第6章‐4 元凶

 感謝しないといけなかった? 微妙な過去形の言い回しが俺の中でさらなる不安を煽る。


「貴方がしほりの勉強をみてくれたおかげで、彼女の成績はすごくよくなったの。今回のテストもそうだけど、最近ずっと勉強がうまくいってるのがありありとよくわかったから」


「いや、それは彼女がすごく頑張ったからで……僕なんか」


「あの子って完璧主義でしょう? だからこそ手が抜けないというか不器用というか、上手くいかないとすごく自分を責めるのよ。名門お嬢様学校で全体のレベルが高い訳だから、順位がよくなくてもそんなに気にすることないのに。よくないって言っても平均よりは上だし、決して悪い成績じゃないんだけどね」


 美人女社長は話を続けながら髪をくるくると指で弄んでいる。


「しほりの家はすごく厳しくてね、子供に求める理想がすごく高いから……周りも、そして何より自分自身も責めるばっかり。それでも頑張り屋さんなもんだから……辛い時でもレッスンもライブも決して手を抜かない。もう見てて可哀そうなくらい」


 俺はほんのちょっとの期間しかしほりんのことを知らない。でもその感じは容易に想像できた。


「だからこの数か月は彼女すっごく楽しそうだったのよ。生き生きしてるっていうか、毎日がハッピーって感じで。レッスンもずっときっちりやってる子だったけど、今まで以上に身が入ってるというか。それとなく訳を尋ねてみたら、友達のお兄さんのおかげで勉強ができるようになってすごく楽しいんだ、ってね」


 そうだったのか……しほりんがそう言ってくれてたことがすごく嬉しくて、俺は一瞬言葉が出てこなかった。


「南方君、どうもありがとう。うちのしほりを助けてくれて」

「いえ、そんな……」


 俺はしほりんとのこの数か月を思い出していた。勉強に対する真面目な姿勢、集中力、うまくいったときの心底嬉しそうな顔。思えば俺の自転車のステッカーだって普通の奴なら気にも留めてないはずだ。ずっと勉強できるようになりたいと苦しんでたいたのかもしれない。だから最初の小テストがよかった時一人でうちまでやってくる位だったんだ。この前もすっごく嬉しそうだった……俺の中でいろいろなものがつながった気がして、胸が熱くなった。そして、だからこそ……



「だったらっ……なんで? なんで彼女がアイドルやめないといけないんですか?」



 そうだ、ずっと聞きたかった。成績が上がったんなら、約束通りアイドル続けられるはずだ。そのためにしほりんはあんなに頑張ったんだろ? どうしてこういう状況になってるんだ?


「お父さんがね……」


 社長はそう言って立ち上がり窓の方を向いた。


「しほりの家はすごくいい家柄でね、地元の名家って言ってもいいかしら。しほりは名実ともにお嬢様なのよ。特にしほりのお父さんは厳しくて、しほりがアイドルやってることには大反対だったの」


 しほりんがお嬢様なのは正直よくわかる。丁寧な言葉遣いに上品な仕草。俺のことをずっと「お兄様」って、亜季乃にも言われたことないぞ……ってか実の妹に言われたことある奴がそもそもこの日本に何人いるのかレベルではないのか?


「うちの事務所に入る時とデビューする時もすごく揉めてね、うちの娘に悪い虫がつかないか、変な奴に襲われたらどうするだとかストーカーされたりしないかとかすっごくうるさくてね。もう大変だったわ」

「それでよく許してくれましたね……」

「絶対にうちのスタッフが守る、危ない目には決して合わせないって約束したからね。そこは別にしほりのとこだけじゃない。どこの家も心配するところだから。みんなちゃんと気を配ってるわ。もちろん本人たちがしっかり気をつけてくれないといけないし、私生活のすべてを監視できるわけじゃないから。でも彼女たちの連絡如何でいざというときには動ける人員を用意してるし、イベント時の送迎はもちろん、警備会社との契約もちゃんとしてるわ。これが結構な経費なんだけど、彼女たちの安全には替えられないもの」

「は、はあ。それはすごいですね」


 やべえなアイドル。そこまでしないといけないのか、まあそんなものなのか?


「まあそれでデビューしたんだけどね。うちの事務所のアイドル全体がそうなんだけど、思ったより人気が出ちゃって……まあすごくありがたいことなんだけど。しほりんもその例にもれずって感じで。通学も基本家の車が送り迎えしなくちゃいけなかったり、ちょっと買い物に行っただけですぐ囲まれたり、サイン攻めにあったり、お父さんもある程度は我慢してくれてたみたいだけど……」


 社長は窓を少しずらしてさらに遠くを見るようにして言った。



「あんなことさえなければ、ね……」


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