竜暦1万飛んで52年 ィミーシャ :3

 燕に影を踏まれた。


 火カエルの卵はその名の通り、ちょっとした火種でも瞬間的に激しく燃え上がることで知られる。大陸南側の温帯に点在する島々では春の月に庭の池などで一般的にみられるこの卵を、現地の子どもたちが勘尺玉としてよく遊びに使う。勢いあまって近所の植木を焦がした子どもが、父親から雷を落とされる光景はもはや季節の風物詩といえた。その文化圏の生まれであったハルルも幼い時分、もれなくこの悪魔的に魅力的な玩具での遊びに興じた経験を持つ。それも彼女は、特級の不良少年たちの間に脈々と伝わる、およそ最も凶悪な遊戯に用いたことがあった。

 同地域に普通に生育するクロガネ竹の材は、非常に高い硬度と靭性を発揮する。建材としての利用のほかに、力自慢は弓の材料として用いることもあるが、その加工には専用の工具と熟練の専門技術を必要とするほどである。——ハルルは大工の工場からくすねてきたこのクロガネ竹の筒に、ありったけの火カエルの卵とこぶし大の石ころを詰めて火を点けたのだ。

 要するに火縄銃のそれであった。凄まじい衝撃と共に打ち出された焼き石は、狙っていたニガスイカの実にあやまたず命中した。ハルルの天才的な武術の腕は、ことのきから既に目覚めていたのかもしれない。直前まで一緒になって囃し立てていた悪童仲間たちはその結果に恐れおののいて散り散りに逃げ出したが、幼い彼女だけは無残に飛び散った果肉と果汁の色彩をずっと見つめていた。(そのせいで大人たちから大目玉を食らったのも、彼女だけだったのだが)

 余談が長くなった。ともかくハルルは今、まさにその記憶を思い出していた。異常な気配を察知して意識を覚醒させたばかりの彼女の目の前で、オークの巨大な生首がいつかのニガスイカと同じ末路を辿ったからだ。嫌な色をした汁とともに吹き飛んだ兜が、丁度ハルルの手の中に収まった。

「……ナイスキャッチ、私」

 などと言っている場合ではない。心の中でゲルゲサに合掌しつつ急いで身を低くし、ウシミの陰に隠れた。オークの頑丈な頭蓋骨を一瞬で粉々に砕く手段はそう多くない。例えば、ハルルがつい先日までの合戦で散々目にした妖精たちの精霊術がそれにあたる。

「こんなところまで追撃に来たっていうこと……?」

 妙だ。と、言えるだけの理由があった。まず、五日前の合戦で神聖帝国の軍勢がほぼ壊滅したことを妖精軍は目の当たりにしている。脅威となるだけの戦力が神聖帝国遠征軍にもはや生き残っていないことは明白である。さらに、確かに敵方の総大将であるところのボルボビーラス麝香王は討ち取られずに撤退しているが、これを捕らえる、ないし殺害することは妖精たちにとって、オークたちを完全に敵に回すことを示す。局所的な戦闘ではほぼ完全な勝利をおさめたとはいえ、国力の差から考えて全面戦争を戦い抜くほどの用意を妖精側は整えられないはずだ。要するに、執拗な追撃を行うメリットはほとんど存在しないということである。

 どういうことなのか、と思案しているうちに第二波がきた。ウシミの直ぐ近くの地面が爆ぜ、凍り付いた土くれが宙を舞う。どうやら襲撃者は、こちらの位置まで把握しているわけではないらしい。ハルルは暴威のただ中で、爆発の直前に飛来したものを見逃さなかった。

「あれは……矢?」

 瑠璃色の矢羽根があしらわれた、短い矢であった。雪カラスの風切り羽根を用いた矢……ハルルの記憶が正しければ、それはダークエルフたちが手持ち式の弩弓で用いるものによく似ていた。

 北西平原に暮らすダークエルフたちの文化は、その高度な木工技術を培ってきたことでよく知られる。遠くハルルの故郷においても、先の回想に登場したクロガネ竹の加工技術は旅のダークエルフの職人が伝えたものであるという伝説が語られるほどだ。ダークエルフの木工品となればどこへ行っても高く売れる。偽物が横行するほどに。それは家具、建築、そして武具と、木を用いるものであれば多岐にわたるが、中でも特に秘伝とされるのが弩弓の製作技術である。小型で取り回しやすく、連射速度に優れ、威力も充分と三拍子揃った高性能の殺戮機械は、これに限って外部に輸出されることはない。北西平原のダークエルフが周辺国の影響下に飲み込まれることなくこの地で暮らしているのは、ひとえに彼らが独特の武力を持つ唯一無二の職能集団であるが故であった。

 とどのつまり飛来してきた矢を見るに、襲撃者は妖精の追撃部隊ではなく、ダークエルフである可能性が高いということだ。矢に明らかに精霊術が施されていることは気にかかるが、それ以上は考えても詮のないこと。ハルルはこの襲撃を現地民による落人狩りであると判断した。敗走する傭兵から略奪する程度ならばオークたちを刺激しないと考えてのことか。だが、狩らんとする落人がよりにもよって“落人のプロ”であるなどと、彼らは思いもしなかったであろう。

「私の魚を盗ったのもあいつらね……!」

 ……彼らの視点に立てば、余所者に漁場を荒らされたことになるわけだが。ともあれ食べ物の恨みはなんとやら、空腹で若干気が立っていたハルルは打って出ることにした。何より、相手方も落人狩りごときで犠牲者が出ることは嫌うはずだ。背に括った長剣に手をかけると……。

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