第19話 令嬢は義姉を恥じる
甲高いミレアの叫び声が、廊下の曲がり角の向こうから聞こえた。
彼女との接触を避けようとするフィオーラだが、周りを見て思いとどまる。
この支部の教区長に挨拶に行ったハルツを、教区長の部屋の前で待っているところだった。
無暗に別行動するのを躊躇っている間に、声がどんどんと近づいてくる。
「あなた、私の話を聞いてるの⁉ さっさとこの痣を治しなさいよ!!」
「今は無理だ。他を当たってくれ」
「何よ⁉ これっぽっちの代金じゃ不満だって言うの⁉」
「順番を守れと言って―――――――――」
廊下の曲がり角からミレアと、教団の人間らしい青年が現れる。
目の下にクマを作った青年へと叫んでいたミレアの目が、フィオーラを見て固まった。
「っひっ⁉ フィオーラに化け物男っ⁉」
「失礼だな。人でなしなのは君の方だろう?」
怯え叫んだミレアへと、アルムが皮肉気に言い返す。
辛辣な言葉に、ミレアがフィオーラへと食い掛る。
「フィオーラ‼ あんた何考えてるのよ⁉ 得体のしれない無礼な男を私に近寄らせて、ただじゃおかないわよ⁉」
「………ミレア様、落ち着いてください」
ミレアの方から歩いてきて突っかかってきたのに理不尽だ。
そう思いつつ、フィオーラがミレアをなだめようとしていると、ミレアと会話を交わしていた薄青の髪の青年が冷ややかに見てきた。
「君はこの女の身内か?」
「義理の妹です。…………義姉がお騒がせしてしまい申し訳ありません」
「ふん、妹の方は話が通じるようだな。さっさとこのやかましい女を伯爵邸に連れて帰ってくれ」
フィオーラにミレアを押し付け、踵を返そうとする青年。
その背中に、教区長での挨拶を終えたハルツ司教が叫びかける。
「サイラス‼ 久しぶりですね!! 今お話いいですか?」
「…………ハルツ?」
青年はハルツ司教の知り合いで、サイラスという名前らしかった。
「ハルツ、おまえいきなり何故ここに? 教区長に呼び出されたのか?」
「少し用事があって来たんです」
「そうか。悪いが俺は忙しいんだ。またな」
旧交を温めることも無く、そっけない態度でサイラスは去っていった。
その背中に追いすがるように、ミレアが叫び声をあげる。
「私を見捨てるの⁉ 聖職者として恥を知りなさいよ!!」
「ミレア様、お静かに。祈りの場を乱すことはおやめください」
注意したハルツ司教へと、ミレアが食いかかった。
「ハルツ司教からも言ってやってください!! サイラスが、私の腕を治すのを拒んだんです!!」
「その痣の治癒が目的ということは、今日いきなり押しかけてきたのでしょう? サイラスの治癒の術を受ける順番を守らず、横入りするのはおやめください」
「大金を積んでやったのよ⁉」
「…………金の力が頼みですか」
憐れむようにハルツ司教が見ると、ミレアが顔を赤くする。
「っ、それだけじゃありませんわ!! 私は伯爵令嬢よ⁉ 平民出身のサイラスが逆らっていいと思ってるの⁉」
「…………聖書の第8章の4節をご存知ですか?」
「何よいきなり⁉ 煙にでも巻くつもり⁉」
「ミレア様、おやめ下さい」
ミレアに絡まれたハルツ司教に申し訳なく思いつつ、フィオーラは口を開いた。
「『千年樹教団が仰ぐのは世界樹において他になし。王侯貴族であろうと聖職者がへりくだることは無い』と、聖書の第8章4節に書かれていたはずです」
昔、フィオーラの母親が教えてくれたことだ。
物知らずなフィオーラさえ知っている、千年樹教団の基本理念。
無知を晒すミレアが、ハルツ司教に迷惑をかけるのが恥ずかしかった。
「何よ生意気ね!? そんなの建前に過ぎないじゃない!!」
「そう思うなら、お引き取り下さい」
ハルツ司教が口を開く。
いつもは穏やかな彼が、無表情で静かにミレアを見下ろしていた。
「私たちは悩める人間に門戸を開いていますが、全てを受け入れるわけではありません。あなたが今どれだけ喚こうと、治癒の術の順番に横入りすることは出来ませんから、お帰り下さい」
「…………っ!!」
これ以上なくはっきりと拒絶され、ミレアが唇を噛みしめていた。
爆発寸前のミレアが、どうにか声を絞り出す。
「…………わかりましたわ。今日は引き下がってあげます。フィオーラ、さっさと帰るわよ」
ミレアの腕が、懐をまさぐるように動かされる。
いつもフィオーラをぶっていた鞭を隠し持っている場所だ。
苛立ちとうっぷんを、自宅に帰ってフィオーラで晴らそうとしているようだった。
「ミレア様、私は用事があるので帰りません」
「口答えするのっ⁉」
フィオーラへと詰め寄ろうとするミレアの前に、ハルツ司教が立ちふさがる。
「ミレア様、フィオーラ様は今、我が教団が保護させていただいています。フィオーラ様本人が伯爵邸に帰ることを望んでいない以上、お帰しするわけにはいきません」
「………何をふざけたことをおっしゃっているのかしら?」
苛立ちを隠すこともせず、ミレアがハルツ司教に問いかけた。
「フィオーラは私の妹よ。姉が妹と一緒に自宅に帰るのは、当たり前のことでしょう?」
「………お二人はとても、慕い慕われるのが当たり前のご姉妹には見えませんよ」
「だから何よ⁉ 家庭の事情に口出しする気⁉」
「そのつもりはありませんが、フィオーラ様は17歳と聞いています。成人の彼女が、自らの意志で帰らないと言っている以上、あなたに無理強いする権利はありません」
「あぁもう‼ へ理屈ばかりでまどろっこし――――――――えっ!?」
唾を飛ばし怒鳴りつけるミレアの顎へと、アルムが指先を添えた。
指で顎を持ち上げられ、美しいアルムに正面から見つめられたミレアは、彼へと抱いていた恐怖も忘れ頬を赤くしている。
「なによ…………? 綺麗な顔で、私に媚びるつも―――――――」
「右?それとも左がいいかい?」
「はい?」
ぽかんとするミレアへ、アルムは温度を感じさせない笑みを浮かべている。
「これ以上フィオーラにまとわりつくなら、僕の力で顔に薔薇を生やしてあげようか?」
「ひっ⁉」
「顔の右半分がいいか、左半分がいいかは、君に選ばせてあげるよ」
アルムは本気だ。
ミレアにもそれが理解できたらしい。
顔色を無くし後ずさると、逃げるように歩き出す。
「っ、調子に乗らないことね。妙な力を持つ頭のおかしい男をたらしこんだみたいだけど、すぐに罪を暴かれるはずよ」
ミレアはすれ違いざまに、フィオーラに毒づくのを忘れなかった。
フィオーラが言い返す暇もなく、小走りで建物を出て行ってしまったのだった。
「…………その、義姉がお騒がせして、申し訳ありませんでした…………」
時期外れの嵐が去った後のように。
気まずくなったフィオーラが口を開くと、ハルツ司教もミレアへと硬くなっていた表情を緩めた。
「フィオーラ様は本当、ご家族に苦労されてるんですね」
フィオーラを労るように微笑むハルツ司教。
彼へとフィオーラは、一つ気になっていたことを聞いてみることにした。
「ミレア様との会話で少し気になっていたのですが、ハルツ様は貴族のご出身なのですか?」
先ほどミレアは、サイラスのことを平民育ちだとこき下ろしていた。
その際の口ぶりから、なんとなくだがハルツ司教は、平民出身ではなさそうな雰囲気だったのだ。
「えぇ、そうですよ。私がこの年で司教にまでなったのは、吟樹師の才に加え、出が貴族だと言うのも大きいからですね」
自嘲するように微笑むハルツ司教だが、その表情は品がある。
生まれが貴族なら納得だと、フィオーラは思ったのだった。
「そうだったのですね。貴族の出なのに、人々のため教団の門をくぐって、ご立派だと思います」
「ありがたいお言葉ですが、私はそんな大層な人間ではありませ―――――――――」
「おいハルツ‼ どういうことだ⁉」
詰問の声が、ハルツ司教の言葉をかき消した。
サイラスだ。
走り寄ってきた彼にぎろりとにらまれ、フィオーラは思わず背筋を正した。
「君がフィオーラだな?」
「は、はい。何でしょうか?」
「教区長から、君に衛樹のことを任せることにしたと聞いたが、本当なのか?」
「…………できる限りのことは、させてもらいたいと思います」
衛樹を任せてくれと、フィオーラが言うことは出来なかった。
(我ながら、頼りない返答ですね…………)
いきなりやってきたみすぼらしい小娘の自分が、この教団支部の要である衛樹を任せられたのだ。
信用されなくて当然だし、サイラスは気の短そうな青年だった。
不審がられ怒鳴られるかもと、フィオーラは一人身構えた。
「君に、衛樹の力を蘇らせる力があるのか?」
「…………おそらくですが、どうにかなると思います」
「その言葉、嘘では無いな?」
「はい、がんばりま―――――――――きゃっ⁉」
突然サイラスの体が
「危ないな。フィオーラに何をするんだよ?」
サイラスの体を軽々と、アルムが一人で支えている。
細身に見えたアルムだが、力は結構あるようだ。
アルムに抱えられたサイラスは、言葉を発することもなく頭をうつむけていた。
「サイラス様?」
くぅくぅと。
返ってきたのは寝息だけだった。
(眠ってる…………。寝不足だったのかしら?)
閉じられた瞼の下には、色濃くクマがあるのが見えた。
アルムに支えられ、気絶同然に眠り込んでいるようだ。
「アルム、ありがとうございます。おかげで、私もサイラス様も怪我をすることなく、助かりました」
「どうってことないよ。本当はこの男は避けて、君だけを引き寄せても良かったけどね」
あっさりと言いつつも、アルムはサイラスをしっかりと支えていた。
その様子に、フィオーラは心が温かくなった気がする。
(私に対してだけじゃなく、他の人間に対する気遣いも、アルムは獲得しだしてるのかもしれませんね)
フィオーラ以外に対してはそっけなく、時にミレアに対するように躊躇なく冷酷に振る舞うアルム。
だが彼は決して、冷たい性格では無いようだった。
(人の姿をとって日が浅いせいか、人間とは感覚が異なり驚かされることも多いですけど……)
アルムの見せた他者への思いやりに気づいたフィオーラは、唇をゆるめたのだった。
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