夢のない現実世界で、最高のロマンス小説を完結させるのだ。







「貴女との婚約を、白紙に──……戻す訳がないだろ馬鹿かお前?!」


 私の望んだロマンス小説は、目の前でそのヒーローであるはずのジョエル殿下に壊されてしまった。殿下の取り巻きの公爵子息と騎士見習いは、目と口をぽかんと開いている。


「酷いですわ、ジョエル殿下!」


「酷いのはお前だリュシエンヌ! そんなに俺と結婚したくないのか?! そんなに嫌いか?!」


 一応王太子となるはずのジョエル殿下が、涙目で叫んでいる。まったく、威厳も何もあったものじゃない。


「何を仰っているのですか? 私達は親同士が決めた婚約者ですが、私は殿下を愛していますよ?」


「はぁ?! 何言ってんだお前! じゃあ婚約破棄する理由なんてないだろ!」


 既にオデット様は蚊帳の外だ。あぁ、私のロマンス小説の素敵ヒロイン。誰か気付いてあげて。……気付かないのね、じゃあ、私が主役に戻してあげるわ。


「ですがさっきの断罪イベントは──私のこれまでの罪が白日の下に……」


 私の言葉に、殿下は呆れ顔だ。あ、今溜息ついたな?酷い、リュシエンヌ傷付くわー。


「断罪イベント? ってオデット嬢が言ってたやつか。……あんなの勝手に言ってるだけだろう。大体突き落とそうとしたのお前じゃないだろ?普通にいい迷惑だ」


 う。痛いところを突いてくる。


「なんでそんなことが分かりますの?!」


「あのなぁ……その事件が起きたとき、お前は俺と一緒に食堂にいただろうが!!」


 殿下の絶叫で、周囲の人々がこれは只の痴話喧嘩であると判断したのか、問題が何もなかったかのようにパーティーが再開された。殿下の取り巻きの騎士見習いの背後に隠れているつもりのオデット様は、顔を真っ赤にさせてプルプルと震えている。




「殿下、酷いですわよ? 女の子にこんなに恥をかかせて」


 手でオデット様を示すと、オデット様は小動物のようにぴゃっと跳び上がった。


「いやいや、そもそも先にお前を嵌めようとしたのアイツだから。って言うか、リュシエンヌ、ちゃんと否定しろよ!」


「嫌ですわ! 私は悪役令嬢ですのよ!?」


 ジョエル殿下はしげしげと私を頭から足の先まで眺める。一拍置いて、はっと何かに気付いた表情で額を押さえた。


「まさか……今日はオシャレしてるなと思ったが──」


「オシャレ? 私の、最っ高の悪役令嬢スタイルですわ!!」


「俺の為だと思ったのに……」


 ジョエル殿下は溜息をついて、今にも座り込んでしまいそうな程に落ち込んでいる。

 あら、何か勘違いしていらっしゃる? ジョエル殿下は何も分かって下さっていないのね。


「違いますわ、ジョエル殿下。貴方を最高に輝かせる為にこその! 私の悪役令嬢スタイルなのですわ」


「だから訳分かんないって言ってんだろ!?」





「──お前たち、何をしているのだ」


 はっと振り返った先には、国王様と王妃様。そして宰相を務める私のお父様。ジョエル殿下は慌てて居住まいを正し、礼をとって返答した。


「いえ、父上。何もございません」


 私も姿勢を正して礼をとった。まだデバガメを続けていた周囲の人々も一斉に頭を下げたから、まさに物語の中の光景のようだ。


「なんだ? 私達の席まで、お前達の婚約破棄の話は届いているぞ?」


「しません!」


 すぐに反論するジョエル殿下に、傷ついたような表情のオデット様。私はといえば、対応に困ってしまってただひたすら彼らの目線に入らないようにしようとした。


「──こら、リュシエンヌ。俺の背後に隠れるな」


 ああ! ジョエル殿下の意地悪ぅ。私の様子に、宰相であるお父様が嘆息して国王陛下と王妃様に頭を下げた。


「私の娘がお騒がせ致しまして申し訳ございません。ご不快でしたらどうぞ、婚約を破棄──」


「だからしませんって!」


 私のお父様の言葉も途中でぶった切ったジョエル殿下は、顔を赤くして肩で息をしている。そろそろ可哀想だ。せっかくの美男が台無しになってしまう。


「ジョエル殿下、少し落ち着いて……」


「誰のせいだー!!」






 場所を移して話すことになった私達は、そのままの状態で隣室へと連れて来られた。なお、既にオデット様はパーティー会場に戻っているらしい。悔しい、逃げられた。

 目の前には不機嫌な私の婚約者様。二人で話し合えって、お父様達も逃げてしまったのよね。


「それで? ……まずはリュシエンヌの話を聞こう。どうして俺と婚約破棄したいと思ったんだ?」


「ええと、そうですわね……ジョエル殿下に幸せになって頂きたいからですわ」


 私の言葉に、殿下は訳がわからないといった表情をする。


「それが何故婚約破棄になるんだ」


 私はなかなか分かってくれないジョエル殿下に嘆息して、殿下にも分かってもらえるよう丁寧に説明しようと試みた。


「ロマンス小説では、幼い頃からの婚約者がいるヒーローが、身分のあまり高くないヒロインとその壁を乗り越えて結婚するのですわ。そして二人はいつまでも幸せに暮らすのです」


「……しかし、そのヒーローには婚約者がいるんだろう」


「だからこそ、その婚約者は悪役なのですわ! プライドの高い悪役令嬢は、恋敵に色々な意地悪を仕掛けるのです。そして試される愛の力、乗り越えて得る幸せ……」


 話しているうちに楽しくなってきたわ。思わず頬に手を当ててしまう。あら? ジョエル殿下の元気が無くなってきたわ。


「最後には悪役令嬢は断罪されて、ヒロインは実は高貴な血筋だったことが分かるのです!約束されたロマンスですのよ!」


 額に青筋を浮かべた殿下が貼り付けた笑顔で私を見ている。


「──それで?」


「初めてオデット様を知ったとき、確信しましたの。彼女はヒロインになるべくして学院へいらしたのだと! 平民に育てられながら、その美しさによって領主である男爵に養子に出された……なんて、ヒロインの鉄則ですわ。それに殿下、あの髪の色は王家の血が流れている証拠ではございませんか!」


 ジョエル殿下はついに頭を抱えてしまった。構わず私は続ける。


「だから、ジョエル殿下が幸せになるには、悪役令嬢である私を断罪し、ヒロインであるオデット様と結ばれる必要があるのですわ!」


「それは、俺の気持ちを多大に無視しているが──」


「ヒーローはヒロインを好きになるものですわ。実際にここ最近、殿下はオデット様の側に良くいらっしゃいましたもの」


「それは、母上にそれとなく見張るように言われていて……」




「──は?見張る?」


 私は予想外の殿下の言葉にぽかんとする。どういうことなのかしら。え、運命の恋は? そんなまさか……。


「オデット嬢が父上か誰かの隠し子の可能性もあるから、様子を探って報告するよう言われてたんだよ」


「えー……」


「だから、その話は前提から成り立たん!」


 ジョエル殿下は胸を張って私に指を突き付けた。私は殿下の話に、悪役令嬢になれなかった自らの詰めの甘さを思い知った。


「似合わないのに赤いドレス作ったのにー!」


「後悔するのそこかよ?!」


「何よ!殿下のケチ!バカー!!」


 何もしないのでは気が済まない。私の今日までの努力は全て水の泡だ。何の為に悪役令嬢になりたかったのか、分からなくなってしまった。

 私は殿下に近付き、両手でぽかぽかと胸元を殴る。くそう、無駄に厚い胸板のせいで全くダメージがなさそう。

 気付いたら私は、殿下に押し潰されていた。というか、これは殿下の腕が私の背中に回って──抱きしめられてる!?


「な、ななな!殿下、何を……」



「──いい加減にしろ! 何が楽しくて愛してる女と婚約破棄しなくちゃいけないんだ! 好きなら素直に俺と結婚しろ!!」


 殿下は顔を私の首元に埋め、きつく抱きしめて離してくれそうもない。さっきから扉の隙間から国王様と王妃様と私のお父様まで覗いているんだけれど……。


「あの。で、殿下?そろそろ──」


「嫌だ。俺は傷ついたんだ」


「でも、パーティーが……」


「お前は俺のヒロインだ。決して悪役令嬢にはなれない。俺が他の女なんて見るわけがないんだ。それが分かるまでここにいろ」


 抱きしめている腕は緩めてくれなくて。ついでに首元で話すからくすぐったくて。というか国王様達に覗き見られていて。それでも動かないこの駄々っ子をどうしたら良いのでしょう。




 この後、パーティに戻った私達は盛大に冷やかされ、オデット様は王宮に保護され、私はお父様にきつく叱られるのだけれど。とりあえずそれは次の機会に。



 ──めでたし、めでたし?

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