第7章-10 脛蹴屋のひとりごと

 え? 一瞬何が起こったのかわからなかった。


 自分の状況を落ち着いて落ち着いて確かめてみる。しかしどう考えても、頭を抱きかかえるような格好で俺は桜玖良に抱きしめられている、そうとしか言えない状況である。あれ、今夢の中にいるんじゃなあかろうか?

 桜玖良の息遣いがすぐそばで聞こえる。あたたかいぬくもりに包まれて。そして心なしか彼女の心臓の音も聞こえている気がする。そしてなんかいいにおいがする。


 なんか一生このままでもいいなあ……なんて良からぬことを考えていたら、急にそのぬくもりは消え去ってしまった。


「はっ」


 桜玖良が慌てて自分の席の方へととびのいてしまったようだった。俺が顔を上げると、そこには口を開けっぱで真っ赤になった桜玖良の顔。


「え、ええと……」


「あ、そうだお兄さん、あ、頭になんか、つ、ついてましたよ……」


 言いながら指をくにくにと動かして、捨てる仕草をした。


「え、ええと……そりゃどうも」


 あれ? 桜玖良は俺の頭についてたゴミをとった……だけ? いや、さすがにそんなわけ……いや、正直もう数十秒前のことがはっきり思い出されない。現実と夢の境界があいまいで判別がしかねる。単純に俺は自意識過剰なのかもしれない。そうだ。コイツが俺のコトなんて……ねえ? そ、そんなわけないよな? 俺は改めて桜玖良の顔をじっと見つめた。しばらく目線を泳がせていた桜玖良がこっちに気づく。


「こっち見んなし。キモいからっ」


 はい、キモイいただきました。うん、やっぱないわ。そういうことにしておこう。


 俺たちの間にはしばらく沈黙の時間が流れた。正直気まずい。でもさっきまでとははっきりと違う空気というか、言葉にはしにくいんだけど、なんかいい気持ちというか、少なくとも俺の気分はただ暗いものではなくなっていた。

 

 ただ、だからといって何かが解決したわけでもなんでもないんだよなあ。どうすればいいのか……しほりんだけじゃない、目の前にいる桜玖良のためにも、この2人がまだまだアイドルでいられるように、彼女たちの願いが続くように、

 

 そして何より俺が、そんな未来を見ていたいんだ。



 でもどうしたものか。



「「えっと……」」


 偶然に二人の声が重なった。

「お兄さん、先どうぞ」

「いやいや、桜玖良からでいいよ」

「いやいや」

「いやいや」


 そしてまた沈黙が生まれてしまった。

 俺から口を開くことはできる。だが、先に目の前の相棒の想いを聞いておきたかった。俺がだんまりを決め込むと桜玖良が先に折れてくれたようだった。


「やっぱり、このままじゃだめだと思うんですよね」


「……だろうな」


 まあそんなことはわかっている。わかっているのだ。



「しほちゃんパパ……お父さんって、しほちゃんのことが大好きなんですよね」


 桜玖良が話し始める。


「昔からもうヤバいくらいにしほちゃんのこと好き好き大好き愛してますって感じで、すごかったんですよ。だからアイドル始めるときに絶対心配するだろうなあって思ってたんですけど、むしろ可愛い娘の頼みだから、夢だからって、率先して応援してましたね。だから、しほちゃんがひどい目にあって、心配だからそれでアイドルやめさせるっていうのはむしろ自然なことで……正直わかっちゃうんですよね、まあそうなるだろうなって感じで」


 俺は適当に相槌を打って話を促す。


「でね、しほちゃんもそんなパパのことが大好きなんですよね。今でこそあれですけど、小さいときはもうべったりというか、私がいてもしほちゃんパパが帰ってきたときにはパパって言いいながら走って行って抱きついて……みたいな(笑)もうしほちゃんママも含めて本当に仲がいいんだなあっていう、私の中で理想の家族というか、うらやましいなあってずっと見てきたんです」

 

 桜玖良が淡々とこぼす。


「だからそんな家族が今みたいになってるのは……見たくないというか、ショックというか、ああ……しほちゃんとこでもこうなっちゃうんだ……みたいな。あんなに仲の良かった二人が、今でもきっとお互いのことが大好きでたまらないはずなのに、むしろ大好きだからこそ、あんなふうに衝突してぎすぎすして、あのしほちゃんが一生口きかないっていうなんて冗談でもあり得ないというか、これがずっと続いちゃうのかもって思うと、それは嫌だなあっ……て思うんですよね」


 桜玖良はさっきから下を向いたまま。


「でもさぁ……愛がないんじゃない、愛があるからこそあんな風になっちゃうなんて、そんなの、おかしくない、ですか?」


 桜玖良は泣いてはいない。


「しほちゃんはやっぱり、ていうか子供はどうしても親の言う通りに生きなきゃいけないんですよね、いくら自立したいとかいっても、少なくとも成人するまでは、自分の力で生きていくってお金の面でも心の面でも無理だと思うんです。だから結局親のいうことにはどうしたって従わなきゃいけないから」


 桜玖良の表情はこっちからは見えない。


「だからしほちゃんには今の状況はどうしようもない、部外者の小島さんにも私たちにもどうしようもない、だったらこの状況が変わるには……」


 桜玖良は顔を上げる。


「しほちゃんパパが変わる……しほちゃんパパの気持ちを変えないと……」


 

 言うなり桜玖良は黙りこくってしまった。


 相変わらず下を向いたままの桜玖良。しかし、これで彼女の気持ちがわかった、しほりん父の心を変えないと、どうにもならない……そうだ、最初から俺の方でも答えは決まっていたはずだ。ただ怖くて逃げていただけ。こんなとこまで来といてなんだお前?って感じだけど……自信がなかった。


 でも……


「決めたよ桜玖良」

「え……?」


「もう一回、しほりん父に会いに行く」






 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る