第3話 令嬢は燃やされかける
「あら、その顔だと、無事に婚約破棄されたようね。おめでとう」
「義母様………」
リムエラの声に、フィオーラはふらりと振り返った。
「ヘンリー様に婚約破棄を勧めたのは、義母様なんですね?」
「人聞きの悪いことを言わないでくれるかしら?」
「でも、今、おめでとうって………」
「ヘンリーがおまえのような薄汚い娘と縁を切れたんだから、お祝いすべきでしょう?」
おめでとう、おめでとうと繰り返すリムエラの声には、濃厚な悪意の色がある。
「なぜですか…………? なぜ婚約を妨害したんですか? そんなにも私のことが憎いなら、顔も見たくないほど嫌いなら、結婚させこの家から追い出してしまえばいいでしょう………?」
「その程度で、母親の罪が許されるとでも思って?」
リムエラがフィオーラの顎に手をかける。
「あの女が死んで、ようやく私は主役になれたんだもの。遠慮するつもりはないわ。今度は私が、おまえに素敵な婚約者を見つけてきてあげるわよ? そうね、例えば、ヴィエント子爵様なんてどうかしら? 女をいたぶらないと興奮できない方らしいけど、おまえにはぴったりだと思わない?」
「私はっ…………!!」
「逃げ出すのかしら? 小娘一人で、どこへいけると思うの? それに、おまえがいなくなったら、ノーラがどんな素敵な目に会うか、想像できると思わない?」
フィオーラは唇を噛んだ。
わかっている。
まともな知人一人いない自分が逃げ出したところで生活費一つ稼げず、伯爵家の権力を使われすぐに捕らえられるに決まっていた。
外部に訴えるのも無駄だ。
貴族は母親が平民のフィオーラのことを蔑んでいるし、平民は伯爵家の権威を恐れ関わろうとしないはず。
だからこそ、ヘンリーとの結婚が唯一の希望だったのだが、その道も義母によって潰されてしまった。
「おまえなんて、生まれてこなければよかったのよ」
義母の哄笑が鼓膜を叩く。
どうしようもない現実を前にフィオーラができることは、せめて涙は見せまいと、強がることだけなのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ヘンリーから婚約を破棄されて以来、フィオーラの待遇は一段と悪くなっていった。
元より、伯爵令嬢としてはあり得ない粗雑な扱いをされていたが、更に悪化している。
ヘンリーという外部の人間の目が無くなり、リムエラの悪意も箍が外れたようだった。
食事は日に一度口にできればいい方で、早朝から深夜まで働かされた。
平民の娘でもとっくに心折れる毎日だったが、それでもフィオーラは頑張っていた。
一度折れたが最後、二度と立ち上がれないと、心のどこかで理解していたからかもしれない。
それでも、疲労は確実に蓄積し、空腹は精神を蝕んでいく。
ミレアやリムエラからの暴力の頻度も増え、全身が青あざだらけになっていた。
「疲れました…………」
ぼんやりと地面に座り込み、呟いた。
貴重な休憩時間だ。
少しでも横になって体を休めねばとわかっていたが、もう動きたくなかった。
目の前の、母の形見である若木を見る。
フィオーラによって水を与えられ、生き生きとしている気がした。
忙しい毎日だったが、それでも土が乾いていれば、欠かさず水をやっている。
辛い日々で、辛うじて精神を保っていられるのも、若木の存在があったかもしれない。
若木の世話をする気力さえなくなった時が終わりなのかもしれないと、フィオーラは空腹をなだめつつ考えた。
「フィオーラ………?」
「………セオ様?」
声をかけてきたのは、知人とも呼べない、微妙な関係の青年だ。
初めて出会ったのは、3年前。
伯爵家の庭は、北が森へと続いているせいか、たまに外部から人が迷い込んでくることがあった。
セオと名乗った彼も、どうやらその手の人間のようだった。
目深にフードを被っていたが、整いすぎた顔立ちと、品の良い振る舞いを隠しきれていない。
どこかの貴族が森を散策中に、迷い込んできたに違いない。
この近くに住んでいるのか、彼は時折フィオーラの元を訪れ、気安く声をかけていた。
彼は、フィオーラの母親のことも知らないのかもしれない。
気まぐれに訪れる彼は知人と呼べるかも怪しかったが、ヘンリーという婚約者がいる身で誤解されるのもよくないので、ここ一年ほどはフィオーラの方が避けていたのだ。
「フィオーラ、かわいそうに。そんなに痩せこけてしまって大丈夫かい?」
慰めるように伸ばされた手から、フィオーラは身を逃した。
「大丈夫です。少しだけ、ぼんやりしていただけですから」
誤魔化すように、空腹で鈍る頭を回し言葉を紡ぐ。
セオの手を避けたのは、婚約者でもない男性と密着するのを避けるためだが、それだけでは無かった。
フィオーラは、少しセオのことが苦手だ。
セオはいつも優しく、労りの言葉をかけてくれたが、なぜか素直に安らげなかった。
彼に助けを求めるべきかもしれないが、頼ることを本能が拒絶していた。
おそらく原因は、セオが義母と同じ、金の髪と紫の瞳をしているせいだ。
理不尽な理由だが、体に刻み付けられた苦手意識とでも言うものは、なかなかに根深いものだった。
「君は、簡単には私の手を取ってくれないのだな。私に群がってくる、他の浅ましい女とは大違いだ」
セオはフィオーラの拒絶も気にせず、甘いまなざしを投げかける。
喜ぶべきなのかもしれないが、フィオーラに訪れるのは困惑と、背筋が粟立つ感覚だけだ。
「あと少しだ。もう少ししたら、君をこの手で幸せにすると誓うよ。今日のところは帰るが、待っていてくれ」
「セオ様、何をおっしゃっているのですか………?」
フィオーラの問いかけに答えることなく、セオは森の中へと消えていく。
何を伝えたかったのだろうか?
疑問が残るが、それもやがて過酷な生活の中に埋もれ、フィオーラが思い出すことはなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それは晴天が続き、空気の乾燥した日のことだった。
フィオーラが納屋の自室で横になっていると、何やら焦げ臭いにおいがした。
「火事っ⁉」
慌てて飛び起き、外に出て納屋を見る。
良かった。
納屋は燃えていない。
だが、だとしたらどこからこの匂いが?
「あそこは………!!」
母の形見の、若木の植えられている方向だ。
恐怖に駆られ走り出す。
行く手にちろちろと燃える赤い炎と、使用人を連れたミレアの姿があった。
「ミレア様、どうしてここにっ⁉ その炎はなんですか⁉」
「あら、思ったより早かったわね」
「何をしたんですか⁉」
フィオーラは若木を確認した。
幸い、まだ燃えていないが、近くの草むらが火を吹いている。
「水を‼ 早く水を持ってこないと――――――――っ?」
進路を妨害するように、使用人が立ちふさがった。
「どいてください!! 火が見えないんですか⁉」
「見えてるわよ。だって、火をつけたのは私なんだもの」
「⁉ ミレア様がっ⁉ なんでそんなことを⁉」
「あんたのその顔が見たかったからよ」
ミレアがほくそえんだ。
「あんた、最近はいじっても無表情のままで、反応が悪くなってたでしょう? そんなの、つまらないじゃない」
「つまらない…………?」
「そんな時、私見ちゃったのよ。あんた、そこにある木に水をやり、話しかけてたでしょ? 馬鹿みたいだと思ったけど…………その木が燃えたら、あんたの顔、面白いことになりそうじゃない? 予想的中したでしょう?」
「そ、ん、な理由で…………」
たったそれだけの理由で、若木は焼かれようとしたのか。
思考と感情が停止し、煙を吸い込みせき込む。
「っ…………!! まずは、火を消さないと‼」
妨害で水が使えない以上、炎を吹き飛ばし消すしかない。
あの若木が燃えたら、たぶん自分も立てなくなる。
エプロンドレスの前掛けを外し、炎を吹き消す勢いで振り回す。
体を炎の舌先がかすめるが、構うことなく動き続けた。
「我ながら、素晴らしい考えだと思ったけど。その木、なぜか燃えにくいのよね。だから、周りから燃やすことにしたんだけど―――――――――って、ちょっと、私の話を聞きなさいよ⁉」
ミレアの怒声も、必死なフィオーラの耳には入らなかった。
いつもは怒鳴り声一つで謝るフィオーラに無視され、ミレアは眉を跳ね上げた。
「生意気‼ あんたなんか、その木と一緒に燃えちゃえばいいのよ!」
「きゃあっ⁉」
ミレアに突き飛ばされ、体勢が大きく崩れる。
崩れ落ちる先には、真っ赤な炎が燃え盛っていて――――――――
「………………熱くない?」
「まったく。目覚めてそうそう、騒がしいことだね」
涼し気な声がふる。
倒れこむフィオーラを抱きかかえるようにして、見慣れない青年が立っていた。
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