第16話 令嬢は眠りにつく

ハルツ司教の頼みを受け入れることにしたフィオーラ。

 問題の、力が弱まっている衛樹の元までは、馬車でも半日以上かかるようだ。

 出発するのは明日早朝ということになり、今日は早々に床に就くことになった。


 食堂で夕飯を食べ終え、久しぶりに満ち足りた腹をかかえ、与えられた部屋へと戻る。

 灯りを消し就寝しようとしたところで、一つ問題が起こった。


「同じ寝台で眠りたい……?」

「この寝台は大きいんだ。僕が一緒に横になっても、十分体は休められるよ」


 アルムの言葉通り、寝台はとても立派だ。

 天井から天蓋が吊り下げられ、3人でも4人でも横になれそうな大きさ。

 障害となるのは、フィオーラの羞恥心だけだったが、


「わかりました。同じ寝台の少し離れた位置に枕を置いて、それぞれの横になる形でいいですか?」


 あっさりとアルムの提案を受け入れた。

 昨晩、アルムが種の姿になっていた間に、ジラス司祭たちの暴力に巻き込まれたのだ。

 そのことを踏まえ、アルムがフィオーラの傍を片時も離れたくない、と思うのも当然だ。


(湯あみに同席されかけたことに比べたら、これくらい大丈夫です……)


 アルムの寝室も隣に用意されていたが、アルムの様子からして素直には受け入れてくれなさそうだ。

 それにフィオーラとしても、ハルツ司教はともかく、教団自体は信用しきれていなかった。

 何かあった時に備え、アルムが傍にいてくれたら助かるのが本音だ。


「おやすみなさい、アルム」

「おやすみ、フィオーラ。良い夢を」


 挨拶を交わし、柔らかな寝具へと横になる。

 灯りの落とされた部屋に、月明かりだけが差し込んでいた。


(静かね……)


 聞こえるのは、自分自身の呼吸と、少し騒がしい心臓の音だけ。

 アルムは身じろぎ一つせず、音も無く横になっているようだった。


(アルムの本性は世界樹。人間や獣と違って体を動かさない植物だから、こんなに静かなのかしら?)


 そう考えつつフィオーラは、一つ気になることに思い至った。

 アルムがまだ起きているならばと、小声で尋ねてみることにする。


「……アルム、起きてる?」

「なんだい? 眠れないの?」

「いえ、違うわ。少し気になったことがあるの。アルムは世界樹なのよね?」

「そうだよ?」

「……世界樹って、眠るものなんですか?」


 フィオーラの問いかけに、沈黙のみが帰ってくる。

 失礼な質問だったのだろうか?

 謝ろうとした寸前、アルムが口を開いた。


「君たち人間のいう眠りに近い、意識状態が低下した状態は存在しているよ。昨晩、種の姿になっていたのがそうだし、他にも眠りに近い状態になることはある」

「人間と同じように、毎日夜に眠るものなんですか?」

「いや、本来は違うね。毎晩眠る必要は無いし、今の僕だって、3、4日は眠らなくても大丈夫さ。ただ、人の姿をとった以上、人と同じように生活を送った方が自然だし、主の君の負担も軽くなるんだ」


 まぁそれに、眠っていても種の姿にならない限り、意識の一部は外界に向けられているからね、と。

 淡々と語るアルムに、フィオーラは人間との違いを感じつつも微笑んだ。


「眠るのも食事を口にするのも、私のためだったんですね。さっき、アルムが料理を食べていた時、人間と同じ料理が食べられるんだなって、実は少しびっくりしてしまったんです」


 夕飯として出されたのは、ポタージュにチーズの入ったサラダ、白いパンに新鮮な果物、肉汁滴る仔牛の肉だ。

 豪華なもてなしに気圧され、口に出す暇がなかったが、黙々と隣で皿を片付ける、アルムの姿は気になっていたのだった。


「あぁ、夕飯かい? あれはちょっと違うかな」

「それは、どういう?」

「毒見だよ」


 物騒な単語に、思わずフィオーラの顔が引きつった。


「……どういうことですか?」

「そのままの意味だよ。人間の振るう刃は、何も剣や鋼だけじゃないだろう? 毒や異物が入っていても僕なら気づけるし、気づき次第すぐに、横にいる君の解毒ができるからね」

「……ありがとうございます」


 絞り出すようにして、フィオーラは礼を口にした。

 毒殺。

 思い至らなかったとはいえ、アルムが世界樹である以上、全く考えられない話でも無いのだ。


(王族や高位貴族の方は、毒殺を常日頃恐れて、冷たい料理しか口にできないと聞くものね……)


 フィオーラには無縁のはずの話だったが、今や事態は大きく変わっていた。

 ぶるりと身を震わせ、フィオーラは布団を手繰り寄せる。


(物知らずな私が、どこまで上手く振る舞えるかわからないけど……)


 今はとりあえず、体を休めるのが一番の仕事だ。

 意識して物騒な思考を追い出すと、まもなく眠りの気配が訪れた。


 フィオーラの数少ない特技とも言える、寝つきの良さが発揮されつつある。

 今までの生活で、細切れの睡眠時間だろうと、粗末な藁の寝台だろうと、貴重な休息を無駄にしないため、眠りにつくのは得意になっていたのだ。


(あ、いい香り……)


 夢うつつに、しっとりとした木の香りがフィオーラに届いた。

 アルムの香りだろうか?

 本性が世界樹の彼は、その身にまとう香りも、人とは違い森の木々に近しいのかもしれなかった。


(おちつきます……)


 大樹に抱かれ安心するように、フィオーラは意識を手放したのだった。



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