第6章-12 対峙

「いらっしゃい、桜玖良ちゃん」


 高級そうな椅子に座ったままこちらに向いたその男性は、意外にも少し高めの優しそうな声で、言った。初めて見るはずの、いや動画でちらっとだけ見たことはあるのだが、実際のしほりん父はとても優しそうな雰囲気で、細身の、物腰柔らかそうな感じ。あの騒動の動画での姿やこれまでに聞いていた話とは印象が全然違って感じられた。何より隣の桜玖良に向けられた温かい視線……


 これがあの、しほりんにアイドルやめさせようとしている、あの父親なのか?


「ご無沙汰してます」


 いつもよりわずかに高い桜玖良の声。


「昔は毎日のようにしほりと遊びに来てくれてたのにねえ、しばらく見ない間にこんなに美人さんになってしまって」

「しほちゃんには敵いませんって。しほちゃんのお父さんもお元気そうでよかったです」

「まあそこそこね。桜玖良ちゃんももっといらっしゃいね。また前みたいに遊びに来てくれると僕たちも嬉しいよ」

「ありがとうございます。そう言ってもらえるとうれしいです」


「で、そちらの方が……」


 しほりんのお父さんがぎろっとこっちを向いた。さっきまでの穏やかな雰囲気が一変? いやきっと気のせい、気のせいだよね!? 穏やかな表情はそのままだが、目が笑っていない、こちらを値踏みしているかのような厳しい眼差し。怖いよ、怖いよおおおお!


「ええと、私と同じ幼稚園で一緒だった友達の亜季乃さんのお兄さんで……」


 桜玖良がこちらに振ってくれた。そうだ、最初が肝心だ、しっかりしなければ!


「は、初めまして。み、み南方といいますっ。今日は突然お邪魔させて頂いてす、すみません」


 よ、よかった。何とか噛まないで言えたぞ。


「こちらこそ初めまして、しほりの父の裕介です。今日はわざわざお越しいただいてありがとうございます。どうぞ、お掛けになって」


「ひゃ、ひゃいっ、失礼しますっ」


 ……あ、噛んだ。


「ちょっと、本当にしっかりして」

 

 小声で桜玖良に怒られる、はい、すみましぇん。二人分用意されたソファに腰掛ける。やべえ、この前の事務所の時よりもさらにふかふかだぞ。こりゃうちのソファなんてただの「木と布」って感じだわ。


「さて……」


 こちらがどうすればいいだろうかと考えていた中、先に切り出してきたのはしほりんのお父さんの方だった。


「二人は何も遊びに来たわけじゃないんだよね、僕と話がしたかったと聞いてるけれど……おそらく、しほりの引退の件だよね」


 あっさり核心に迫らされることになってしまった。あれれ? 予定では世間話を交えながら徐々に仲良くなっていって、それからしほりんを引退させないでくださいお願いしますっって流れだったのだけど。


「は、はい。そうです」

 桜玖良が答えてくれた。さすがの彼女も若干緊張してるみたいだった。

「君たちにも迷惑かけて、本当にすまないね」

「い、いえ、そんな……」



「しほりの引退の件は、本当に私だけが悪いんだ」



 そう言うとしほりんのお父さんは少し下を向いた。そしてまた話し始めた。

「もう自分の娘のことが心配で心配でならなくてね。元からずっと心配ではあったのだけど、いろいろとあってね……見ず知らずの人たちにまで注目され追いかけまわされるような暮らしはさせたくないし、私たちもそれを望んでいない。どこにでもいる普通の家族として暮らしたいし、普通の学生としていさせてあげたいんだ。何より絶対に危ない目に合わせるわけにはいかない。何かあってからじゃ遅いんだ。だから」

 そこで顔を上げて、俺たちに向かって


「私の独断でしほりの引退を決めた」


 しほりのお父さんは話し方も穏やかで、一つ一つ言葉を積み上げるようにして置いていく人だった。桜玖良が焦ったようにそれを遮った。


「で、でもしほちゃんは、それでもアイドルを続けたいはずですっ、だからこの前のテストだって頑張って……」


「そうだね。彼女の頑張りは痛いくらいわかってるつもりだよ。だからこそあの条件を出したのは失敗だったかもしれない。まさかしほりがあれほど頑張るとは思わなかった。いつも勉強頑張っているのは知っていたが、さらに輪を輪をかけるようにしてね。途中から痛々しくて見てられなかった。そしてもし彼女が条件をクリアできてしまったら、いやそんなことないはずだったが、一体どうしようってね……怖かった。そしてそのまさか、実際にその通りになってしまった」

 そして溜息を一つついた。

「本当は彼女が順位を越えられずにアイドルをあきらめてもらうのが一番すっきりすると思った、うちの娘は一度言ったことは絶対に守るからね。だから敢えて無理めな順位を設定した、設定したはずだった……」


 そんな……。横の桜玖良の声が小さく漏れるのが微かに聞こえた。


「はずだったんだが……」


 そう言うなりしほりん父は俺の方をちらと見た。目が怖い。やっぱり俺のことを目の敵にしているように思えてしまう、そんな目だ。どうか気のせいであってほしい。


「南方君と言ったね」


「は、は、はい」

 何とか声が出た。やだ、これ体に悪いわ。

「君がしほりの勉強をずっと見てくれてたんだろう? 娘や妻から君の話をよく聞いているよ」

「へ、すすすいません」

「ちょっとお兄さん、ちゃんと喋って!!」

 桜玖良が突っこんでくるもそれに返す余裕は最早ない。



「なんで謝るんだい、むしろこっちは感謝しているんだよ」



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