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 ■


「志緒ちゃん?」

 駅前広場の植え込みの縁に座り込んでいる見覚えのある人影を見かけてそっと声をかける。

 いつもの制服姿ではないし、うつむいていて顔は見えないが、背格好の雰囲気的に間違いないだろう。

「あ、菅さんだ」

 顔を上げたのはやはり本人で、なんとなくいつもより元気がないように見えた。

「そんなとこにいると、風邪ひくよ? 塾帰り?」

 日中は暖かいけれど夜はまだ冷える。それに用もないのに、こんな時間に高校生の女の子が外で一人でいるものじゃない。

「大丈夫」

 声が平坦だ。

 もともと、すごく愛想がいいタイプではないけれど、何度か顔を合わせるうちに打ち解けたせいか、最近はもう少し気安い雰囲気だったのに。

「……なんかあった?」

 少し迷ってから、やっぱり聞くことにする。

 志緒は少し目をそらして、そしてぽつんと答えた。

「おかーさんと、けんかした」

 


 ◇


「で、志緒は進路は決まったの?」

「ん。看護大行こうかなと思って」

 夕食の準備の最中、何気ない口調で聞いてきたおかーさんに、玉ねぎをみじん切りしながらさらりと答える。

「なんで。どこの」

「んー。希望は実大と清大あたりかなぁ」

 偏差値的に問題なさそうで、そして卒業後、付属の病院で働いて返せる奨学金制度があり、寮もある。

「なんで看護師? で、あえて県外?」

「……なんでって、手に職は大事だし、寮もあるし一人暮らしもいいかなって」

 できるだけ早く自立したかった。本当なら高校を卒業してすぐに就職したかったけれど、大学には行くように言われていたから、それなら。

「そんな理由ならやめておきなさい。看護師の仕事は志緒に向いているとは思えない」

 おかーさんはいつの間にかジャガイモをつぶしていた手を止めて、まっすぐにこっちを見ていた。

「なんで」

 普段、こんな風に頭ごなしには言わないのに。

「言われないとわからないの? 違うでしょ? もっとよく考えなさい」

「考えたよ! おかーさんが仕事してるの見ていいなって思ったし!」

 ちいさな頃は学校帰りによくおかーさんの働く病院に寄っていた。テキパキしていて、患者さんににこにこしてるおかーさんが好きだった。

「小学生みたいなことを言わないで。志緒は、単に家を出るために決めているだけでしょう? それも私たちに気を使って」

 厳しい口調と視線にうつむく。

 だって、そんなの当り前だ。

 両親が亡くなった後、姪である私を引き取って、結婚しても私のことを何より優先してくれている。お荷物のままでいたくないのに。

「……もう、いい」

 


 財布だけ持って、家を出た。

 おかーさんの言っていることは全部そのとおりで、ちゃんとした反論なんて出来なかった。

 それでも、考えて決めたことを否定された苛立ちが消えるわけもない。

 顔を合わせたら、また言い合いになってしまいそうで、少し頭を冷やしたかった。

 行く当てはないまま、なんとなく駅へ向かった。

 塾のある駅で降りたのは、もしかしたら菅に会えるかなと思ったからだ。

 菅の会社の最寄りが同じ駅のため、塾帰りに顔を合わせたことが何度もあったとはいえ、十中八九無理だろうとも思っていた。

 親と喧嘩したなんて子供みたいなこと言うの恥ずかしいから、会えない方がいいかもしれない。

 ただ、まぁ駅前なら人待ちっぽく一人でいても目立たないのは助かる。

 広場の端にある植え込みの縁に座って小さくため息をこぼす。

 半ば勢いで出てきてしまったものの、どんな顔をして帰れば良いんだろう。

 スマホを置いてきてしまったのも失敗だったかもしれない。

 きちんと話をするのは帰ってからでも、その前にとりあえず電話かメールで謝った方が帰りやすい。それ以前に、あんな捨て台詞みたいな一言だけで外に出てきてしまったから、きっと心配している。

 でも、なぁ。

 立ち上がって、家に帰る気分にはまだなれず、足元をぼんやりと眺めていた。

「志緒ちゃん?」

 落ち着いた、やわらかな声。

 会っても、言い訳に困るとかも思ったりしたけれど、でも声をきいたら思った以上にほっとして、心配そうなやさしい声に促されて結局本当のことを口にしてしまった。

「おかーさんと、けんかした」



 ■


「よし。とりあえずここは寒いし移動しよう。送っていくからこのまま電車に乗るか、お店入って、おっさんに愚痴ってから帰るか志緒ちゃんはどっちがいい?」

 こんな時間に顔見知り程度の女子高生を連れて歩くのはどうかと思うけれど、他人に近い自分みたいな者の方が話しやすいこともあるだろう。

「……良いの?」

「いいよ。でも、おうちに連絡は入れてね」

「スマホ、家に置いてきた」

「じゃ、これ使って」

 胸ポケットから自分のスマホを出して渡す。

 志緒はしばらくためらった後、大きく息を吐いて、そして番号を押し始めた。



「いっちゃん?」

 ほんの少し、ほっとしたような声。

 電話に出たのは、志緒の義理の父親のようだ。以前、一度会ったことがある。

 何を言っているかはっきりとはわからないが、スマホの向こうから焦ったような声が届く。

 まぁ、心配はするだろう。普通。

「ちょっと、……だから、いっちゃん。……ごめん。……うん、ちゃんと帰る。でも、あと少し……え、あ、この携帯は」

 言い訳や説明や謝罪をしつつ、相手をなだめていた志緒は最後に問われたらしい携帯について答えあぐねたらしく、困ったようにこちらを見上げた。

「代わるよ」

 もともと保護者に説明もなしに志緒を連れ歩くつもりもなかった。

「こんばんは。以前一度お会いした、志緒さんに名刺入れを拾ってもらった菅です」

 


 ◇


 大丈夫なのかと少々不安に思いながら、電話を代わってくれた菅の横顔を見る。

 柔らかく丁寧な口調で状況を説明して、志緒と少し話をしてから、最寄り駅まで送ることなどをさっくりと決め、電話を切る。

「お待たせ、志緒ちゃん。行こうか」

 駅近くのチェーンのコーヒー店に入り、注文を済ませる。

 こうして改めて対面に座ると、どう話していいか言葉が見つからなかった。

 菅もとくに何も聞くことなく、コーヒーカップを口に運ぶ。その様子をそっと見ていると、思い切り目が合って、問うように微笑まれた。

「……私一人、子供だ」

 菅は会えば普通に話をしてくれるし、どことなく頼りなげなところがあって、あんまり気にしていなかったけれど、さっきの電話のやり取りも、いまこうして、ただ聞く態勢で急かさないところも、すごく。

「そっか。大人に見えるならよかったよ」

 いつもの気が抜けるような、やさしい声。

 もう一度、顔を上げてみると、いたずらっぽい笑顔があった。

「実際のところ、中身は高校生のころからさほど変わってないんだよねぇ。ただ、社会人を何年もやって、外面をそれなりに取り繕うことがうまくなっただけ。たぶん志緒ちゃんのほうがいろいろしっかり考えてると思うよ」

「考えてたつもりだった、のに」

 だめだって言われた。まるく収まる、いい案だと思ってた。

「うん。ご両親のことが好きだから、一番に考えたんだよね?」

 あっさり見抜かれて、でもそれは非難してなくて、目頭が熱くなって、唇をかんだ。




 ■



「……二人が、私を大事にしてくれてることはすごくよくわかってる。だけど、だから私だって二人のこと大事だし、私のこと抜きで、二人でいる時間だって大事にしてほしくって」

 泣くのを我慢しているような声。うつむいていて表情は見えないけれど。

「おれは結婚もしてないし、子供もいないから、安易なことは言えない。勝手にわかったようなことを言うのも、ご両親に失礼だろうし」

 志緒を引き取った『母親』も、それを知っていて結婚した『父親』も、相当の覚悟の上だろうし、子供である志緒にこういう気の使い方をされるのは本意ではないだろうと察しはつくけれど。

「親ってねぇ、いつまでたっても子供のことを子供だと思ってるんだよねぇ。この歳になっても、ちゃんと野菜を食べてるのかとか、風邪ひいてないかとか、言われるんだよ。おれは小学生じゃないってのに」

 ちょっとずれた話を、ぼやくようにこぼすと志緒の張りつめたような空気がほんの少し緩んだ気がした。

「たぶん、志緒ちゃんがどんなにしっかりしていても、大人になってもご両親はいつだって心配するだろうし、しょうがないって思ってた方が良いよ」

 本当の親じゃないから、負担をかけるのがつらいという思いがより強いのだろうけれど。

「……私、子供だしね」

 あきらめたような疲れたような声。

「単純に志緒ちゃんのことが好きなんだと思うよ。電話、代わってすぐは携帯越しでも食いつかれるかと思った」

 不信感たっぷりで、下手をすればそのまま通報されてたかもしれない。

「……ごめん。いっちゃん、過保護で」

 知ってる。以前一度会った時も、すごい剣幕だった。

「当然の反応だから気にしなくて大丈夫」

 そっと腕時計に目を落とす。

 三十分程度で帰すと伝えてある。そろそろ出た方がよさそうだ。

 志緒も視線に気が付いたのか、冷めてしまったミルクティを飲み干す。

「もう大丈夫。ありがとう、菅さん」

 店を出て、再度スマホを志緒に貸して、今から帰る旨を自宅に連絡させ、並んで駅に向かう。

「菅さんは、どうやって進路を決めたの?」

「とりあえず理系のほうが向いていたから、理系で、成績にみあう大学をいくつか選んで、学部は適当に興味があるところを」

 何がやりたいとか特にはなくて、なんとなくで選んで入れるところに入ったので真面目に考えている志緒に対するのは少々心苦しい部分もある。

「そんな選び方しても、大学行って、面白いなぁってものが見つかったり、これは合わないってのもわかったりってあったから、志緒ちゃんもあんまり考えすぎないでも良いかもよ?」

 



 ◇


 菅の言葉はよく聞かれる一般論で、でも落ち着いた声は柔らかくしみ込んできて、ささくれた気持ちにやさしくて、泣きなくなる。

「相談とか、愚痴とか、気晴らしの雑談でも、いつでも連絡くれていいから。あんまり有益な話はできないだろうけど」

 少し情けなさそうな声で言いながらそっと頭に触れて、慌てて手を離す。

「しまった。セクハラだ」

 セクハラ行為にすごく敏感だよね、菅さん。会社でいろいろ言われるのかなぁ?

「だから、菅さんはさぁ……ありがと」

 まぁ菅さんの行為は多分他意はなく普通に子供扱いによるものだろう。

 それに別に私は嫌じゃない。……やっぱり子供扱いなら嫌かも。

 隣を見上げると、やんわりとした笑みが返ってきた。



 最寄り駅まで迎えに来ていたいっちゃんと家に帰った。

 玄関で待っていたおかーさんは泣きそうな顔をしていた。

「ごめんなさい」

 するりと言葉が出た。心配かけてしまった。

「私こそ、志緒の話ちゃんと聞かなくてごめん」

 首を横に振る。

「……もう少し、考えるから。ちゃんと。だから」

「うん。またゆっくり話そう。寒かったでしょ。お風呂に入っちゃいなさい」

 おかーさんの声にいっちゃんが促すように肩をぽんぽんとたたく。

 甘やかされてる。



 お風呂に入る前にスマホから菅にメッセージを送る。

『ちゃんと、謝れた。ありがとう』

 本当はもっと伝えたいことがあったけれど、うまく言葉にできずに、それだけ。

 そっけなさすぎるかもと思って、猫が手を合わせて感謝しているスタンプを追撃した。

 すぐに『えらい!』と言っているクマのスタンプが返ってくる。

 『感謝』のスタンプの下にある『大好き!』のスタンプと迷って『おやすみなさい』のスタンプを返した。


 


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