船がケルグ領に到着すると、そこから北の旧ヴァーミリオン領へ向けては馬車で移動することになる。馬車はマイアール商会が用意してくれた。


「ここから馬車で一週間ほど……でしょうか? 雪の影響が出ればもう少しかかるかもしれませんね」


 港から馬車に乗り込みながらダニーが言った。

 馬車は二台で、一台にアイリーンとキャロライン、バーランドとダニー、そして小虎が乗る。もう一台にはマディアスとフィリップ、そしてファーマンだ。


 到着したケルグ伯爵領の港には雪は積もっていなかったが、遠くに見える山は真っ白である。向かう旧ヴァーミリオン領は高い山脈に囲まれていることもあり、雪深いところだそうだ。ここから先、雪が積もっている可能性が高い。

 馬車の御者を務めるのはそれぞれこのあたりの土地に詳しい人間だが、山間部では人の背丈ほどの雪が降り積もることも珍しくないと言う。彼らは念入りに馬車の車輪を確認し、チェーンを巻きながら、馬に無理はさせたくないのでできるだけ休憩を多くとりたいと言った。アイリーンとしては急ぎたい気持ちもあるが、馬たちを酷使するのは本意ではないので、できるだけ安全に考慮して、馬の体調を見ながら進んでほしいと伝えておく。


 防寒対策がしっかりなされた分厚い布を張った馬車の中は外気と比べると暖かかったが、それでも寒い。小虎も寒そうだったので、アイリーンはひざの乗せた小虎の上にひざ掛けをかけてやった。こうすればもふもふの小虎のおかげでアイリーンも温かいし、小虎も寒くない。


「寒いわね」


 キャロラインが荷物の中から薄手の毛布を引っ張り出した。


「今からそんなことでどうするんだ。北に行けばもっと寒くなるんだぞ」

「お兄様は寒さに強いですわね」

「鍛えているからな」

「わたしは鍛えておりませんから」


 キャロラインがそう言いながら毛布をかぶると、ダニーが荷物の中から何やら長方形の箱を取り出した。


「……バニー、なにそれ?」

「ダニーです。これはフィリ……いえ、――フィルの発明で、水を入れると発熱する簡易暖房器具だそうです。それほど長時間は持たないそうですが、馬車の中の温度を上げておけばしばらくは温かいでしょう?」

「……フィルはそんなものまで作っているのか」

「あの人は雑食ですから。興味のあるものには片っ端から手を出して行くんです」


 ダニーが箱の蓋を開けると、薄い灰色の粉が入っていた。ダニーが水筒の水を箱の中に入れるとややして白い煙がもくもくとあがりはじめる。じんわりと足元が暖かくなったのでそれが発熱していることは間違いないようだが、もくもくと上がりはじめた煙には害はないのだろうか。


「おい、この白い煙はなんだ?」

「フィルが言うのは水蒸気だそうです。ただ、この箱の中の水には触れないようにと言っていました。手が爛れるとかなんとか……」

「おい!」

「触れなければいいんですから、大丈夫でしょう。使い終わったらこっちの薬品を混ぜて捨てろだそうですが、俺も使ったのははじめてなので、休憩の時にフィルに渡して処理してもらいます」

「…………」


 本当に大丈夫なのだろうか。おかげで馬車の中は温かくなったが、一抹の不安が残る。まるでフィリップの実験につき合わされているような気分だ。

 馬車が動き出してしばらくすると箱から煙は出なくなった。ダニーはその箱にフィリップが混ぜろと言った薬品を入れて蓋をすると、馬車の座席の下に収める。


「帳はあけないでくださいね。せっかく部屋の温度を温めたので、できるだけ外気を入れたくありません」


 箱はいくつか預かっていると言うから、また寒くなったら使うらしい。


「フィルさんはほかにどんな実験をしているんですか?」


 アイリーンが興味本位で訊ねれば、ダニーは首を傾げた。


「さて、俺もそれほど多くは知りませんけど……、毒薬の研究は得意のようですよ」

「毒薬⁉」

「幼いころに何度も毒を盛られたので、解毒薬を作るためにずっと研究を続けていたそうです。『リアースの祟り』の嫌疑がかけられたのも、そういう研究ばかりしていたからじゃないでしょうか? グーデルベルグ国は異端に厳しい国ですので、妙な研究ばかりする彼が異端視されてもおかしくはないでしょうね」


 フィリップはグーデルベルグ国に蔓延する病が『リアースの祟り』だとわかる前、なんとかして原因を突き止めて特効薬を作ろうとしていたらしい。その調査のさなかに指名手配されて追われることとなり、国外に逃亡する羽目になったそうだ。


「グーデルベルグ国はタリチアヌ教の教えから、医学的なことに規制が多いんです。例えば死体の解剖も禁止ですし、手術ももちろん許されません。人体を切り刻むなど悪魔的所業だと言われています。新薬のための臨床実験も許可されません。ですから、医薬品などはもっぱら国外からの輸入でまかなっています。人口に対する死亡率が高いのもそのためです」

「何というか……前時代的ね」


 毛布を畳みながらキャロラインが嘆息した。馬車の中が暖かくなったので毛布が不要になったらしい。小虎もひざ掛けの中から顔を出して、アイリーンの膝の上で前足を伸ばして大きく伸びをした。


「そうですね。ただ、『リアースの祟り』の一件で、医学の大切さは身にしみてわかったでしょうから、そのうち変わるのではないでしょうか。というか、これで変わらなかったら、いくら疫病騒ぎが収まっても、この国の先は長くないでしょうね」


 ダニーがどこか他人事のように言って、膝の上に地図を開く。


「さて、お喋りはこのくらいにして、情報を整理させてください。小虎の情報だと、光の聖女のルビーを封印した千年前の聖女の棺は旧ヴァーミリオン領の最北の遺跡にあるんですね?」

「小虎はそう言っていました。アメリの棺は、光の聖女の棺が安置されていたのと同じ墓地に収められたのだとか。そうよね、小虎」

「がぅ」


 小虎がアイリーンの膝の上で小さく鳴いた。

 アイリーンが頭を撫でると気持ちよさそうに赤い瞳を細めて、ごろごろと喉を鳴らす。


「小虎と直接話がしたいですが、姿を変えられますか?」


 ダニーが小虎に訊ねたが、彼はぷいっと顔を背けた。どうやら今は姿を変えるつもりはないらしい。

 小虎は大きくなったり子供の姿に変わったりするが、その基準は何なのだろうか。よくわからない。


「ええっと、遺跡と言っても小さなもので、本当に棺を安置するためだけに作られたもののようです。小虎が言うには、棺には鍵がかけられ、開けられないようにしてあるそうで、鍵は遺跡の奥の祭壇に隠されていると言っていました」

「なるほど。……では、ルビーの封印が何らかの影響で緩んだということでしょうか? 棺からルビーを出して再封印すればいいということですよね」

「でも、どうして封印は緩んだのかしら?」


 キャロラインが至極当然の疑問を口にした。

 ダニーは首を横に振った。


「わかりません。メイナード殿下が猊下に確認したところによると、千年前と同じで何者かが外の封印を解いたのではないかとのことでしたが、猊下も状況を見ているわけではないのではっきりとはわからないとおっしゃったとのことでした」

「つまり、棺が暴かれている可能性がある、と?」


 小虎がピクリと耳を動かした。

 アイリーンもハッとする。


(待って……と言うことは、棺からルビーが持ち出されている可能性があるってこと?)


 そうなると、また振出しに戻ることになる。そうなれば、メイナードはどうなるのだろうか。メイナードの命の期限までに、ルビーを見つけ出すことができるのだろうか。ゾッとしたアイリーンは、叫び出しそうになるのを堪えて、ぎゅっと小虎を抱きしめる。


「その可能性は考慮しています。それを確かめるために行くんです。もし棺が暴かれて、ルビーが持ち出されていたとしても、もしそれが単なる物取りの仕業であれば追跡は可能でしょう。何せ、二百カラットもあるルビーですよ? そうそう出回るものではない。売りに出されているのなら、探し出す手立てはいくらでもあります」

「物取りの犯行でないならば?」

「そうなれば、ルビー自体の意味を知っているものが盗んだと言うことになります。つまりは、故意的にこの状況を作り出したということです。ですが、その可能性は限りなく低いと見ています。なぜなら『リアースの祟り』はこの国ではすっかり忘れ去られていた出来事です。資料も少ない。仮に『リアースの祟り』にたどり着けたとしても、ルビーにたどり着ける人間がいるとは思えません。なぜなら俺たちですらルビーの存在は猊下に聞くまで知り得なかった情報ですよ」

「そう言えばそうだな」


 バーランドは納得したように頷いた。

 アイリーンもそれを聞いてひとまずほっとした。もしルビーが盗み出されていても、追跡が可能ならばメイナードの命の期限までにそれを見つけ出すことは充分可能だろう。ダニーが有能すぎて泣けてくる。


「ですから、棺の状況を確認して、もしルビーが盗まれていればその足取りを追います。マイアール商会に頼めば、宝石の流通を洗ってくれるでしょう。現在国外逃亡を防ぐため、国境には厳しい検問が敷かれています。それに、闇の力の影響によって起こるとされる『リアースの祟り』はグーデルベルグ国内で猛威を振るっているのです。グーデルベルグ国外に出ている可能性は低いです」

「もし、ルビーをカットして売りさばいていたら?」


 キャロラインの問いに、ダニーはあきれた顔をした。


「そんな馬鹿がいれば見てみたいです。ルビーは聖女の棺に入っていたもので、国宝でもなんでもない。売り払って罪に問われるはずもないのに、わざわざ二百カラットもあるルビーのアンティークの首飾りを分解して細かく裁断する馬鹿がどこにいます? そんな物の価値がわからない盗賊がいるなら、今すぐ盗賊をやめるべきです」

「盗賊をやめるべきかはわからないけど、確かにそうね」


 キャロラインが納得すると、ダニーは地図を畳んで荷物の中に片付けると、代わりにキャラメルの入った包みを取り出した。


「ひとまずやることは整理できました。キャラメル、食べます?」

「いただくわ」


 ダニーが差し出したキャラメルに手を伸ばすキャロラインを見て、アイリーンはバーランドと顔を見合わせる。


(……ダニーさんと言い、キャロラインと言い、どうして荷物の中に必ずと言っていいほど甘いものが入っているのかしら?)


 片や無表情で、片や幸せそうに、もぐもぐとキャラメルを咀嚼する二人を見て、アイリーンはこの二人は意外と似通った性格をしているのではないかと思ったのだった。

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