第6章-14 閉塞

「お父さん、今後どうするかは置いといて、今はしほちゃんの引退の件で話を聞いてほしいんです」


 桜玖良がすっと話に入ってきた。

 流石だ。俺が言いにくくてどうしようかおろおろしてるだけだったのに、大したもんだ。って感心してる場合じゃない。


「そ、そうです。今日僕たちがここに来たのはその……」

「申し訳ない」


 急にしほりん父はがたっと立ち上がって、頭を下げた。


「いや、そういうことじゃ……」


「今回のことは全て私に責任がある。社長さんやグループの皆さん、そして君達にも迷惑をかけて本当に申し訳ない。でもこれもすべてしほりのためなんだ、どうかわかってほしい」


 そういうことじゃなくて……でも、大の大人がこんな風に謝ってるところを俺は初めて見た。


「で、でもしほちゃんはっ、アイドルを続けたいはずですっ、だってずっとずっと昔からアイドルになりたがっていたんだから!」

「もちろんそれはわかっているつもりだ。いつからか恥ずかしがってしてくれなくなったが、前はよく私たちの前で歌とダンスを見せてくれたものだ。本当に幸せな時間だった。しほりのことをずっとずっと一番に応援してきたのは私たち夫婦だという自信はある」

「だったらっ」


「だがね」


 冷めるように透きとおった低い声だった。


「だがね、いつまでもアイドルでいるわけにはいかないんだ。人はどうしても齢を取る。どんなに望んでもアイドルでいられる、いやアイドルとして輝ける時間は限られているんだ。そしてアイドルをやめた後の人生の方が遥かに長い。私は決してしほりにその後の人生を無駄なものにしてほしくない」


「そ……それはそうなのかもしれませんけど、どうしてそれが今アイドルを辞めさせることになっちゃうんですか?」


「君達にはぴんと来ないだろうけど、人の人生ってものは大体がね、出た高校と大学で決まってしまうものなんだ。もしいい仕事について、いい相手と巡り会って、そして不自由ない暮らしをするためには、今が、今が一番大事なんだ。大人になってからいくら頑張っても出世やいろいろな場面でどうしても越えられない壁が出てくる。でも今ならまだ壁はない。今頑張って勉強して上に行っておけば、この先の人生ずっと幸せでいられるんだ」


「そ、そうなのかもしれないですけどっ、でもっ、しほちゃんはきっとアイドルをやってる今が一番幸せなはずです。それを超える幸せなんてっ」




「じゃあその先はどうなってもいいということかい?」




「そ、そんなことは言ってな……」

「私はしほりにはこれからもずっと幸せでいてほしい。このままアイドルを続けていったら壁にぶつかることも辛いこともきっとある。今だってアイドルやってるおかげでおちおち外出もできない。サイン攻めに写真撮られる位ならまだいい、我慢すれば済む。でもね、彼女がこれから成長してもっと綺麗に、有名に、人気になっていったらどうだろう? 待ち伏せやストーカーの心配も益々尽きない。考えたくはないがファンに襲われることだってあるかもしれない。そうなってから悔やんでも遅いんだ。同じ立場の君ならわかるだろう?」


 桜玖良を横目に見たが、何かを言いたげに唇を震わせていたが、言葉が出てくることはなかった。


「アイドルが大好きな彼女だからこそ、アイドルなんかやってなかったら……っていうような想いは絶対に、絶対にしてほしくない。アイドルを大好きなままで、いい思い出を抱いたままでアイドルを卒業してほしいんだ。幸いしほりは恵まれた方だ。世の中には日の目を見れないまま消えていくアイドルだっていっぱいいるのに、ローカルアイドルとはいえたくさんのファンがいて人気がある。今が一番楽しいだろう。本当に見ていてキラキラしてて眩しくてうらやましい限りだよ」

 

 しほりん父は眼鏡をわずかに上げた。


「だからもう充分だ。アイドルにいいイメージを持っていられる今のうちにやめた方がいい。誰でもいつかはアイドルができなくなってしまう時が来てしまうんだ。その時に自分で悲しい決断をする位なら……もっとやりたかったのに……と未練が残る位でいい。今なら私のことを恨むだけで済む、アイドルだったことを悔やむよりその方が遥かにいい」

 しほりん父は言い切って、そして息をつき、椅子に深くもたれかかった。もう何も言い残すことはない、とでも言うように。


 あんなに意気揚々とやってきたはずの俺たちは、ただどうすることもできず座っているしかなかった。予想以上に重い父親の覚悟とでもいうやつに触れてしまった今、こんな他人の分際のイチ高校生なんかに何が言えるというのだろう。俺には無理だ。頼みのはずだった桜玖良も流石にもう反論できるような勢いはなくなっていた。


「それじゃあ……」




 それでも彼女は諦めないのか。




「しほちゃんは……なんて言ってるんですか?」

 

 

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