第4話 令嬢は出会った


「あなたは……………?」


 フィオーラは青年を見上げ固まった。


 美しい。

 瞬きする間さえ惜しいほどの、人間離れした美貌だ。


 銀の髪は、毛先にほのかな緑の宿る不思議な色合い。

 瞳は若葉を映した朝露のように、鮮やかに透明に輝いている。

 肌には染み一つなく、滑らかで美しい輪郭を描いていた。


 神殿に祀られた彫像が命を得たような、神々しささえ感じる青年だが、どこか懐かしい気がする。

 時が止まったように錯覚した一瞬の後、フィオーラは慌てて叫んだ。


「大丈夫ですか⁉ 炎が当たって――――――――」

「炎程度で、僕が脅かされるわけないだろう?」


 青年の言葉に、フィオーラは足元を見た。

 本当だ。

 炎が周囲の地面を舐めているが、青年の靴や服はわずかも燃えておらず、煙も上がっていなかった。


「でも、そんな近くに炎があって、熱くはないのですか⁉」

「熱い? あぁ、この感覚が、人の子の感じる熱さというものか。君も熱いのかい?」


 青年に、逆に問いかけられてしまった。

 フィオーラははっとして、自分の服や髪に火が飛んでいないか確認した。

 よかった。

 少し指先と毛先が焦げたくらいで、大きな火傷は無かったが、一つ問題がある。


 気づけばフィオーラの足は、宙にぶらりと浮いていた。

 ミレアに突き飛ばされ、転びそうになったところを、青年に助けられそのまま抱き上げられていたようだ。


「お、下ろしてください!! 重たいでしょう!?」

「フィオーラ、君が望むならそうしよう。けどまずは、君の安全を確保するのが先だよ」


 …………私、名前は教えていないはずでは?

 フィオーラが小さな疑問を覚えていると、青年が空を見上げた。


「フィオーラ、命令をくれ。炎を鎮め、無為に緑たちが燃えぬよう、雨を降らせと命じるんだ」

「雨を⁉ そんなことできるわけが―――――――――」

「できるよ。僕の力なら、そして君が命じてくれれば、その程度は簡単なことさ」


 陽が東から昇るように、冬の次に春が来るように。

 当たり前の事実を告げる声色で、青年が答えを返した。

 緑の瞳に嘘の気配はなく、静かにフィオーラを見つめていたから―――――――――


「…………お願いします。雨を降らせ、どうか炎を消してください」

「承ろう。――――――――――さぁ、僕の腕の中で見ていてくれ」


 歌うように、青年の声が響いた。

 一瞬、世界そのものが震えた気がする。

 木立がざわめき、風がフィオーラの頬を撫でていく。


「あ…………」


 地面に一つ、小さな滴が落ち弾けた。

 一つ、二つ、三つ四つ五つ――――――――――。

 雨粒が増え、急速に雨脚が強まっていく。


 すぐに本降りになった雨により、炎は勢いを失っていった。

 煙さえ残さず、火と熱が消し去られていく。

 延焼が食い止められたことにほっとしつつ、フィオーラはそっと自身の服を見つめた。


「濡れてない…………」


 頭上を見上げると、フィオーラと青年の上にだけ、雨雲もなく日差しが輝いている。

 立ち込める雨のヴェールを背景に、陽を受けた青年の美貌が浮かび上がるのを、フィオーラは呆然と見つめた。


「あなたはなんなの――――――」

「ちょっと‼ あんた何者なのよ⁉」


 フィオーラの呟きを遮ったのは、いきり立ったミレアの叫び声だ。

 突然の青年の登場に驚き様子をうかがっていたものの、耐えられなくなったようだった。


「いきなり現れてその女を助けて、一体何がしたいのよっ⁉」

「うるさいな。少し黙っていてくれないか?」


 ミレアの怒声が青年の背中に当たるも、青年は怯むこともなく無表情だ。


「うるさい⁉ 私のこと、馬鹿にす―――――――――」


 声が急速にしぼんでいく。

 うっとうしそうに振り返った青年の顔が、ミレアの視界に入ったようだ。

 ミレアは雨でずぶぬれになった金髪を顔に張り付かせ、魂を抜かれたように青年を見つめている。


 急速に弱まっていく雨越しに、ミレアの頬が赤くなるのをフィオーラは確かに見た。

 ミレアが興奮し鼻の穴を膨らませ、青年へと甘ったるい声をあげる。


「気に入ったわ。あなた、ずいぶんと綺麗な顔をしているのね? 私の恋人にしてあげてもいいわよ?」

「恋人というと、特別に仲の良い男女の関係ということかい?」

「そうよ!! 伯爵令嬢である私の恋人になれるんだもの。感謝しなさいよ!!」

「感謝しろ? 僕はあいにく、害虫と仲良くする趣味はないよ」

「…………害虫?」


 ミレアの声がひび割れた。


「私、聞き間違えたのかしら? この私を虫呼ばわりなんて、そんなわけないわよね?」

「虫じゃない、害虫だ。花々を飛び回り受粉を助ける虫の方が、君よりずっと上等な存在だ」

「虫以下ですって⁉ なんで初対面のあんたに、害虫呼ばわりされなきゃいけないのよ⁉」

「フィオーラを突き飛ばし、燃やしかけたんだ。害虫以外の何物でもないじゃな―――――――っ⁉」

「二人とも落ち着いてください!!」


 涼しい顔でミレアへと毒を吐く青年の口を、フィオーラは慌てて押さえた。

 青年の正体はわからないが、伯爵家の娘としてわがまま放題のミレアを敵に回して無事では済まないはずだ。


 衝撃の事態の連続にしばらく傍観してしまっていたが、ミレアを怒らせてはまずい。

 そう気づき青年を止めたフィオーラだが、一歩遅かったようだった。


「あんたもその男も、躾が必要なようね?」


 懐から愛用の鞭を取り出し、ミレアがフィオーラを睨んだ。

 八つ当たり。完全なとばっちりだった。


「私を馬鹿にしたらどうなるか!! 痛めつけてわからせてあげ――――――――きゃああぁぁぁ――――――っ⁉」


 ミレアの悲鳴が急速に遠ざかり、上へ上へと昇っていく。


「蔦が………⁉」


 突如ミレアの足元から伸びあがった蔦が、その胴体に巻き付いている。

 三階建ての屋敷の屋根より遥かに高く持ち上げられ、ミレアが手足を振り回していた。

 今や雲一つない青さを取り戻した空に、金の髪がばらまかれている。


「やあっ!! いやぁぁっっ!! 離して‼ 下ろしなさいよっ!!」

「どうする、フィオーラ? 彼女の願い通り、今すぐ蔦を解いて落としてあげようか? そうすれば、少しは静かになるはずだ」

「そ、それはやめてあげてください………」


 淡々とした口調でとんでもない提案をする青年に、フィオーラは軽い頭痛を覚えた。


「この蔦は、あなたが操っているんですよね?」

「そうだよ。あの害虫が君を害そうとしたから、今回は特別に、君の許可なく力を使わせてもらったんだ」

「私の許可…………?」


 事情はよくわからないが、フィオーラがお願いすれば、青年は従ってくれるのだろうか?


「だったらミレアを、蔦で持ち上げている彼女を、地面に下ろしてあげてください。あんな高い場所から落ちたら、彼女は死んでしまいます」

「君を痛めつけようとした彼女を許すのかい?」

「……………見殺しにしたいとまでは、思いません」

「優しいんだね。それとも甘いって言うのかな? まぁいいや。君が望むなら、彼女の命は助けてあげるよ。…………血が飛び散っても面倒だしね」


 さらりと残酷な言葉を吐きつつ、青年が肩をすくめた。

 それが合図だったかのように、蔦がゆっくりと縮み、ミレアの体を下ろしていく。


 ミレアの足が地面につき、胴体から蔦がほどける。

 自由になったミレアは、しかし足腰が立たなかったようで、雨でぬかるんだ地面に座り込んでいた。


「なんなのよ……………? その男、一体なんだっていうのよ…………?」


 ――――――――――それは私も知りたいです、と。

 心の中で珍しく、ミレアに同意したフィオーラなのだった。 

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