第17話 令嬢は助ける
明けて翌日。
フィオーラはアルムやハルツ司教と共に、箱馬車に揺られ道を進んでいた。
向かう先は、力が弱まった衛樹の植えられた教会だ。
朝一番に出発し、既に陽は高くなっている。
(眠たいですね………)
心地よい振動に、フィオーラはうとうとと舟をこぐ。
早起きだったとはいえ、昨晩は早めに眠り、しっかり睡眠はとったはず。
それでもなお眠気が襲ってくるのは、アルムに体を癒してもらった反動のようなものらしい。
傷を癒すため、フィオーラ自身の体力を消費していたのだ。
動けなくなるほどではないが、じっとしていると睡魔が忍び寄ってくるけだるさ。
昨夜寝つきが良かったのも、元からの体質だけではなかったようだった。
「フィオーラ、やっぱり眠いみたいだし、ここは一杯いっとく?」
「………遠慮しておきます」
目をこすりながらも、フィオーラははっきりと答えた。
『一杯いっとく?』と、まるで飲酒のお誘いのような口調だが、勧められているのはアルムの血だ。
世界樹の血は口にすれば、失われた体力を補充する効果もあるらしい。
昨晩もらった量だけでは、傷を癒すだけで終わってしまったため、追加で血を提供しようか、というアルムの提案だ。
フィオーラとしては、気軽に頷くわけにもいかないところだった。
(往路の道行は、もう半分以上来たはずです………)
馬車を降り体を動かせば、眠気も少しはまぎれるはずだ。
固まった体をほぐそうとしたフィオーラだったが―――――――
「きゃっ⁉」
「フィオーラ‼」
がくん、と。
大きく馬車が揺れ、急に動きが止まった。
「何事ですか?」
素早く扉を開け、ハルツ司教が外の様子を確認した。
椅子から落ちかけたフィオーラはアルムに支えられ、原因を探ろうと耳を澄ます。
「………てください! 助けてくださいっ!!」
かすれた子供の声だ。
追い詰められ涙声になったそれに、フィオーラはハルツ司教の背中越しに馬車の外をうかがった。
(服が汚れてあちこち泥だらけ…………)
痛ましい様子だ。
まだ十歳ほどの少年が、必死にハルツ司教へと訴えかけていた。
「黒の獣が現れてっ、村が襲われてるんだ! お願いです助けてください!!」
「黒の獣が………」
ハルツ司教が眉を寄せていた。
黒の獣は通常、人里には近寄らないはずだ。
しかし、この辺りを護する衛樹の力が弱まっている今、侵入を許してしまっているようだった。
「フィオーラ様、申し訳ありません。少し寄り道をしてもよろしいでしょうか? 衛樹を管理し、黒の獣より人々を守るのは、我が教団の務めの一つです。私だけ別行動するわけにはいきませんので、一緒に来て頂けるでしょうか?」
「わかりました。お願いします」
フィオーラとしても、ここで少年を見捨てては胸が痛む。
馬車の内へと入れられた少年の横に座り、そっと泥をぬぐってやる。
「怖かったね。一人でここまで走ってきたの?」
「…………お母さんが、逃げろって言ってくれたんだ」
少年の瞳に、見る見る涙が盛り上がる。
「お母さんは足が速いから、囮になるって走り出したんだ。その間に、僕は逃げて助けを呼んできなさい、って………っひっく…………」
こらえきれず泣き出した少年の頭を、フィオーラは撫でることしかできなかった。
ザイザと名乗った少年をなだめていると、御者台に回ったハルツ司教が声を上げる。
「フィオーラ様、黒の獣に襲われる村が見えてきました!! 私が対処してきますから、馬車の中で少年とお待ちください!!」
「ハルツ様お一人で大丈夫なのですか?」
「ご心配ありがとうございます。私はこれでも、教団より樹具の使い手に選ばれた人間です。これくらい、あっという間に終わらせますよ」
ハルツ司教は言い切ると、御者台から降り走り去っていったようだ。
残されたフィオーラは震えるザイザを抱き寄せ、窓から外を眺める。
(あれが、黒の獣…………)
実際に見るのは初めてだ。
伝え聞いていた通り、全身が黒で覆われ、一対の赤い目が炯炯と光っていた。
黒の獣は四本の足で地面を踏みしめ、ハルツ司教へと向かっていく。
「水の刃よ!!」
ハルツ司教の掛け声とともに、樹具らしき杖から勢いよく水が噴き出した。
水流は鋭く刃となり、黒の獣を引き裂いていく。
命中しなかった刃の方が多いが、村人は家の中へ避難しているようで、流れ弾の心配はなさそうだ。
(一匹、二匹…………どんどん水の刃が切り裂いていくけど………)
多勢に無勢だ。
ニ十匹はいるであろう黒の獣に囲まれ、ハルツ司教は分が悪いのではないのだろうか?
自分一人で大丈夫と言っていた以上、信じるべきかもしれないが、どこか動きがぎこちない気がした。
(あ、もしかして…………)
フィオーラは思い出し青くなる。
昨日ハルツ司教が手にしていた樹具はアルムが枝葉を生やし、木の状態に戻してしまったはずだ。
(今、ハルツ様が持っている樹具は予備か何か、使い慣れていないもの⁉)
だとしたら、本調子には遠いはずだ。
フィオーラの危惧が現実になり、ハルツ司教が体勢を崩していた。
彼へと襲い掛かろうとする黒の獣へ、
「こっちよ!!」
フィオーラは扉を開け、勢いよく飛び出した。
叫び声に反応し、こちらへと向く赤い瞳にすくみながら、地面に手を打ち付ける。
「《種よ生じ、花を咲かせよ》‼」
叫びと共に、体から何かが引きずり出される感覚が訪れる。
めまいと引き換えにもたらされたのは、早回しにした薔薇の成長。
フィオーラの足元から、ハルツ司教のいる場所まで。
黒の獣と隔てるように、薄紅の薔薇が蔓を伸ばす。
「フィオーラ様、これは⁉」
「ハルツ様、一度こちらに‼ 黒の獣が驚いているうちに、体勢を立て直し―――――――」
「その必要は無いよ」
フィオーラの肩に、アルムの手が添えられた。
アルムは薔薇を見渡し、不思議な響きの言葉を紡いだ。
「彼を助けたいなら、薔薇にこう命じればいい《花よ散りて、風に舞え》ってね」
「…………はい!!」
迷っている時間は無さそうだ。
アルムの助言を信じ、薔薇を見据え唇を開く。
「《花よ散りて、風に舞え》‼」
再びの、体から何かが失われる感覚。
訪れた変化は速やかに。
大輪の薔薇がほろりほろりと花弁を落とし、風に乗って舞っていく。
その光景は美しく、黒の獣にとって致命的だ。
「っぎぃあっ⁉」
花びらの触れた黒の獣が、悲鳴だけを残し消えていく。
例外なく遅滞なく、瞬く間に数を減らしていった。
「そんな、たった一瞬で…………?」
茫然と呟くハルツ司教。
フィオーラも同じ気分だ。
何が起こったのか、自分が何をしたのかわからなかった。
「…………花びら、たくさんできれー…………」
馬車の中でザイザのこぼした呟きが、ぽつりとあたりに転がったのだった。
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