第18話 令嬢は樹歌を知る
瞬く間に薔薇が咲き、散った花弁が黒の獣を消し去った。
フィオーラにも、自分が何をなしたかはわからなかったが、とりあえず当面の危機は去ったようだ。
「フィオーラ様、今のは………?」
周囲を見回しつつ、ハルツ司教が駆け寄ってくる。
その衣服はあちこちが汚れていたが、流血は無い様だった。
フィオーラは体に気だるさを感じつつも、ハルツ司教の無事に胸を撫でおろす。
「アルムが教えてくれたんです。ハルツ様を助けたいならと、助言をくれたんです」
「そうだったんですか………。お二人とも、ありがとうございます」
礼を言いつつ、ハルツ司教は花弁を散らした薔薇を観察している。
「この薔薇は全て、フィオーラ様が生み出したのですよね?」
「はい。伯爵邸の薔薇と同じで、呪文のようなものを唱えたら、一瞬で芽吹き咲いてくれました」
「そうだったのですか………。私はてっきり、伯爵邸の薔薇も、アルム様が生み出したものとばかり……」
「すみませんでした。私の説明が足りなかったと思います」
ハルツ司教を誤解させていたことに気づき、フィオーラは頭を下げる。
「いえ、フィオーラ様はお気になさらず。衛樹の件で出発を急かし、十分話を聞こうとしていなかったこちらの落ち度です」
それにしても、と。
ハルツ司教は薔薇の株を見てうなっていた。
「フィオーラ様、もしよければもう一度、薔薇を芽吹かせてもらえませんか?」
「わかりました。…………アルム、もう一度力を使っても、大丈夫ですか?」
「薔薇の一株くらいなら、消耗は誤差だと思うよ。実際にやって見せた方が、話も早そうだしね」
アルムの言葉に頷き、フィオーラは地面へと手をついた。
小さく息を吸い込み、アルムに教えられた不思議な旋律の言葉を、唇から外へと送り出す。
「《種よ生じ、花を咲かせよ》!」
自分の手の先から、まっすぐに薔薇が伸びあがるのを思い描く。
土を割り緑の芽が出て伸びていき、想像通りに薄紅の花弁を綻ばせた。
「…………やはり、今のは
「樹歌?」
フィオーラは首を傾げた。
聞きなれない言葉だ。
こんな時、物知らずな自分が嫌で、恥ずかしくなるのだった。
「フィオーラ様がご存じないのも当然です。樹歌に触れることは、教団の人間でもない限りほとんどないですから、説明させていただきたいと思います」
ハルツ司教はそう前置きし、フィオーラのために説明をしてくれた。
樹歌とは即ち、世界樹の謳う歌を指している。
世界樹の葉擦れは神秘を奏で、数多の奇跡を引き起こすのだ。
そして人の中には稀に、樹歌を意味ある旋律として聞き分け、再現する才を持つ者が現れた。
そういった人間は、
吟樹師は教団に代々伝わる樹歌を学び、行く行くは栄達が約束されているのだ。
「吟樹師の素質を持つ者は、100万人に1人とも、1000万人に1人とも言われる貴重な才です。幸い私には吟樹師の才能があり、おかげで司教の地位につかせていただいていました」
「ハルツ様、すごいお方だったんですね…………」
だからこそこの若さで、教団の要職についていたのだ。
フィオーラが感心していると、ハルツ司教が苦笑を浮かべた。
「いえ、そんな大層なものでもありませんよ。樹歌を扱えると言っても、それは世界樹様の謳うものより遥かに劣化した模倣でしかありません。私の場合は入念に準備を整え道具を揃え、ようやく使えるといったところですが………」
ハルツ司教は言葉を切り、棘を伸ばす薔薇を見渡した。
「フィオーラ様はこの通り何の道具も使わず、ただ一人で見事な薔薇を生み出し、黒の獣を消滅させました。一時的に退けたのではなく、消滅です。これがどれほどの偉業か…………私にも全ては理解できませんよ」
フィオーラへと、尊敬のまなざしを注ぐハルツ司教。
賛辞を浴びせられかけたフィオーラだったが、ふと今の状況に思い至った。
「ハルツ様、すみませんが、お話はまた後でもよろしいでしょうか?」
「どうされたのですか? もしやどこか、お体に障りでも―――――――」
「いえ、違います。ザイザのお母さまをまず、探したいと思うんです」
「‼ そうでしたね‼」
私としたことが、と。
ハルツ司教が興奮した己を恥じていた。
「ザイザ君、お母さんがどっちに逃げたかわかるかな?」
「………たぶん、こっちです」
ザイザの差し示す方向へ、フィオーラ達は歩き出した。
村の外れ、森との境界線をなぞるよう、周囲を見渡し進んでいく。
「おかーさ―――――ん!! もう大丈夫だよ――――――‼ 黒の獣、聖女様達がやっつけてくれたよ――――――‼」
必死に声を張り上げ、母の姿を探しているザイザ。
私は聖女様なんかではないのだけど、と。
フィオーラは思いつつも、懸命なザイザの姿に心を痛めた。
ハルツ司教とともに周りを見回していると、小さな染みが目に飛び込む。
(あれは、血…………?)
草木の生えた地面に目を凝らすと、赤い染みがてんてんと飛び散っていた。
「―――――――――見つけました!!」
血の道しるべの先、木の陰に隠れる様に、一人の女性がうずくまっている。
ザイザと同じこげ茶の髪で、苦し気に顔を歪め目をつぶってていた。
「お母さんっ⁉」
「…………その声、ザイザ…………?」
女性が瞼を持ち上げ、表情に安堵の色が滲んだ。
「良かった、無事だったのね…………」
「お母さんはっ⁉」
「どうにか助かったわ。追い詰められて、もう駄目かと思ったけど、どこからか花弁が飛んできて、黒の獣が消えてしまっ―――――――っ‼」
ザイザの母親が、歯を食いしばり眉根を寄せていた。
その右手の伸びる先、右のふくらはぎが血と泥に汚れてしまっている。
血が止まる気配は無く、大きな血管が破れてしまったようだ。
フィオーラの見ている間にも、ザイザの母親の顔色はどんどん青白くなっていく。
(アルムの血をもらえば………)
思いつつも、フィオーラは唇を噛み黙り込む。
通りすがりの他人を助けるため、痛い思いをしてくれとアルムに頼む権利が自分にあるのだろうか?
それに、アルムの力が破格なことは、昨日から散々思い知らされていた。
無暗にその、奇跡とも言える力を使わせてはまずいことになるのでは、と。
保身と打算に囚われかけるが―――――――――――
「…………アルムの血なら、彼女を救えますか?」
――――――――――母親へと泣きつくザイザの姿を前に、見捨てることは出来なかった。
罵られ咎められようと、どうにかアルムの力を借りようとする。
「もちろんできるよ。血が一滴もあれば行けるはずさ」
「…………え? それだけでいいんですか?」
アルムの返答にありがたく思いつつも、フィオーラは驚いてしまった。
「僕の血の一滴と、それに清潔な水があれば、彼女の命くらいは助けられるよ」
「っ、馬車から水筒を持ってきます!!」
ハルツ司祭が馬車へと走り出し、水筒を手に帰ってきた。
アルムは受け取った水筒へ、歯で噛み切った指先から、透明な血をぽとりと落し入れる。
「お願いです。どうかこの水を、飲みこんでください………!!」
フィオーラはザイザの母親の口へと、水筒を運び飲ませてやった。
こくりと彼女の喉が鳴り、水が嚥下されるのを見る。
すると表情が和らぎ、出血が勢いを弱めていくのがわかった。
「アルム、これで大丈夫なんでしょうか………?」
「血は止まったし、問題ないはずだ。この場で全快とはいかないけど、しっかり食べて寝て、その水筒の水を毎朝口にすれば、十日もすれば傷跡も無く完治しているはずだよ」
「…………ありがとうございます」
フィオーラの傷を癒した時との治癒速度の違いは、アルムの血の量が異なるせいのようだ。
時間はかかるとはいえ、後遺症もないのならば一安心なのだった。
ザイザの母親、ナンナと村へと戻りつつ、ハルツ司教は改めて薔薇を見渡した。
「こちらの薔薇は、どうしましょうか? このままにしておいても問題ないでしょうか?」
「君たち人間に害はないよ」
花弁を落とした薔薇の蔦を、アルムが掌に載せていた。
「毎年花を咲かせ、その花は黒の獣を消し去るし、花や蕾がついていなくとも、この村の近くに黒の獣は寄ってこないはずだよ」
「本当ですか⁉」
ナンナが目を見開いていた。
「そんなありがたい植物を、私たちに恵んでくれるんですか⁉」
「感謝するなら、フィオーラに対してだよ。彼女のおかげで、君とこの村は救われたんだからね」
「ありがとうございますフィオーラ様っ!!」
拝みだすナンナをフィオーラがなだめていると、ハルツ司教が助け舟を出してくれたようだった。
「ナンナさん、すみませんが、私たちは先を急ぐ身なのです。後日、こちらの村にも我が教団の人間が派遣されると思いますので、詳しい話はそちらとしておいてもらえますか?」
「も、もちろんです!! 引き留めてしまい申し訳ありませんでした!!」
ぺこぺこと頭を下げるナンナの後ろから、ザイザが小さな頭を出した。
「聖女様、行っちゃうの? もう会えなくなっちゃうの?」
途端に泣き出しかけるザイザへと、フィオーラはしゃがんで視線を合わせた。
「私は聖女様じゃありませんけど、この村に薔薇を生やしたのは確かに私です。責任者としてこの村を訪れ、いつかまた顔を見せに来るつもりです。保障はできないけど、それじゃ駄目でしょうか?」
フィオーラが頭を撫でてやると、ザイザが顔を赤くしている。
こくりと頷くザイザに別れを告げたフィオーラ達は、馬車を再び走らせたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
残りの道中、フィオーラは力を使った反動か、眠り込んでしまっていた。
アルムに優しく起こされ馬車を降りた時には、既に夕暮れが迫ってきているのがわかった。
たどり着いた目的地は、千年樹教団の支部の建物だ。
その中庭にある衛樹の力を復活させるために、フィオーラ達はやってきたのだが―――――――――
「ちょっと‼ 私の痣を治せないって、一体どういうことよっ⁉」
ここ数年間、散々聞きなれた罵声だ。
「…………どうして、ミレア様がここに…………?」
望まざる義理の姉との再会に、フィオーラは顔を曇らせたのだった。
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