第21話 令嬢は歌い上げる


 衛樹の力を復活させる方法。

 フィオーラがアルムから告げられたのは、思ったより簡単なやり方だった。


「アルムの教えてくれる歌………樹歌を、心を込めて歌いあげればいいのですか?」

「フィオーラにやってもらうのは、それだけで十分さ。あとは僕が血を何滴か衛樹にたらして、細かい調整をやっておくよ」

「細かい調整…………アルムに任せてしまって、大丈夫ですか?」

「むぅ、僕ってそんなに信用できない?」


 軽く眉をしかめ、むくれてみせるアルム。

 拗ねた子供のような表情だ。 


「そんなことはありません!! ………ただ、衛樹の力を復活させるのは、アルムも初めてですよね? なのに頼り切ってしまうのもわるいなと思いまして…………」

「問題ないよ。衛樹は、今の世界樹の枝を挿し木して増やされた存在だ。世界樹である僕からしたら、他の植物よりずっと近しい存在だし、やり方もわかっているからね」


 そういうものなのだろうか?

 フィオーラには理解が及ばなかったが、世界樹であるアルムが言うのなら、間違いないのかもしれなかった。


「それに僕が担当するのは、あくまで細かい調整だけ。主役となるのはフィオーラと、その歌に込められた思いだよ」

「私の思い……………」

「そう。それが重要なんだ。樹歌とはあくまで、思いをわかりやすく伝えるための方法だ。千年樹教団の人間は、いかに樹歌を正確に再現できるかに躍起になってるけど、本来の歌い手である僕やフィオーラにとっては、樹歌の形そのものより、そこに込める思いの方が大切だよ」

「………頑張ります」


 形の無い思いが要だなんて少し怖いけど、フィオーラがやるしかないのだ。

 唾をのみ込みつつ頷くと、アルムが口を開き不思議な響きの旋律、樹歌を諳んじていく。


「今から僕が口にする樹歌を、衛樹に向けて思いを乗せ歌ってあげるんだ。いくよ―――――――」


 滑らかで心地いい音が、アルムの整った唇から流れてくる。

 初めて聞く樹歌。それも結構な長さのあるものだ。

 聞き洩らさないようフィオーラが注意していると、歌い終えたアルムがとんでもない要求をしてきた。


「よし。これで大丈夫なはずだ。試しに歌ってみてくれないかな?」

「む、無理です!! 一回じゃ覚えきれませんよ!!」

「いや、出来るはずだ。試しに歌ってみるといい」


 アルムに断言され、フィオーラは渋々口を開いた。

 失敗したら、優しいアルムも失望してしまうだろうか?

 恐る恐る歌いだしたが――――――――――


(歌えてる…………!!)


 淀みなく間違いなく。

 滑らかな音がフィオーラの口から滑り出す。

 一度聞いていたきりの樹歌を、まるで何年も前も知っていたかのように口ずさめた。


「やっぱり大丈夫だったね。これなら、本番に向かっても問題ないよ」

「今のは、私が歌っていたんですよね…………? 一度しか聞いていない歌を、間違えることもせずに……?」


 フィオーラ自身が信じられず、思わずアルムへと問いかけてしまった。

 

「樹の歌、と表現するからわかりにくいけど、世界樹にとって樹歌は葉擦れで響かせる音、人間で言えば呼吸するのと同じだよ。人間は誰に習うことも無く、呼吸の仕方を覚えているものだろう? 世界樹にとってもそれは同じだよ」

「………でも私は、世界樹じゃなく人間です」

「フィオーラは僕の主だ。人間だからこそ、一度は樹歌を聞かないと使えるようにならないけど、一度でも聞かされれば、それで間違いなく歌えるようになるさ」

「…………」


 一度聞いただけで樹歌を扱えるようになる存在。

 果たしてそれは、本当に人間の範疇にあるのだろうか?

 フィオーラは疑問と、体の芯がぐらつくような感覚を覚えたが、掌を握りやりすごす。


(今はまず、衛樹の力を蘇らせなくてはいけません…………)


 個人的な戸惑いは、心の底へと沈めておくことにする。

 その行為は、長年虐げられ縮こまってきたフィオーラにとっては、造作もないことなのだった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 

 ハルツ司教と教区長に案内され、衛樹のある中庭へとやってきたフィオーラ。

 中庭の中心部に植わった衛樹は、レイラ二人分ほどの背丈の、銀色の幹をそなえた木だ。

 幹はところどころにひび割れが走り、しがみつくようにして数枚の葉がついているだけだった。


(確かにこれは、弱っているのでしょうね…………)

 

 痛々しさを感じる姿だった。

 水や肥料は十分与えられているだろうが、大本の現在の世界樹の力が弱まっている影響だ。

 

 上手くやれるか、今更に心配になりつつも、衛樹へと血を垂らすアルムの姿が目に入る。

 衛樹の根元に手を当てたアルムの若葉の瞳が、夕闇の中で星のように輝いていた。


(アルムは、私ならできると信じてくれています…………)


 ならばフィオーラとしては、覚悟を決めるしかなかった。

 心臓を落ち着ける様に胸の上で手を握り、息を整え唇を開いた。


「《この地に根付きし枝葉よ、今一たびの朝を迎えん―――――――――――》」


 星がまたたき始めた空に、フィオーラの歌声だけが溶けていく。

 衛樹に向け一心に。

 どうか力を取り戻してくださいと、黒の獣から人を守ってくださいと思いを込めて歌いあげる。


「葉を伸ばしている…………」


 燐光に照らされ、中庭へとやってきたサイラスが呟く。

 その視線の先で、光を宿した衛樹が青々と葉を茂らせていった。


(よかった………!! 上手くいったみたい!!)


 光をあふれさせながら、フィオーラは衛樹を見上げた。

 先ほどとは見違えるように、生き生きとした葉を広げている衛樹。

 言葉は喋れずとも、それは確かに人の寄る辺となるべき存在だ。


 衛樹が枯れることが無いように。

 その力が弱まることなど無いように。

 ザイザの母親やサイラスの顔を浮かべつつ、無事歌い上げていたフィオーラだったが――――


「………実?」


 葉と葉の間、水平に伸びた銀色の幹に、これまた銀色の球体が垂れ下がっていた。


(林檎…………? でも林檎にしては大きいし、色も銀色はおかしいですよね………?)


 首を捻りつつ、よく見ようと果実の下へと移動した。

 すると風も無いのに枝が揺れ、銀色の果実が落ちてくる。


「わっ⁉」


 驚きつつ、どうにか落とさず抱え込む。

 果実の表面は滑らかで、両掌より大きいほどだった。


 なんの果実だろう?

 フィオーラがアルムへと問いかけようとしたところ、掌の上から振動が伝わってきた。


「え?」


 こつこつと、果実の中から音がする。

 まるで卵の中のひな鳥が、中から殻をつついているようにフィオーラには感じられた。


 そしてどうも、フィオーラの推測は間違っていなかったらしい。

 果実の表面にひび割れが走り、隙間から光が漏れ出してくる。

 蛍のような光を舞わせつつ、裂け目が大きくなっていき――――――――


「きゅいっ‼」


 円らな瞳と目があう。

 丸っこい顔に、ちょこんと乗った二つの耳。

 ほっそりとした胴体は茶色の毛並みに包まれていて、撫でると気持ちが良さそうだ。


「イタチ………?」

「ききっ!!」


 両手よりも大きな、細長い胴体と短い足を持った獣だ。

 気づけば果実は光となって消えていて、愛らしい獣が姿を現していた。


「あなたは、あの果実から生まれ―――――――――」

「そんな‼ ありえないだろうっ⁉」


 フィオーラの声を、サイラスの叫びがかき消した。


「衛樹から精霊が生まれるなんてどうなってるんだ⁉」


 心の底から、驚いているような声色だ。

 サイラスだけではなく、ハルツ司教も信じられないような目でこちらを見ていた。

 その視線はフィオーラの両手の上へと注がれている。


「…………あなた、精霊なの………?」

「きゅいっふー!」


 その通りです!!

 と答えるように、胴長の獣は鳴き声をあげたのだった。

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