第7話 令嬢は戸惑う
一瞬にして、周囲を薔薇園へと変えてしまったフィオーラ。
激変した風景に戸惑っていると、ふいに左の鎖骨の下、心臓のあたりが熱くなる。
「これは………?」
襟を広げ、隙間からそっと胸元をのぞき込む。
あちこちに青あざの残る肌の上にほんのりと、見覚えの無い薄紅の痣が浮かんでいた。
色は薄く目をこらさないと視認できないが、よく見ると薔薇に似た形をしている。
「どうしたんだい? もしかして、胸かどこか痛むのかい?」
「きゃっ⁉」
アルムが、フィオーラの胸元へと顔を近づけた。
フィオーラは慌てて襟を戻し、反射的にアルムから距離を取る。
アルムに下心や悪気はないようだが、青年の姿をした彼に、肌を晒すのは恥ずかしかったのだ。
「す、すみません!! 少し驚いてしまったんです!! いきなり胸に、見覚えの無い薔薇のような痣ができていたので…………」
「あぁ、なんだ。ならよかった。それはきっと、聖華の印だよ」
「聖華…………」
――――――――千年樹教団の聖書に曰く。
千年前、世界樹に見いだされた少女の肌には聖なる印、百合の花を象った痣が浮かび上がったらしい。
聖華と称された印を宿した少女は聖女となり、今もその末裔が聖女の称号と力を継いでいるのだ。
「さっき君は、僕の主となり力を使っただろう? その影響で、聖華が花開いたようだね」
「まさか、私にも聖女様のような力が…………?」
「当代の聖女の力は遥かに超えてるんじゃないかな? 千年前の初代聖女ならともかく、今はもう血も薄れてしまっているだろうからね」
私の力が、聖女様以上?
フィオーラが固まっていると、アルムが眉をしかめた。
アルムの視線は、フィオーラの胸の上で重ねられた指先に向いている。
「その指、火傷してしまっているね」
アルムの指摘に、フィオーラは指を見た。
先ほどは消火活動に夢中だったが、気づかないうちに火がかすっていたらしい。
「これくらいの傷なら、大丈夫よ。数日もすれば、腫れも無く治るはずです」
ミレアの嫌がらせでつけられた火傷と比べれば、かすり傷のようなものだった。
そう思い、アルムを安心させようと微笑むが、
「えっ!?」
柔らかな感触が、指先へと触れている。
アルムの形良い唇が、フィオーラの指先をなぞっていた。
「ア、アルム⁉」
慌てて指を引き抜こうとするも、アルムに手首を握られてしまった。
細身な外見だが、青年の姿を取っているだけあり、力は存外強いようだ。
フィオーラが顔を赤くしていると、ようやくアルムが指先を解放してくれた。
「うん。これで大丈夫だ。もう痛くないはずだ」
「…………!!」
まじまじと指先を見つめる。
治癒まで数日かかるはずの火傷は消え失せ、滑らかな肌色を取り戻していた。
「これは、アルムが?」
「世界樹の涙、その樹液は万病を癒すって、聞いたことがあるだろう?」
「…………ありがとうございます」
戸惑いつつも、フィオーラは礼を告げた。
彼の思いやりは嬉しいが、やはり少し恥ずかしかったのだ。
先ほど胸元をのぞき込もうとしたことといい、指先への口づけとといい、おそらくアルムは、男女の距離感とでもいうべきものがズレている。
本性が人間ではない以上、感覚が異なって当然なのかもしれないが、心臓に悪いことこの上なかった。
ひっそりとため息をつくと、軽くめまいを感じる。
気のせいではなく、どうも足元がふらつくようだった。
「フィオーラ、今日はもう休んだ方がいい。初めて力を使った影響で、体力を消耗しているはずだ。一晩寝れば元に戻るだろうから、体を休められる場所にいこう」
アルムの言葉に従い、寝床にしている納屋へと向かった。
言葉にされ指摘されたせいか、強い眠気と疲労を感じ、これ以上耐えられそうになかったからだ。
納屋の扉を開け、敷き布団代わりの藁山へと倒れ込む。
「ごめんなさい。少し休ませてもらうわ。アルムはその間、どうしてるの?」
「ここで待ってるつもりだよ?」
主人を見守る番犬のように、アルムはフィオーラの傍らへと座りこむ。
全身どこもかしこも美しい芸術品のような彼を、粗末な藁山に座らせていることに、フィオーラは罪悪感を覚えた。
それに、アルムに下心は無いとはいえ、だらしない寝顔を見られるのも避けたいところだった。
「アルム、その、悪いのだけど、また人間以外の姿に、若木の姿に一時的になることはできますか?」
「…………人の姿の僕は、嫌いかい?」
しゅんとしょげるアルム。
その姿はますます、主を慕う犬か何かのようだった。
「そんなことないです!! アルムは人の姿も、とても綺麗だと思います。……ただ、今日は色々あったから、一人になって落ち着きたいと思ったの」
「………わかった。人間には、一人静かに考え事をする時間も必要らしいからね。君が呼ぶまで、僕は姿を消しているよ。僕も今日は、初めて人の姿をとって少し疲れたから、休ませてもらうことにする」
「そうだったんですか…………。私を助けるために、人の姿で現れてくれたんですね」
「こうして君と、直接言葉を交わせたんだ。それだけで僕には十分さ。僕はこれから、一時的に『種』の姿に戻り休眠してるから、また会いたいと思ったら、種に触れ僕を起こしてくれ」
「種?」
フィオーラが首を傾げると、アルムの輪郭がほのかに光り、次の瞬間消え失せた。
呆気にとられつつ、さきほどまでアルムが座っていた場所を見ると、ウズラの卵ほどの、透明な緑の石が転がっていた。
「これがアルムの、世界樹の種………」
アルムの瞳と同じ、美しい緑に輝く石に、恐る恐る手を伸ばす。
彼が姿を変えた種に、直接手を触れるのはためらわれて、ハンカチでくるんで手にした。
「おやすみなさい、アルム」
寝ている間に、うっかり種を無くしてしまわない様、ハンカチで包み枕元へと置いておく。
するとたちまち、睡魔がフィオーラをとらえ、眠りの園へと導いていったのだった。
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