8
馬車に揺られて八日。
ようやく旧ヴァーミリオン領へ到着した。
到着したのは夕暮れで、アメリの棺の確認は明日にして、ひとまず、王家の離宮の近くにある町ドーランで宿をとることにした。
このあたりは『リアースの祟り』の影響が少ないようで、町は閑散としているけれど、大きな混乱は見られない。
予想していた通り旧ヴァーミリオン領は雪が多く積もっていた。ドーランの町も一面真っ白で、三角形の屋根をした民家の上には分厚い雪の塊が乗っている。このあたりは雪が多くつもりからか、どこの家の屋根も傾斜の大きい作りになっている。雪が滑り落ちやすいように作られているのだろうか。
馬車を降りて道を歩いていると、親切なおばさんが、建物の屋根の下には近づかないようにと教えてくれた。屋根から落ちてきた雪で生き埋めになる危険があると言う。
アイリーンの外套の下に潜り込んでいる小虎が、襟元から顔だけを出して、興味深そうにきょろきょろと視線を彷徨わせた。
「確かこのあたり……、ありました」
事前にマイアール商会から教えられていた宿を探していたダニーが、玄関前に雪で作られた大きなタリチアヌの神の雪像が立っている建物を見つけて指さした。三又の槍を持っているタリチアヌ神は筋肉流々とした上半身裸の神で、雪像とはいえ、とても寒そうだ。
宿の玄関扉は見開きで、扉の横には大きなベルがある。ドーランの町で一番大きな宿で、マイアール商会も懇意にしているというから、紹介状を見せればいろいろと融通が利くそうだ。
玄関をくぐればすぐに吹き抜けの大きな玄関ホールで、ベルの音を聞きつけた宿のスタッフが駆けつけてくる。彼はこの宿を管理している夫婦の息子の一人だそうで、ジュールと名乗った。ダニーがマイアール商会からの紹介状を見せると、心得ているとばかりにすぐに部屋を用意してくれた。
宿は三階建てで、二階の部屋を一人一部屋ずつ用意してくれると言う。さすがに一人一部屋も用意してもらうのは忍びなかったのだが、ほかの宿泊客いないため、部屋が余っているらしい。
「もともとこのあたりに観光に来る人間は少なかったんですがね、疫病騒ぎのせいで、輪をかけてお客が減りました。それに、一年前の例の件もあるでしょう? おかげで、このあたりは恐れられていましてね……」
「一年前の例の件?」
バーランドが訊ね返すと、ジュールは慌てて口をつぐむと愛想笑いを浮かべた。
「いえいえ、たいしたことではありませんよ」
知らないのならばわざわざ教えたくないと言わんばかりの態度だった。
(一年前に、何かあったのかしらね?)
気になりはするものの、問い詰めるのもおかしいので、アイリーンたちはジュールから部屋の鍵を受け取ると、荷物を片付けるために部屋へと向かう。
部屋に浴室はないが、一階に大浴場があるそうだ。宿泊客が他にいないので、貸し切り状態だと言う。
食事も同じく一階の食堂で、ルームサービスは行っていないが、頼めば茶葉は用意してくれるそうで、部屋でお茶を入れるのは問題ないらしい。
「アイリーン、大浴場に行かない? ずっと馬車で移動だったから肩が凝っちゃったわ」
アイリーンが鞄から荷物を取り出して部屋のクローゼットに収めていると、隣の部屋を使っているキャロラインがやってきた。肩を回す仕草をしたキャロラインは、湯につかって全身の凝りをほぐしたいと言う。
「そうね。夕食まではまだ時間があるし、行こうかしら? 小虎も行く?」
「があう!」
小虎が元気いっぱいに返事をして、アイリーンの足元にすり寄った。
アイリーンは着替えと一緒に小虎を抱き上げて、キャロラインと一緒に階下へ向かった。
大浴場は女性用と男性用が隣り合わせに作られていた。女性用と書かれた扉をくぐって、キャロラインと一緒に湯につかる。
大浴場と言うだけあって、人が十人入っても余裕がありそうなほどに広かった。大きな風呂が気に入ったのか、小虎がすいすいと浴槽の中を泳いでいる。
キャロラインが大きく伸びをしながら息を吐いた。
「はー! 生き返る!」
移動中は車中泊もあったので、ゆっくり湯を使うことはできなかった。キャロラインは浴槽の縁に頭を預けて寝そべると気持ちよさそうに目を閉じる。
アイリーンもキャロラインと同じように浴槽の縁を枕にして横になった。移動で肩が凝っていたのもあるが、それ以上に寒さで体が冷えていたので、あたたかい風呂はとても気持ちがいい。
(ルビーの問題も何とかなりそうだし、本当によかった)
ニコラスのことと言い、きな臭さは残るものの、ひとまずの目的は達成できそうだ。何よりメイナードが助かる。メイナードがアイリーンの名前を呼んで微笑んでくれる様を想像して口元をほころばせたアイリーンは、突然、頭のうしろから声が聞こえてぎょっとして上体を起こした。
「……今、バニーの声がしなかった?」
キャロラインも怪訝そうに背後を振り返る。だが背後にあるのは壁で、ダニーの姿はもちろんない。
アイリーンとキャロラインは互いに顔を見合わせて、そっと壁に耳をつけてみた。
『明日は遺跡に行くんだろう?』
この声はバーランドだ。
『ええ。それから、ニコラス殿下のことがどうしても気になるので、王家の離宮も探ってみようと思います。フィルたちは連れていけないので、俺が離宮へ行く予定です』
これはダニーの声。
『一人でか? 危ないだろう』
『あなたを連れていくと目立ちますから』
『それなら私がともに行きましょう』
ファーマンの声もした。どうやら男性陣も大浴場に来ていたらしい。そしてこの壁は薄いようだ。
『突然行って怪しまれないか?』
『職探しのふりをしていきます』
『……余計に怪しまれる気がする』
バーランドが唸った。
『そうですね……』
ダニーもバーランドの意見には一理あると思ったのか、考えるような声を出して、それから唐突に言った。
『ではこうしましょう。アイリーン嬢はさすがにまずいと思うので、あなたの妹を貸してください』
『キャロラインを借りてどうする』
『新婚夫婦が護衛を一人連れて引っ越しの挨拶に来たということにします』
「し――」
ダニーの言葉を聞いた瞬間、キャロラインが悲鳴のような声をあげそうになって、アイリーンは慌てて彼女の口を押えた。ダニーたちの声が聞こえるのだ、こちらで大きな声を上げると筒抜けになる。
(……ダニーさんって罪作りよね)
アイリーンはキャロラインが真っ赤な顔をしているのを見て、やれやれと息をついた。
壁の向こうではまだ話が続いているようだが、このままここにキャロラインを置いておくと茹りそうなので、アイリーンはキャロラインと小虎を連れて早々に湯から出ることにする。
それにしても、アメリの棺が納められている遺跡のみならず、王家の離宮にも寄るらしい。アイリーンはさほど気にしていなかったが、ダニーは病弱なニコラスが元気になったと言うのが気になるのだろうか。
(……まだわたしが聞いていない何かがありそうね)
ダニーやフィリップはグーデルベルグ城へ帰城したダリウスと連絡を取り合っているらしい。もしかしなくとも、アイリーンが聞いていない情報があるのかもしれない。そしてそれはニコラスに関することなのだろう。アイリーンに教えられていないのならば、アイリーンが気にする必要のないことなのかもしれないが、ランバースを攻めると穏やかならぬことを言い出したニコラスのことは気になる。
(ルビーを無事に発見出来たら、それとなく探りを入れてみようかしら)
アイリーンはルビーを手に入れたらすぐにランバース国に帰国する予定だが、情報だけは手に入れておきたい。もしニコラスが本気でランバース国を攻めるつもりならば、帰国した後で国王やメイナードに相談しなければならない案件だからだ。
(……でも、キャロラインとダニーさんが新婚夫婦の真似ねぇ?)
アイリーンは脱衣所まで引っ張っていったキャロラインがまだ赤い顔をしているのを見て、くすりと小さく笑ったのだった。
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