第6章-6 扇動
人海戦術……って何なんだよ?
映像が切り替わって、女性の二人組の後ろ姿。
「あのーすみません」
「え、えーっと何ですか?」
振り向いた女性たち、その眼もとにはモザイクみたいなのが入ってぼやかしになっている。
「しょこらりっぷすの、しほりんって知ってますか?」
「え、ええもちろん……」
「今、そこにいるんですよー」
「え、本当!?」「マジで!?」。
「そうなんですよー、ゲリラサイン会やってるんで~。行くなら早くいった方がいいっすよー」
「え、あ、ありがとうございますっ」「やったー、早く早く!」
二人組が慌てて走り去っていく。
そして他にも同じような人たちが走っていく。
「しょこらりのしほりんが来てるんだって!」
「サインしてくれるってホント?」
「何かのイベントかな」
「早くしないと間に合わないかも!」
流れというものは怖いものだ。人間は行列ができているととりあえず並ぶ習性があるとか言うけれど、まさにそれに近い。人が集まるところに人が集まる。そこに理由などない。走っていく人々をカメラが後ろから追いかけていった先に人だかりができていた。その真ん中にはそう、しほりんがいた。あっという間にしほりんは囲まれてしまっていた。さっきまでいっしょにいたはずのしほりん母の姿もそこにはない。
「サインしてくださーい」
「えっと、今日はそういう日じゃなくて……」
「何のイベントなんですかー?」
「えーっと、だから……」
突然の事態におろおろとした様子のしほりん。たくさんのファンに詰め寄られ、そして外側からはスマホが向けられて写真や動画を撮られている状況。今まで見たことのない彼女の様子。しほりんでもこんな感じの顔するんだな……正直、困った彼女の表情はあまり見ていたくなかった。
「さっきスタッフがサイン会って言ってましたけど?」
「え?」
「そうそう、だから飛んできたんですよ」「ねー」
「きょ、今日はプライベートで……」
その時ひときわ甲高い声が聞こえてきた。
「はーい、皆さん並んでくださーい。先頭はこちらでーす。サインほしい方は一列に並んでくださーい」
大きく手を叩きながら画面の中央に現れたのは、そう、さっきの被り物サングラスチャラ男だった。
人間というものは不思議なもので、このような状況でも何もおかしなことに気づかないのだろうか、チャラ男の言うことに何の疑問も抱かず、整然と列が形成されていく。最初からこの動画を見ている、真実を知る者の視点からで言うと、まさに異様な光景であった。
「すみません、油性ペンです。用意が遅くなってすみません~」
「あ、あなたは……さっきの?」
「さあ、それでは一人目から、お願いしまっす!」
しほりんに向かって油性ペンが差し出される。しほりんの訝しむような戸惑いの表情。そしてしほりんの前に進み出た最初に並んだ女性、しほりんにサインしてもらえることに何の疑いも抱かず何か私物だろうか、を差し出している。しほりんの目線がその女性とチャラ男の間を何度か行き来する。しほりんは何の言葉も発せられず動かなくなった。
恐ろしい光景だった。たくさんの人たちを前にサインをしなくてはいけない状況がものの見事に作り上げられてしまっていた。
サインしなければ完全にしほりんが悪者。サインしてもらえると無邪気に列に並んでる何も知らないファンたちを前に、断ることができるアイドルがいるだろうか? ファンの期待を裏切ることになるし、しょこらりの評判が下がるかもと考えれば猶更。それでなくともしほりんは中学生なのだ。そしてこの状況に流されてしまった結果しほりんがサインをし始めたら、まさにこの動画を撮ってる奴らの勝利。
詰んでいる……
「さあ、早く! ファンのみんなが待ってますから」
「あなた……一体」
「ファンたちを前にして、まさかサインできないなんてことはないですよね?」
「そ、そんな……」
”さあ、念願の「しほりんサイン会」の開催けってーい!?”というふざけたテロップが入った。なんてクソッたれな奴らなんだ……この動画作ってる連中は!
画面の真ん中にいるしほりん以外の人たちの顔にはモザイクがかかってぼやかされている。顔の見えない人の波に囲まれて迫られているしほりん一人だけがその不安そうな顔を晒されている光景は、まさしく異様としか言い様がなかった。
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