第20話 令嬢は意気込む
アルムによりかかり、気絶も同然に眠り込んだサイラス。
目の下に色濃いクマを作った彼を起こすのは、フィオーラには躊躇われるのだった。
「ハルツ様、サイラス様はこのまま寝かせてしまっても大丈夫でしょうか?」
サイラスを起こさないよう、小声でハルツ司教へと問いかける。
「こちらへ。神官たちが仮眠室替わりに使っている部屋があります」
ハルツ司教の先導に従って進み、長椅子にサイラスを寝かせてもらうことにする。
フィオーラが仮眠室替わりの部屋の扉を閉めると、ハルツ司教が礼を言ってきた。
「フィオーラ様に対しとげとげしかったサイラスを慮っていただき、ありがとうございました。サイラスは真面目で優秀な神官なのですが、あの通り口が悪いですからね………」
「大丈夫です。ミレア様の応対をした後、その妹である私に対し当たりが強くなってしまうのは、仕方のないことだと思います」
ミレアの態度は、妹であるフィオーラから見ても酷いものだった。
伯爵邸にいた時は感覚が麻痺しがちだったが、外で改めてミレアの言動を見せつけられると、身内としては謝るしかない有様だ。
縮こまるフィオーラに、ハルツ司教が苦笑を浮かべていた。
「ミレア様について、フィオーラ様が謝られる必要はございませんよ。ミレア様は痣の治療のため押しかけていたようですが、その痣も元を辿れば彼女の自業自得のようですしね」
「痣の治療…………。サイラス様は治癒師なのですね?」
治癒師とは、特殊な樹具を用い傷や病を癒す神官のことだ。
適性を持つ人間は、樹具使いの中でも更に一握りの、貴重な存在だと聞いていた。
「えぇ、そうです。サイラスは私より年下ですが、既に治癒師としてこの近辺で有名です。ミレア様もその噂を聞きつけ、この支部にやってきたのだと思います」
「有名で人気があって、忙しい方なんですね」
だとしたら、特濃のクマを作ったサイラスの顔面も納得だ。
寝る間も惜しんで治療にあたる、素晴らしい人間のようだった。
「寝不足の原因はサイラスの治癒師としての実力もありますが、それだけでは無いと思います」
「どういうことでしょうか?」
「衛樹の弱体化が、サイラスの焦燥を駆り立てているんです」
「………そうだったんですね」
フィオーラの脳裏に、傷ついたザイザの母親の姿が思い出された。
何らかの原因で衛樹の力が弱まると、黒の獣が人里へと侵入し、被害が出ることになるのだ。
知識としては知っていた事実だが、直にその爪痕を見た今、サイラスが焦るのも痛い程わかるのだった。
「サイラスは幼い頃に、黒の獣の襲撃で両親を亡くしています。だからより一層、危機感を覚えているのだと思います。黒の獣につけられた傷跡は治癒師でなければ癒せないこともあり、このところ方々で引っ張りだこなうえ、どうにか衛樹の力を取り戻せないか、寝食も削って調査に当たっていましたからね」
「ご両親を………」
フィオーラも母親を亡くした時、世界そのものが失われてしまったように感じたものだ。
ザイザの母親だって、一歩間違えれば黒の獣の餌食になっていたはずだった。
(私が、衛樹の力を復活させられたら………)
衛樹の再生を依頼された時フィオーラが引き受けたのは、半ば以上流されての選択だった。
アルムとともに居場所を得るための、そのための役割程度としか思っていなかったけれど。
(これ以上、黒の獣の被害を出さないためにも、なんとしても成功させないといけませんね…………)
フィオーラは覚悟を
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
(―――――――――やめてくれっ!!)
痛みと焦燥に突き動かされ、サイラスは前方へと手を伸ばした。
サイラスの目の前で、母親が黒の獣に切り裂かれる光景が繰り広げられている。
飛び散る血しぶきに叫び声をあげようとして、わずかも声が出ないのに気がついた。
恐怖と絶望、そして決して声を出してはいけないと、母親に言い含められていたからだ。
血まみれになっていく母親を前に、ただ震え隠れているしかできない自分。
そんな自分が許せなくて、大声で叫び駆けだそうとして――――――――――――
「―――――――――っ!!」
サイラスは長椅子から飛び起きた。
「夢か…………」
見慣れた悪夢。
両親を亡くした時の記憶の再演だ。
サイラスは薄青の髪をくしゃりとすると、そのまま掌で顔を覆った。
(…………彼女には、悪いことをしたな)
意識を失う寸前、フィオーラと呼ばれた娘に詰め寄っていたのは覚えていた。
サイラスに詰め寄られ戸惑っていた彼女に、申し訳なかったと思い至る。
(…………彼女が本当に、衛樹の弱体化を治せるのか…………?)
それは喉から手が出るほどに、サイラスが待ち望んでいた力だ。
衛樹が力を取り戻すかもと聞き、その衝撃と安堵で気絶するように眠り込んでいたらしかった。
「どれくらい、眠ってしまったんだ………?」
ぐしゃぐしゃと髪をかきまわす。
まさか半日以上、朝まで熟睡してしまったのだろうか?
そんな懸念は部屋から出、窓を見ると即座に否定された。
薄紫から紫紺、そして藍色へと移り変わる空に、銀色の月がぽっかりと浮かんでいる。
空の色と月の位置で、サイラスは今が夕時だと理解できた。
(歌…………?)
暮れゆく空を眺めていたサイラスの元に、かすかな旋律が届いた。
不思議な響きで、その歌詞の内容はわからなかったが、惹きつけられる歌声だった。
(中庭の衛樹のある方向から………?)
もし、衛樹に何かあったら大変だ。
走り出すと、中庭に近づくにつれ歌声は大きくなっていく。
焦燥と不信感を抱えつつ、中庭へと出る扉を開けたサイラスだったが、
「衛樹が…………⁉」
淡い光に照らされ、サイラスは呆然と呟いた。
夕闇に沈む中庭の中心で、光を帯びた衛樹が葉をそよがせているのが見える。
「葉を伸ばしている…………?」
中庭の衛樹は葉を落とし、幹もひび割れ見るからに弱っていたはずだ。
そんな姿が信じられない程、今の衛樹は力に満ち、枝葉さえ伸ばしているようだった。
「これはいったい…………?」
答えを求め視線をさまよわせると、答えがすぐに飛び込んできた。
フィオーラだ。
体から柔らかな光をあふれさせ、不可思議な旋律を口ずさむ彼女の姿が、宵闇に浮かび上がっていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます