第7章-6 夢見る男子は悲観主義者(ペシミスト)

 朝目覚めると、この季節にはまだ珍しく、ぐっしょりと汗をかいていた。


 どうも嫌な夢を見ていたようだ。しかし内容までははっきりとは覚えていない。ただ何となく後味のすっきりしないもやもやとした感覚が残っている。夢なんてどうでもいいはずなのに。

 俺だけなのかはわからないけれど、時々なぜかもやもやとした感情に襲われてしまうことがある。なんとなく気持ち悪さを感じながら過ごしてるうちに、その気持ち悪さの理由に思い至ることができると、そのもやもやの正体に嫌な気持ちになるが、なぜだか少し気分は楽になる。しかしその正体が掴めないとずっと気持ち悪いままだ、まったく思い出せない夢なら猶更その不快感は増すだけだ。

 どうせ夢ならもっといい夢見せてくれよな。ただでさえ最近ハードなことばかりなのに。


 台所へ向かうとすでにそこには珍しく早起きの亜季乃がいた。

「今日、早いな」

 しかし声をかけても何の反応もない。ろくに挨拶もしないのはいつものことではあるのだが、ただ、今日は明らかにいつもとは感じが違っていた。

「行ってきます……」

 いつもなら朝からテンション高い亜季乃が一言だけぼそっと告げて静かに玄関から出て行った。おかしすぎる。そして驚愕したことに食卓を見ると、なんとトーストが2枚も手を付けられずに残っているではないか。これは……異常事態、雨が降るな。


 ただまあ、気持ちはわかる。あんなに推しまくっていた推しのアイドルの引退が発表されてしまったのだ。そりゃ落ち込むのも仕方ないか。特に亜季乃のハマりっぷりは尋常ではなかった。


 どうしていいかわからない。でもどうしようもない。そしてこの気持ちをどこに持っていけばいいのかわからない。


 どうすればよかったのか。もっと俺にできることはなかったのか。一体どうしていたら今の見たくない現実に向かわずにすんだのか。


 ああ、学校行きたくねえ。


 しかし、俺よりきっとショックが大きいだろう亜季乃がサボってないというのに自分が休むわけには行かない。俺は陰鬱な気持ちで学校へと向かった。


 

「南方氏……なんかあったでござるか?」

「え?」

「いや、いつもより口数少ないというか、テンション低いというか」


 校舎裏の昼食タイム、太洋にそう言われて初めて俺も落ち込んでいるのだという事に気づいた。しかし2次元同盟の太洋にはこのことはやはり言えなかった。親友なんだから打ち明けたらきっと話を聞いてくれるだろうし、少しは気も楽になるんだろう。太洋は優しいから2次元厨なりに理解してくれようとするだろう。でもそれもなんか違う気がする。決して今のこの状況をちゃんと共有できることは……いや、できるのはきっと……


「いや別に……いつもこんなもんだろ」

「そうでごわすか。拙者の思い違いでござったようでござった」


 そう言ってはむはむとパンを頬張りに戻る太洋。彼の横顔を見ながら思った、すまん太洋。でもいつか俺はお前に本当の俺の思いを打ち明けたいのかもしれない。お前との血の2次元同盟は俺の心のよりどころでとても大切な絆なんだ。いままでどれだけこの同盟に、お前に救われてきたかわからない。


 でもさ太洋? 


 3次元も思ったより悪くないんだぞ? 


 むしろ時と場合によっては3次元の方が素晴らしいまであるぞ?


 いやそこまでじゃないか。全然こっちの思うようにいかないんだ。


 確かに一人の方は、そりゃ優しくて可愛くて頑張り屋で歌もダンスも完璧で、もうむしろ3次元かよ?って疑いたくなるほど2次元よりの完璧アイドルなんだ。きっと太洋、2次元専門のお前でもきっと推せる、と思うんだよ。それでもさ、実は全然2次元じゃなかった。昨日さ、初めて彼女の本当の一部を見せられた気がするんだ。実は全然彼女のことを見れてなかったんだ俺は。それが本当にショックなんだよ、情けないって言うかさ。実は俺が思ってるような存在じゃなかったかもしれなくて、ちょっと怖くなっちゃったっていうかさ。でもさ、俺がずっと見てきた彼女も嘘なんかじゃないはずなんだ。だからさ、俺は、彼女のことをもっと知っていきたい。彼女の本当の気持ちを知ってみたい。もしかしたらあまりいい結末にならないかもしれない。でもさ、やっぱり俺は、彼女の笑顔が、本当の笑顔が、俺は見たいんだよ。


 もう一人の方はさ、正直ちょっとおススメはできかねますって言う感じなんだ。いやむしろやめた方がいいと忠告しておくわ。見た目はさ、めっちゃ可愛くてさ、美人でスタイル抜群で歌もうまくてこれから期待の超有望株新人アイドルなんだ。ただね……まああっちの方がね、うん、性格がね、ちょっとあれでね? ちょっとキツイというか率直に言えばドSというかね、言葉攻めもキレッキレなんだが物理攻撃的にも脛蹴りの威力が半端なくってね。全くお勧めできなかったね、うん。ただちょっとMっ気のありそうな太洋は案外ハマりそうな気もするんだなこれが。ただ、奴がどぎつく当たるのはどうも俺だけのような気もするんだよな。友達とかにはすごく当たり柔らかいというか、あれ、何で俺こんな嫌われてるんだろう?w でもさ俺は多分わかってるんだ。言葉にしたらっこっ恥ずかしいから言わないだけでさ。


 俺が出会ってしまった二つの3次元の存在。


 もう俺はそれを知らなかった頃には戻れないよ。だったらさ、最後までとことんこの面倒な感情に付き合ってやるしか道はないんじゃないか。


 正直どうすることが最善なのか、正解なのか、全然わからない。ただ、今、俺は、無性に……


 とりあえず、俺の腹は決まった。まずは急いで帰って亜季乃に……


 俺は授業が終わり次第教室を飛び出した。走って走って、そして校門を抜けたところで、


「ねえ、あれどこの制服?」

「めっちゃ可愛くない?」


 数人の生徒が騒いでいる様子が目に入った。


 そんな暇ねえよ。早く家に帰って、


「ちょっと!」


 早く家に帰って、


「だから、ちょっとってば!」


 早く家に帰って、


 カラダが後ろにつんのめる衝撃とともにつんざくような声


「もうっいい加減にっ!」


 俺の腕が掴まれていた。目の前にあったのはここ数か月に至っては親の顔よりも見たお顔。今俺が一番見たかった顔。さすが俺の相棒、手間が省けたぜ。そしてどうも俺も他人のこと言えないらしい。いや、似たもの夫婦というべきか。夫婦なんて冗談でも口にしたら本気で殴られそうだな、なんてな。




「……なんでいんだよお前」

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