第12話 令嬢は肝に銘じる


 ―――――――――服を脱いでくれ。


 真顔で言い放ったアルムに、フィオーラは思わず硬直した。


「…………もしかして、私の肩にある痣を見てしまったんですか?」

「肩だけじゃない。服で見えにくいけど、前腕部にだって、痣がのぞいているじゃないか」


 指摘され、ぎくりとする。

 咄嗟に袖を引っ張り痣を隠そうとして、今更意味がないと悟った。


「はい。私の体には青あざがありますが、どれも自然と治るものですから、大丈夫です」


 フィオーラは嘘をついた。

 肌の上にあるのは、青あざだけではなかった。

 義母のリムエラに火かき棒を押し付けられた醜い傷跡を教えたら、アルムがどう反応するかわからなかったからだ。


「大丈夫じゃない。僕が気にするんだ」


 しかしアルムは、青あざでも見過ごせないようだった。


「僕が唇をつければ、どんな傷も痣だって、瞬く間に癒すことができるんだ。熱も痛みも無く一瞬だよ?フィオーラはただ、僕に身をまかしてくれていればいいんだ」

「…………アルムの気持ちは、嬉しいですけど………。でも、その、肌を晒すのは、少し勘弁してもらえないですか?」

「? どうしてだい?」


 アルムが首を傾げた。


「君たち人間の、特に君のような年頃の少女が、知らない人の前で肌を出すのを躊躇うのは知っているよ。けど、今ここにはフィオーラと僕しかいないんだから、何も問題ないだろう?」

「…………問題、大ありです」


 軽い頭痛を覚えつつ、フィオーラはアルムへと反論した。


(やっぱりアルムは、ズレています。人の姿で、言葉が通じるから勘違いしてしまいますが、決して人間では無いんですよね…………)


 人間ではないが、姿かたちは人間そのものなのがややこしい。

 フィオーラとしては、獣や植物を相手にするように振る舞うのも難しかった。


 この部屋は人目が無いため、アルムに肌を晒しても無暗に騒がれることは無いが、フィオーラ自身の目がある。

 アルムが青年男性の外見をしている以上、恥ずかしいという気持ちは消せなかった。


「今日のところは、服で隠れた部分への口づけは、やめにしてもらえませんか? 体は癒されても、心が疲れてしまうんです」

「…………精神的な問題、か。それなら仕方ない。あいにく僕は、人の詳細な心の動きはわからないからね」


 アルムが頷いていた。

 感覚のズレている彼だが、フィオーラの意志は尊重してくれるのでありがたかった。


 人間ではないが、優しさはもっているアルム。

 彼の在り方にフィオーラが安堵していると、アルムが部屋に備え付けのコップを右手で持っていた。


「アルム、どうしたの? 喉が渇いたんですか?」


 アルムの本性は世界樹。

 神がかった力を持っているが、種類としては植物にあたるはず。

 植物の本能として、水を求めているのだろうかと水差しを手にしたところ、止められてしまった。


「違うよ。今必要なのは水じゃない。君の痣を癒すことだ」


 だからこうしようと、そう呟いたアルムが。

 コップに水をそそぐような、それこそ何気ない動作で。

 右指から鋭い棘を伸ばし、左手首をかき切っていた。


「アルムっ⁉」


 フィオーラが叫び、アルムの手首を見つめる。

 手首より噴き出す液体は、人とは違い透明だ。

 

(世界樹の血は透明なの⁉)


 混乱した頭に、意味の無い疑問があふれた。

 血か体液か、あるいは樹液なのかはわからないが、液体が迸るように零れ落ちてくる。


「止まらないっ!! 早く止血しないと‼!」 

「何を慌ててるんだい? じきに止まるよ?」


 アルムの言葉通り、傷口に銀の光が集まり、傷跡を覆い隠していく。

 光が消えた時には、染み一つない肌が戻ってきていた。


「良かった……………。でも、どうしていきなり手首を?」

「樹液を集めるには、これが一番手っ取り早いだろう?」


 アルムが答えつつ、右手に持ったコップを持ち上げる。

 フィオーラが混乱している間にも、しっかりとコップで樹液を受けていたらしい。


「この樹液を肌につければ、すぐに青あざは消えるはずだ。この方法なら、僕が直接口づけなくても大丈夫だから、フィオーラにも負担がないだろう?」

「……………ありがとうございます」


 アルムの意図を悟りつつ、フィオーラはどっと疲れを感じていた。


「でも、今のようなことは、もう二度としないでくださいね? 私の心臓に悪いですし、アルムだって痛いでしょう?」

「痛いけど、問題は無いよ。人の姿を取ってるせいで、痛みを感じる機能も備えてしまったけど、あくまで形だけさ。すぐに元に治るなら、痛みは無駄な刺激でしかないだろう?」

「やっぱり、痛いんじゃないですか…………」


 フィオーラは肩を落とした。

 先ほど手首を切る一瞬、アルムは顔をしかめていた。

 動作は滑らかで、その後すぐに元通り落ち着いていたとはいえ、痛いものは痛いようだった。


「アルム、お願いです。次からは怪我を負ったら、すぐに報告するつもりです。二人きりの時、口づけでもなんでもしてもらって大丈夫ですから、いきなり体を傷つけるのはやめてください」

「口づけは、恥ずかしいんじゃなかったのかい?」

「………………痛いのよりは、恥ずかしい方がいいと思います」


 正直、どちらも選びたくないのが本音だ。

 だが、アルムの行動がフィオーラを思いやってのものである以上、彼に痛みを押し付けるのは嫌だったのだ。


「他人の痛みより、自分の恥ずかしさの方がマシ、か。フィオーラ、君ってもしかして、変人って呼ばれたりしてない?」

「…………たぶん、アルムの方が、人間基準だとよほど変わっていると思います」


 フィオーラに対しては優しく、聞き分けのよいアルム。


 だが彼はどこまでも、人間とは異なる生き物なのだ。

 油断すればすれ違い、当たり前のような顔をして手首を切ってくる。

 

 ――――――気を付けなければ、と。

 流された銀色の血に、思い知らされたように感じたフィオーラなのだった。



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