第4.5章-1 さくら(名前呼びは許可してませんっ)
あの数日後、ライブ開け初の勉強会の日がやってきた。正直出迎える側としては緊張しかない。ただでさえ可愛いのに、ステージ上で輝くカッコいい姿を見せられると、もう別世界の住人というか、ガチでどんな発言すればいいかわかんない。ていうか俺どうやってしゃべってたんだっけ……? しかもこんな日に限って亜希乃がいないという。なんかサッカークラブの試合が今週末に迫っていて急遽練習が入ったそうだ。直前まで、もう休むー仮病使う絶対行かないーしほりんに会えないとかアリエナイーとかこの前のライブの感想とか語りたいのに―イヤだやっぱいかないーとかごねてたけど、まあなんだかんだで練習に行ったのだった。まあ普通に主力らしいので本人も行かなけりゃいけないのはわかってただろうけど。普段なら邪魔者が一人減ってラッキーLuckyらっきーっ♪って感じなんだが、今日はそういうわけにもいかない。果たして俺一人で間が持つのか? 不安しかない。
ぴんぽーん
チャイムが鳴って、俺は改めて深呼吸してそして玄関におりてゆっくりとドアを開ける。
「お兄様、こんにちは」
まごうことなきしほりん様であった。今日も今日とてお変わりなくお美しいお姿であった。
「お、おお、ここんにちは。いらっしゃい」
ああ、今日も平常心ではいられないのか。そして
「お邪魔しますー」
「あ、いいらっしゃい」
さらたんの姿もすぐ後ろにあった。しかし目も合わさない一言だけでそのまま上がり込んでくる。そうだよ、今日正直顔を合わせづらいのはこっちの方なんだよ! あの握手会で握手して以来の遭遇、どうする? この前の話題に触れるべき、いや触れないのが吉に決まってる! でもなんて話せばいいんだ!
「お兄様?」
いつまでも玄関で突っ立っている不自然な俺を見かねてかしほりんが呼んでくる。
「あ、ああごめん、今行く!」
勉強会はいつも通り普通に始まった。そして問題なく進行しているように思えた。しほりんの質問に答えながら、しかし違和感しかなかった。そう、奴が無口なのである。来てからも俺とは一言も、しほりんとさえもあんまり話していない。その原因は亜希乃がいないからだろう、いつも俺としほりんがわからない問題について話している間、奴と亜希乃はとりあえずって感じで宿題しながら、適当にだべってはダラダラしてそしてちょいちょいこっちにちょっかいかけてきたり、あまつさえ机の下で脛を蹴ってきたりする。だが今日は一人ハミってしまったような恰好なのか、全然話しかけてこようともしない。うーん、こんなもんか……? 宿題かな、ノートにかりかりとペンを走らせている奴の方をちらり見ながら……
いややっぱおかしい。
俺としほりんと3人だけの時も、全然気にしない感じでいつもうるさい感じだ。妹がいないことを抜きにしてもやはり今日はおかしい。そしてその原因をずっと頭の片隅で分析(analyse)しているのだが……わからん。一見いつもと変わらないような気もする。
「お兄様ここ、教えて頂けますか?」
「あ、おう」
「この場合分けがよくわからなくて……」
「ああ、これは、それぞれの絶対値の中身が正になるか負になるかのポイントを探すところからだね。|X|の部分が正になるのはXが0以上の時だよね。逆に負になるのは0以下の時になるよね」
「は、はい」
「じゃあ|X-2|の部分が正になるときのXの範囲は?」
「えーと……X>2です」
「その通り。だから負になるのはXが2より小さい範囲の時だよね」
「はい」
「で、絶対値ってのはその値の符号を外した数字、すなわち原点からの距離だから、-3の絶対値は、3になるけど、マイナスがついてるときは無理やりマイナスをかけてプラスにする。それはわかるよね」
「はい、大丈夫です」
「ってことは、Xが0以下の時には|X|にはマイナスをかけて-Xに、そして2以下の時には|X-2|には-をかけるから、-X+2 に変化する」
「それもいけます」
「で、それぞれの値にマイナスつける境がX=0と2だから、3つのゾーンに場合分けになるんだ」
「はい。でも4つにならないのってちょっと思っちゃいますけど」
「そうだね。でもプラスとマイナスになるのは片方だけだね。Xが0より小さくなって、でも2より大……って条件を同時に満たすことは不可能だから。逆は行けるでしょ? 0から2の間なら」
「ですね……」
「まとめると0と2が境……つまり、X≦0のとき、0<X<2のとき、2≦Xのとき、の3つに場合分けだね」
「だから0から2の間の時はX+(-X+2)って感じで答えは2になるんですね」
「そうだよ。で、左辺はそんな感じで出して右辺と合わせて考えると……」
「わかりました! ちょっとやってみます」
しほりんが問題を解いている間、俺はすっかり忘れていた奴の方が気になってしまっていた。うーん調子狂うんだよなぁ。なんかせっかく距離(絶対値)が詰まってきたかなと思ってたのに。むしろまた遠くなったような……マイナスだって絶対値の記号で挟めばプラスにできるのに、実際はね。
こっちから話振ってあげた方がいいのだろうか……でもなあ。いや、さすがにこのまま放っておいたら可哀想な気がした。
「なあ? そっちは何かわからないところとか、ない……のか?」
振り絞った勇気に対する返答は、「別に」の一言だった。ああ、やはり言わなければよかったと後悔。
そのとき、俺はふとあるものに目が留まった。
「へえー、さくらってそんな字書くんだな」
「はぁ?」
正面でその”さくら”たんが顔を上げた。そして俺の目線の先にあった教科書の名前の部分には”桜玖良”の文字……
「見んな変態」
「いや、変態って」
「あと勝手に名前呼び捨てしないで」
「えっ……とじゃあ何て呼べばいいんだよ?」
「いや、そもそも名前呼ぶの許可してないし」
「はあっ? じゃあ、さらたんって呼ぶぞ」
「はぁ? キモイんだけど。ってか何でいたのよ先週?」
「そ、そんなの亜希乃に連行されたからに決まってんだろ?」
「なんで私のとこに握手しに来たのってことよ。もともとしほちゃんの列に並んでなかった?」
「それは……」
「ほんとああゆうのやめてよね? リアクションに困るから、てかお兄さんちょっと挙動不審がヤバみでしたよ? それに手汗も」
「ええっ、マジっ!?」
「ま、それは冗談ですけど。でもあのあと念入りに3分くらい手洗いしましたけど」
「ひどっ!」
やはり奴は奴だった。「桜玖良」という名前の綺麗で清楚でお淑やかなイメージには似ても似つかない。完全に負けている。そして思った。かく言う俺は手洗ってないわ。
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