第22話 令嬢はやりすぎた
きゅいきゅい、と。
陽気な鳴き声をあげる獣は、まさかの精霊だったらしい。
「精霊…………」
フィオーラの知る精霊、正確には伝え聞く精霊は、それはもうありがたい存在だった。
ただ人では到底かなわない強い力を秘め、世界樹の眷属として人を守ることもあるらしい。
(そんな恐れ多い存在が、こんなに可愛らしくて大丈夫なんでしょうか………?)
フィオーラの指先とじゃれる獣は、小型のイタチにしか見えないのだった。
「フィオーラ様が、信じられないのも無理が無いかと思います………」
衝撃で凍りついたサイラスに代わるように、ハルツ司教が唇を開いた。
「ですが、そのお方がただの獣で無いことは、左の前足を見れば一目でわかると思います」
「…………花?」
青い花弁を広げた小さな花が。
茶色の毛に包まれた前足に咲いているのが見えた。
体の表面にくっついているだけではない様で、前足が振られると同じように動いているのがわかる。
「精霊は様々な獣の似姿をとるそうですが、皆体のどこかに、花を宿していると伝えられています」
「ならば、この子は紛れもなく……………」
「精霊ですね。…………精霊のはずなんですが」
ハルツ司教が、力強さを取り戻した衛樹をすいと見上げた。
「精霊は、霊樹という特別な樹より生まれると聞いています。霊樹は大変貴重な樹で、国ごとに1本あるかないかと言ったところ。この国だって、確認されている霊樹は、王都の1本だけのはずなんです」
「簡単なことだよ」
疑問符を浮かべるハルツ司教へと、立ち上がったアルムが声をかける。
「霊樹も衛樹も、どちらも世界樹の挿し木が根付いたものさ。世界にあまたある、世界樹の分身とも言えるのが衛樹だ。その衛樹のうち、とりわけ強い力を持った樹のことを、人間がありがたがって霊樹と特別扱いしているだけだよ」
「強い力を持った衛樹が、霊樹になるということは…………」
フィオーラには思い当たることがあった。
「フィオーラ、君の想像できっと正解だよ。君は衛樹の力を蘇らせるため樹歌を奏でたんだ。その効果が思ったより大きくて、衛樹が霊樹へと変化したってことさ」
「……………」
確かにフィオーラは、衛樹の力が無事戻るよう、出来る限りの思いを込めて歌い上げていた。
そのことを、後悔しているわけではなかったのだけれども。
(やりすぎた………?)
ハルツ司教は苦笑を浮かべ、教区長とサイラスが茫然と動きを止めている。
見物人たちの反応に、フィオーラもまた冷や汗をかいたような気分になった。
「驚かせてしまい、申し訳ありません…………」
頭を下げると、サイラスが弾かれたように目を見開く。
動きを再開させたサイラスが、勢いをつけフィオーラへと近づいてきた。
「きゃっ⁉」
フィオーラの両手が、サイラスに無言で握り込まれていた。
彼に害意は無い様だが、力が強すぎて少し痛い。
間近に迫ったサイラスをフィオーラが見上げると、小さな呟きが耳に届いた。
「…………ありがとう」
「…………え?」
フィオーラが問い返すと、わずかに潤んだ瞳と目が合い、手を握る力がより一層強くなっていく。
「衛樹のこと、それに精霊のこと。全部君が成し遂げてくれたことなんだろう?」
「…………はい。そうだと思います。やりすぎてしまったようですが………」
「やりすぎ? とんでもない。おかげでこの地は救わ―――――――――あいたぁっ⁉」
「きゅいっき――――――――っ!!」
サイラスの手に、精霊が噛みついていた。
まるでその様子は、『フィオーラが痛がってるのに何するんだよ⁉』と騎士を気どるようだ。
幸い血は流れていなかったが、サイラスは狼狽し掌をさすっていた。
そんな彼へと、精霊が追撃を加えようとしたところで
「待って待って‼ 落ち着いてっ!!」
「きゅあっ⁉」
毛を逆立てる精霊を、慌ててフィオーラは抱きしめる。
なだめるように数度背中を撫でてやると、徐々に興奮が収まっていった。
「きゅいっ‼」
「わわっ⁉」
精霊は一鳴きすると、フィオーラの体を駆け上っていった。
胴体から胸部、その上の肩と首へと。
するりと上り詰めた精霊は、フィオーラの肩の上に陣取り満足したようだった。
「…………あなたは、そこが落ち着くの?」
全く落ち着かない気持ちで、フィオーラは顔のすぐ横にいる精霊へと尋ねた。
懐いてくれるのは嬉しいが、相手は何せ精霊だ。
首筋をくすぐるふわさらとした毛並みを撫でてみたくなるが、獣と同じように扱っていいのか謎だった。
「きゅきゅいきゅいっ‼」
精霊の頭が、フィオーラの頬へと押し付けられる。
ぐりぐりとこすりつけられる頭を撫でてやると、精霊が嬉しそうな声をあげ身をよじる。
(かわいい……………)
フィオーラが頬を緩めていると、アルムが静かに頷いていた。
「その精霊は、君の樹歌により生み出されたも同然の存在だ。君に懐くのは当然だし、君を害そうとする存在には、容赦しないはずだからね」
「…………え?」
何やら物騒な発言が聞こえた気がする。
フィオーラはぎこちない動きで、アルムから精霊へと視線を戻したのだった。
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