憤怒と深淵

「皇帝陛下、お待たせしました。前宮廷魔術師を連れてきました」


「おお、早いな。さすがは我が直属の暗部隊長だ。して、やつは来るのか?」


「文を入れています。読めばすぐに来るでしょう」


 王国から帝国までは馬車でいくと一週間はかかる。早馬でも二日だ。しかし飛行魔術が使えれば数時間もあれば着く距離だ。


「まぁ、どんなに速くても指の数本は折ることになるでしょうな」


 その時だった。帝都の中に突然巨大な魔力が現れた。


「この魔力……まさか! 速すぎる!」


「どうしたのだ!?」


「恐らくやつです。しかし一体どうやって……」


「それはいい! 大丈夫なのだな?」


「はい、それはお任せください。人質もいるのです。やつもそう簡単には手を出せません」


 その瞬間、窓の外で爆炎が立ち上った。あれは帝国兵の詰め所だ。そして訓練場。窓から見えるのは瓦礫と化して爆炎が立ち上る城だったものだ。

 眼下に動くものはない。黒こげの人らしき死体がそこかしこに転がっている。あの一撃で帝国兵が一体どれだけ死んだのか。


「馬鹿な! 城の壁は魔法防壁だ! 何故たった一つの魔法で破壊されている!?」


 当然だ。あれだけの魔力の胎動。奴が試験で使った魔法より更に上。この程度の魔法防壁で防げるはずがない。


「おお! あれは我が帝国魔法師団!」


 窓の外で帝国魔法師団がやつに相対している。帝国魔法師団は優秀だ。冒険者でいえば全員がAランクになれる程だろう。そして団長に至ってはSランクと遜色がない。だが不安が拭えない。まだ奴との距離はあるはずなのに、何故か奴の声が、五月蠅い程に響く。


朱色のヴァーミリオン=灼熱エクスハラティオ


 窓の外が再び灼熱に染まった。そして部屋の壁が、窓が、天井が吹き飛んだ。帝国の誇る魔法師団は、団長も含めて一瞬もレジストすることができずに消滅した。肉片すら残らず完全にこの世から消え去ったのだ。

 この部屋が無事なのは、やつの母がいるからだろう。私は失敗したのだろうか。これまで完璧にこなしてきたこの私が。手を出してはいけない相手をに手を出してしまったのだろうか。


破滅の冬フィンブル


 馬鹿な! 体が凍ったように動かない! 何の魔法だ!? 奴の魔力が際限なく上がっていく。尋常じゃない魔力に当てられて皇帝陛下は既に気を失っている。私も気を保つので精一杯だ。これが……これが人間だというのか。たった一人が持つ力なのか!


「み……のが……して……くれ」


「ハハハハハ! 見逃せ? 面白いやつだな。俺を殺せばいいだろ? たかが十歳のガキだ。簡単だろ。なぁ? ……まぁ、そんなに難しいことじゃない。俺の家族に手を出した。お前らが死ぬ理由はそれだけだ」


「ま……て!」


「黙れ」


刹那のエフェメラル=絶望ディスペアー


 視界が黒く染まる。堕ちていく。どこかわからない深淵の闇に。奴の声が段々と引き延ばされていく。一体どんな魔法をかけられたのか。分からない……何も分からない……


「この魔法はな、狂う程の絶望を、刹那の時間を引き延ばして与え続ける魔法だ……存分に味わえ。狂う程の絶望を」



「母さん!」


 息はある。どこにも怪我もない。良かった。あいつらに傷つけられる前に助けられた。


「帰ろう」


 母さんの意識はなかったけど、ただ気を失ってるだけみたいだ。母さん一人くらい軽いもんだ。抱き上げてそのまま帰ろう。十歳が大人を抱き上げる絵面はちょっと微妙だが見せるわけじゃないしな。


風の翼ヴァン=フリューゲル


 もう急いでないから風雷の翼は必要ないな。景色でも見ながらゆっくり帰るとするか。うわ、城バッキバキじゃん。まぁ俺がやったんだけど。やりすぎたか……でも母さんを浚って何するか分からなかったんだ。怒りを抑えきれなかった。


 それでも帝都の市民には被害を出していない。無辜むこの民にまで手を出すわけにはいかない。あのクズとそれを守ろうと立ちはだかる兵は許せなかったが。帰ったら報告しなきゃいけないな。戦争とかならないだろうか……ならないといいなぁと考えていたその時だった。


「君、面白いね」


 空を飛んでいる俺の耳元でそんな声が響いた。そして更に上空から叩きつけるような魔法が展開された。咄嗟に魔法障壁を最大で纏った。


「くぅ!」


 なんて威力だ! 母さんの魔法より強力だ。こんな魔法を使えるやつが帝国にいたのか。魔法障壁でなんとか傷は負っていないが、地上まで叩き落とされてしまった。


「僕はカズィクル=ベイ。君たちには深淵アビスって言ったほうが分かるかな」


 少女のような見た目の白髪灼眼の悪魔がそこにいた。あれはだめだ。あれはいけない。人の見た目をしているがあれは底知れない化け物だ。母さんをここから遠ざけないと。


雷神の大槌トール=ハンマー


魔法属性=雷

性質=麻痺

魔力減衰=2

発動数=1

威力=100000

魔力=50300

速度=500

誘導=100


 試験で使った雷神の大槌の十倍の威力だ。少女カズィクル=ベイの頭上に魔法陣を展開し、即座に発動させる。眩い光と轟音を轟かせながら少女カズィクル=ベイを殲滅せんと極光が振り下ろされた。単体魔法ではこれまで使った中で最強の設定にしてある。


 だがいい知れない不安が消えない。そしてそれを証明するかのように少女カズィクル=ベイの魔力は極光の中にあってまるで衰えていない。極光は時間にして数秒降り注いだ後、バチバチという音を立てながら消滅。少女カズィクル=ベイは健在だった。体のあちこちに小さな傷はできているようだが、どれもかすり傷のようなものだ。


「痛い、痛いね! 痛みなんて感じたのはいつ振りだろう! 本当に面白い!」


 その瞬間少女カズィクル=ベイの魔力が膨れ上がった。そして次の瞬間あれだけあった距離は少女カズィクル=ベイのたった一踏みでゼロになっていた。


「キャハハハハ!」


改竄の蜃カルシフィケーション気楼=ミラージュ!』


 この魔法は過程に関わらず結果を変える。避けきれなかったはずの少女カズィクル=ベイの攻撃は空を斬り、俺は遙か後方へいた、という結果が残った。出し惜しみしてる余裕はない。母さんは魔法障壁で必ず守る。そしてあいつは俺が何とかするしかない。持ってくれよ、俺の体。

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