第42話「【タイマー】は、少女を送る」

「え……………………」


 レイナが初めて言葉を詰まらせる。

 ルビンに釈放されてからは、しばらく素直だったというのに、突然口を噤んでしまった。


「──どうしたの? 黙ってちゃわからないよ? もう一度いうかい?」

「…………ううん」


 フルフルと首を振るレイナ。


「い、言えな───……知らない!」

 レイナはプイっとそっぽを向いて知らぬ存ぜぬを貫く。

 だが、一度言った言葉はそう簡単にとり消せない。


「ふむー。大体の予想はつくけど、例の親分に口止めされてるのか?」

「し、知らない! 知らない!……ねぇ、もう行っていい? お、おうちに帰りたいの……」

 上目遣いにルビンを見つめるレイナ。


 相変わらずの視線にグラリとくるも、

「はぁ。せっかく出してあげたのに……。別に恩に着せる気はないけど、少しは話してくれてもいいんじゃないか?」

「で、でも……」

 シュンとしてしまったレイナに、ルビンは「ふぅ……」と、ため息をつきながら、

「わかったよ。いいけど。仕事はどうする?───引き受けてくれるならちゃんとした報酬を出すよ?」


 そういって、財布からピカピカの金貨を見せる。


「ほ、ほわー……き、金貨だぁ」

 レイナの稼ぎがどのくらいか知らないけど、金貨を見て目をキラキラとさせている。


 銅貨1枚あれば店で大きな黒パンが買える相場だ。

 その1000倍の価値がある金貨なら、単純に言ってもパンだけで一年は食べていける計算になる。


 ちなみに、銅貨100枚で銀貨1枚。銀貨10枚で金貨1枚。金貨10枚で白金貨1枚だ。

 もっとも、金貨も白金貨も流通こそしているが、普段使われることは滅多にない。


 それゆえ、強盗,置き引きの常習犯らしいレイナも早々お目にかかった事がない代物なのだろう。


 ゴクリと彼女の喉が鳴るのが見えた。

 そして、手が思わず伸びそうになって……「あぅ。ダメ!」とそう言って自らの手を押さえる。


「そう。まぁ、気が変わったら言ってよ───宿はここ。大抵ここかギルドにいるからさ」

 そう言って、メモを渡すも、レイナは首を傾げるのみ。

 あー……。字が読めないか。


「う、うん! 宿屋さんとギルドでしょ? 僕知ってる!」

「オーケー。じゃあ、送っていくよ。物騒だしね」


 そう言ってルビンは彼女の背を軽く押し出す。

 先に立ってという意味だが、レイナはちょっと気まずそうだ。


「え……だ、大丈夫だよ」


 そう言って固辞するも、ルビンは首を振らない。


「いいから。さっき牢屋でひどい目に会ったばかりでしょ?」


 こうして日の下で見ると中々の美少女だと分かる。

 くすんだ赤い髪に、薄い青目。そして、褐色肌はよくよく見れば出る所は出ているので、身ぎれいにすれば見違えるだろう。

 もっとも、今はボロボロの貫頭衣のようなものを一枚来ているだけ。

 それも囚人どもに、更にビリビリに破かれてしまったのでもはやただの布切れだ。


 色々チラチラ見えて目のやり場に困る。

 先を歩く彼女の腰回りが風に揺れて──────……ゲフンゲフン。


「……エッチ」

「見てない!」


 この子はどこでそう言う知識を得てくるのかね?!



 そうして、渋る彼女に案内されて向かった先は小汚い通りのさらに奥。

 いわゆるスラムと言われている場所で、その中でも更に最低辺の場所。


 一層低い土地のせいで水が溜まりやすく、いつもジメジメとしている。

 しかも日当たりは悪く空気も淀んでいた。


 ベチャベチャと泥のような足回りはどう見ても汚水だろう。


(こりゃ酷い……)


 街中の澱が溜まったような場所だけど、それでも人の密度だけはやたらと高い。

 スラムに踏み入れた時から敵意とも不信感ともつかぬ視線に常に晒されてしまった。


「えっと、る、ルビンさん。ここでいいよ。もう帰れるから」

 レイナは周囲を気にしながら仕切りにルビンを帰らせようとする。

 だがルビンはそれに頓着することなく。


「……家まで送るよ」

「え……」


 その瞬間レイナが本当に嫌そうな顔をする。


「そ、その……。オウチが本当に汚くて」

「いいから」


 有無を言わせないルビンの雰囲気に当てられションボリしたレイナがトボトボと先頭に立って歩きだす。

 その様子に少しだけ罪悪感を感じるも、ルビンの目的は───本音はレイナを送り届ける事になかった。


 そして、牛歩のようにノロノロと歩くレイナがピタリと足を止める。


「ここ?」


 コクリ。


 恥ずかしそうに指さすレイナ。

 そこにあったのは家とは名ばかりのボロ小屋……というのも憚られるほどのボロイ箱だった。


「あー……」


 泣きそうな顔をしたレイナの頭にポンと手を置くと、

「ま、まぁ涼しくていい所じゃないか」


 んなわけない。他に言葉が思いつかなかったにしても我ながらもうちょっと言葉がなかったものか……。


 もしかして、家族でもいるのかと思ったが、どうやらレイナは一人らしい。

 仲間と言っていいのか知らないが、親分とその手下くらいは周りにいるのかもしれないが、まさか本当に天涯孤独だったとは。


「家族は?」


 ふるふる。


「友達は?」


 ……しゅん。


「えっと……一人なのか?」

「うん」


 コクリ。


「ふぅ…………。なぁ、よかったら、ウチの宿に来るか? 空きならまだあるから───」


「よぉおおおお! ガキじゃねぇか!」


 レイナを誘うルビンの背後から不躾な声が投け掛けられる。




 この声は───……。

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