第5話 令嬢は名を呼ぶ


 ぬかるみに膝をついたミレアの体が、糸が切れた様に傾いでいく。


「ミレア様っ!! 大丈夫ですか⁉」


 使用人の男性が、ミレアへと駆け寄った。

 自慢の金髪を泥に投げ出し、力なく横たわるミレア。

 衝撃の事態の連続に、意識を飛ばしてしまったようだった。


 ミレアを抱えた使用人が、小走りで屋敷へと戻っていく。

 最後にフィオーラ達を見た彼の目は、化け物を恐れるかのようだ。

 謎の青年と二人取り残され、フィオーラは辺りを見渡した。


「っ⁉ 嘘っ!?」


 あるはずのものが無かった。

 毎日様子を見ていた若木が、母の形見同然の若木が消えている。

 フィオーラは強引に青年の腕を振りほどき、地面へと降り駆け出した。


「嘘…………そんな、跡形もなく……………?」


 若木が育っていた場所の地面には、ぽっかりと穴が開いている。

 燃えてしまった? だけど、いつの間に?


 青年に出会う前、確かに若木は存在していた。

 その後目を離してしまった隙に、あっという間に燃え尽きてしまったのだろうか?

 狼狽しフィオーラがよろけると、その体を青年を抱き留める。


「フィオーラ、そんなに顔を青くしてどうしたんだい?」

「木が…………お母さまの形見の木が、燃えてしまって…………」


 地面だけではなく、フィオーラの心にまで、大きな穴が空いてしまったようだ。

 放心していると、青年が頷いたようだった。


「あぁ、なるほど。僕のことを心配してくれていたんだね」

「僕のことを、心配…………?」

「僕は、あの木が人の形をとった存在だよ。姿を変えないと、君を助けられなかったからね」


 間に合って良かったと呟く青年の姿に、フィオーラは戸惑いを隠せなかった。


「まさか、そんなわけ…………」

「信じられない? じゃぁ、僕の名前を教えてあげようか」


 青年の若葉色の瞳が、フィオーラの瞳をとらえた。


「僕の名はアルム。正確には、アルムトゥリウスと言うんだ」

「あ…………」


 フィオーラの中で、たちまち時間が巻き戻っていく。

 母がまだ生きていた頃、二人で若木の種を植えたのだ。


『ねぇフィオーラ、この種に、名前を付けてくれるかしら?』

『たねになまえを?』

『そうよ。名前を付ければ、より愛着が増すでしょう?』

『あいちゃく?』

『…………そうね。難しく考えなくても大丈夫よ。フィオーラの好きな名前で、この種を呼んであげてちょうだい』


 幼いフィオーラの頭に浮かんだのは、母が話してくれたおとぎ話の、お気に入りの冒険家の名前だった。


『あるむとりーす‼!』

『アルムトゥリウスね。フィオーラにはまだ発音しにくいから、アルムと呼んであげましょうか』


 舌足らずなフィオーラの言葉に、母が優しく目を細めたのを覚えている。

 アルムトゥリウス。

 若木に付けられた名を知っているのは、今は亡き母とフィオーラの二人だけだ。


 母亡きあと、フィオーラの持っていた数少ないおもちゃやぬいぐるみは、義母に全て取り上げられてしまった。

 もし、若木に名前をつけ世話をしていると知られたら、若木だって奪われてしまうに違いない。

 幼心にそう理解したフィオーラは誰にも若木の名を告げず、秘密を守っていたのだった。


「アルム…………それじゃあ、本当にあなたがあの若木なの………?」


 名前を呼ぶと青年、アルムの瞳が和らいだ。

 美しくも透明な笑みに、フィオーラの心臓が騒ぎ出す。


「やっと、その名前を呼んでくれたね。今まで何度も呼ばれていたはずなのに、なんでこんなに嬉しいんだろう?」

「アルム…………」


 信じられないが、彼があの若木の化身だとしたら、懐かしさを感じて当然だった。

 虐げられて育ったフィオーラの、唯一といっていい宝物。

 なんの奇跡か人の形をとったアルムを、フィオーラは改めて見つめた。


 ほのかに緑がかった銀の髪。

 若葉色の瞳の輝く美しい顔立ち。


 背はすらりと高く、細身だが弱々しさは感じない。

 17歳のフィオーラより少し年上に見える、しなやかに伸びた若木のような姿だった。


 身にまとうのは滑らかな光沢の白い衣で、銀糸金糸で縁取りと刺繍がされている。

 首元の襟は高く、袖口はゆるやかに広がっていた。

 肩からは深く鮮やかな青の長布を、司祭の色帯ストラのようにさげているようだ。


「その服装、まるで千年樹教団の司祭様の服装を真似したみたいね………」

「それ、逆だと思うよ」

「逆?」


 首を傾げるフィオーラだったが―――――――――


「真似をしたのは、教団の人間の方さ。だって僕、彼らがあがめる『世界樹』だからね」

「……………え?」


 ―――――――――――――アルムの言葉に、動きを止めてしまったのだった。


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