第12話 カオアワセ
統一歴 二千二百九年 弥生 二十三日 11:26 転移五日目 晴天 武蔵総合学園 茶道部広間
三千家の茶道具が全て揃っている茶道部からクラーラが講師の資格を持つ裏千家のものを借り広間の使用許可をもらった後、農業科正門前にて待つ客人を校舎が連なる辺の内側にある茶道部の広間へ案内するよう伝言を受け取った誠が戻ってきた。
それを受けて穂村に導かれるように信長一行が続き、少し離れて誠と彼の指揮下にいる警備要員が続く。
前衛部隊は信長が手土産だと言って示した浮き車の荷台に乗せられた食料や酒等を校内に運び込む手配をし警備するために残ることになった。
穂村は叔母の家に引き取られた後クラーラから教養の一環として茶道を教わっていた。
高校入学時の穂村の成績は武蔵総合学園で特待生として在籍するのに何ら恥ずべきものではなく、むしろトップ集団を率いる形なのだが、中学に入って引き取られるまでは不安定な家庭の影響が強かったせいか成績は決して良いものではなかった。
引き取られた後クラーラをはじめ周囲が遅れていた勉強を教え、教養を身に付けさせようと心を配ってもらったことに穂村が応え続け今の穂村は出来上がった。
ちなみに穂村の教養面は主にクラーラが指導していたのだが、彼女は幼い頃から茶道の他に華道、日舞、バレエなどを嗜んでおり、見た目は東欧系ハーフであるが中身は今どき稀なほど古典的な日本のお嬢様で、特に茶道はもう少しで専任講師の資格を取得出来るところまで続けていた。
茶道部の管理する広間の前で穂村は信長に先を譲り、
「三郎殿とお連れの方はこちらからどうぞ」
と言って広間の戸を示す。
信長は戸の引き手に近い方の手で戸を一気に開くと先を切ってズカズカと広間に入り床の間の書を一瞥した後、
「一期一会……であるか」
と呟くと、亭主として準備を続けるクラーラを顧みることなく床の間の正客の座に胡坐をかいて座った。
服装が片肌をはだけたミニスカ和服のサラシで抑えられてもまだ大きい胸が目に付き穂村は目のやり場に困る。
作法は知ってるが勝手にさせてもらうという感じだな、まさに織田信長……
連れ二名の内実直な印象を与える信長と年の近そうな銀髪巨乳のポニーテール美少女は実用性を残した作法に従うようにして次客の席に胡坐をかいて座り、残りの十近く年上に見える美少女というより美女と言った方が相応しい白髪をショートにしたスレンダーな女性がおっかなびっくり真面目そうな少女の真似をしながら彼女に続いて胡坐をかいて座る。
作法に従って静かに戸を閉めると穂村はスレンダー美女の隣に座る。
信長は振袖を片肌開けて胸までサラシをまいたミニスカ和服で、他の二人は振袖ってのは未婚なのだろうからわかるけど、下にはいてるのはどう見ても明治以降に出来た女袴にしか見えないんだよな……
戦国時代にこんなものはなかったはずだけど目の前に存在する以上実在を否定できないし、ここは戦国日本に似た異世界ってことなんだろうな。
そんなことを思っていると不意に信長が、
「亭主殿、ワシの配下の者はこのような場に不慣れな者と堅苦しく構える者に分かれてしまう。持て成しの心遣いはありがたいが貴殿らの礼とはそぐわぬかもしれぬ。それ故無礼を咎めることもなければ咎められることもない形式での持て成しを頼み申す」
床の間まで黒髪をなびかせた美少女信長は結構な気遣いの人であった。
穂村を伺った後クラーラは、
「はい、こちらも作法程度でお客人の御気分を害するつもりはございません。これよりは双方無礼を咎めぬということで持て成しといたします」
微笑みながらそう返す。
「三郎殿と穂村はもう名乗りあっているのでしたね? ではわたしは鷺宮クラーラ、ここ武蔵総合学園で生徒会長の役目に就いております。現状この学びの園の運営を仕切っている立場の者と御認識ください」
そうふんわりと自己紹介をした。
それを受けた信長は
「勝三郎、彦右衛門名乗るがよい」
と配下を促す。
そう命じられるとすぐさま真面目そうな美少女が、
「池田勝三郎恒興にございます」
と名乗り、もう一人のスレンダー美女が
「滝川彦右衛門一益でございます」
と名乗った。
信長と友貞だけじゃなく今の所名前が残ってる武将は全員女性だな。
信長に茶を差し出しつつクラーラが
「それで本日の用向きは三郎殿が誼を通じたいとのことだそうですが、それは弾正忠家との誼ですか? それとも三郎殿との誼ですか?」
信長達にとっての主目的に早速切り込む。
クラーラは信長の目が一瞬きつくなったのを見逃さず、ああこの世界でも弾正家の家督騒動はあるのだなと認識する。
気配が一瞬怪しくなった信長を伺うように穂村が身を乗り出すと、恒興と一益が気圧されたようにのけぞる。
が、信長はすぐに柔和な雰囲気を取り戻すと、
「せいとかいちょう殿、いやクララ殿は良いお耳をお持ちのようで」
に目が笑っていないがにこやかに返す。
クラーラが穂村に座りなおすよう目で指示し、今後の展開を伺うような視線を向ける。
直球で行くしかないでしょ。
信長相手に隠し事は悪手だし、これだけ頭が回りそうなら不可思議なことも受け入れられると思う。
そう思って穂村が大きく頷く。
クラーラはそれを認めて
「いえ、それらの事は我々の世界では常識だったのですよ。この世界ではなく我々の世界において過去の歴史上に織田信長は存在し、家督をめぐって弟と争った。そういう歴史があったのです……」
そう言い切る。
面食らったように息を吸い込む信長と、今にも叫びそうになっているのを必死に理性で食い止める恒興、クラーラと穂村に警戒の目を向ける一益、三者三様の反応であった。
一瞬動揺した様子の信長であったがすぐに我を取り戻すと、思考を巡らせ
「貴殿らの世界からこの学びの園ごとやってきたと? 一夜にして城が建ったのはそういうことであるか……」
そう問いを発した。
クラーラはにこやかに
「我々がこちらに転移して手に入れた情報からの推測ではありますが」
と前置きして、穂村に目線で続きを促す。
「我々の歴史上では、服部友貞は津島南方の豪族で、長島城代ではあっても長島城主ではなく、ましてや二十歳やそこらの女の子ではなかったのです。更に言えば我々の世界には荒武者などなく、それに備える必要もない。だから建物の高さが七十尺である必然性などなかったのです」
穂村は既にここにあるものから事情を説明する。
それを聞いて信長は
「城壁が奇妙な作りで低いのは一夜にして築いたせいかと思っていたが、荒武者がない世から来たのであれば備える必要はないな……」
頷きながらすっきりしたような表情を浮かべる。
「我々が統一歴という暦と日付が弥生であることを知ったのは、敗戦に打ちひしがれ、身代が潰れるほどの要求に混乱した友貞をうまく誘導出来た結果であり、我々はこの世界に対して現状全くの無知なのです」
穂村が強調するようにそう告白する。
こいつなら良い値段で買ってくれるはずという確信を込めて。
信長は首を巡らせて穂村を見つめるとニヤリと笑い、
「ワシもお主等も手を組むに足る相手を探していたわけか? それに足るのがワシであるとそなたらの歴史では信用するに値するという訳じゃな?」
呵々と笑いながら
「良い! お主等の必要とするものを全てワシが用意する。ワシの配下となれ!」
逃さぬ! という強い思いを込めて穂村を見つめながらそう言う。
「ですが我々は友貞に既に恐怖を刷り込んでおります故、一向宗と手を組むこともできるとは思っております」
絶妙なタイミングで穂村が値段を吊り上げる。
一瞬呆けた信長であったがすぐに表情を改め
「それは考えておらぬのであろう? 手を組むなら友貞は残って長島に指示を送っていたはず。約定が確たるものになるまでお主等ほどの手練れを放置し、横からかっさらわれるほど、あ奴も間抜けではあるまい? よし! お主等の内望む者は配下とするが学園ごと配下にはできぬと、そういうことであるか?」
信長が穂村の考えを見透かすように問う。
「我々武蔵総合学園は誰の下にも付きませぬ。我らが求めるのは協力者のみ。戦になればどなたかの指示には従います、ですが我等の自治独立は己の手で守り続けます、それに協力していただける方でなければ手を組む事はできませんな」
穂村がいっそ素っ気無いほど信長に条件を突きつける。
信長は膝を打つと
「友貞の精兵をほぼ一人で打ち倒した剛の者故ワシに向かって吐ける言葉か?」
可笑しげにそう言う。
穂村は悲しげに首を振りながら
「現実を受けきれない者はいつの時代のどこの勢力にでもある程度いるのです……」
と悲嘆と共に言葉を返す。
不思議そうな顔をして考えを巡らせた後信長は、
「お主等は絶対的な立場がある訳ではない、ということであるか?」
と尋ねる。
穂村はそれを首肯すると
「教える者、導く者、学ぶ者、手助けする者などの違いはありますが、我々の学園では皆の立場はほぼ同じなのです」
平等という概念を信長に伝える。
「下らぬ! 功ある者、強き者、賢き者、愚かな者、人には向き不向きはあるが同じ者など居らぬ! それぞれに合った働きをさせるのが上に立つ者の役割ではないか! それを歪に皆に当て嵌める等無理強いにもほどがある!」
信長が激しくそう言い切る。
穂村はやはり納得しないかと思いながら
「ですがそれこそが我等の世界での当たり前な考えであり、共通の認識であったのです。それを我々の側からやめるとはいえるものではありません」
常識というものに囚われない人にとって、常識などは取るに足らないものでしかない。
だが多くの人間は常識とされることに従う、価値観と情報と金を握っている人間が世の中を動かしやすいのは、それらの影響が大きいからだ。
穂村はそのことを噛んで含めて信長に伝える。
「我こそは貴種として、民に大した不満を抱かせず世を治め続ければ、人は水が高き所より低きに流れるが如く当たり前のこととして受け入れるようになります。ですが戦国の世ともなれば誰に力があるか? 誰が勝ち続けるか? によって旗色を変える輩もいるでしょう。それを変節漢と詰るのは自由勝手ですが配下にそう言う者がおりその者に追い詰められたから言っても遅いとは思われませんか?」
暗に本能寺の変を示しながら信長の考え方に影響を与えるべく問う。
「ワシに与している者全ての意を汲むことなど出来ぬぞ」
支配者としての悩みをぶちまけるように信長が言う。
「理想を実現した社会にも不満は存在します。ですが理想を目指さぬ社会には向上はあり得ません」
穂村は敢えて食い下がる。
「そなたがワシを手助けしてくれるというのか?」
縋るような眼で信長が穂村を見つめる。
「俺の手の……」
見つめ返しながら穂村がそう答えようとしたところへ、
「ほっくんだめぇ!!」
クラーラが信長の視線を遮るように穂村に飛びつく。
二人のやり取りに呆気にとられながら見ていた恒興と一益が我に返る。
「とりあえずこの場はお開きで! 後ほどお部屋をご用意いたしますのでお三方はそちらで寛がれた後宴席を設けますのでご出席ください!」
そう言い切るともう少しで若くして裏千家の専任講師の資格を得られたであろう才女は全ての作法を無視して穂村の手を握り締め彼を引っ張って広間を出ていくのであった。
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