翌日。


 アイリーンたちはドリアーニー港から商船に乗り込んだ。

 船は最新式の蒸気船で、ケルグ伯爵領までは、ドリアーニー港から船で丸一日もあれば到着するらしい。陸路とは比べ物にならないほど速い。


「マイアール商会にケルグ伯爵領へ行く予定があって助かりました」


 目立たないように地味な外套を羽織っているダニーが言った。

 マイアール商会とは、レイシースの孫娘の夫の親が代表を務めている商会で、グーデルベルグ国では五本の指に入るほどの規模らしい。最新式の蒸気船の特許はこのマイアール商会が持っているそうで、従来の蒸気船の二倍近い速度が出るのだとか。


「おかげでフィルが興奮してどこかに行っちゃったわ」


 黒いワンピース姿のマディアスが肩をすくめた。何も女装する必要はないと思うのだが、この方が何かあったときに相手を油断させやすいので都合がいいのだと言う。ちなみに、フィルとはフィリップのことで、こちらは指名手配中の第二王子だと気がつかれないように偽名を使っていた。フィリップは蒸気船に乗り込んですぐに、船員を捕まえて機関室が見たいと我儘を言い、関係者以外は立ち入り禁止の機関室へ強引に案内させていた。何でも、彼は馬車に代わる乗り物を開発したいらしい。


「……あの人、嫌疑が晴れても玉座につく気はさらさらなさそうですね」


 ダニーがやれやれと息をついた。フィリップは子供のころから研究が大好きで、将来研究者になりたいと言っていたらしい。三つ子の魂なんとやらで、成長しても本質は何も変わっていないという。母親は権力が大好きなのに、息子である彼はちっとも興味を示さず、一日中部屋に閉じこもっては研究やら実験やらをくり返していたらしい。おかげで剣もまともに使えず、馬にも乗れない運動音痴らしいが、マディアスがそばにいるから大丈夫だと、苦手を克服するつもりはないそうだ。


 甲板の上は寒いからと、食堂へ向かう。

 船室もあるが、貨物船なので広くない。現在、船員たちは荷物を積み込むのに忙しく、食堂には誰もいないので、アイリーンたちはしばらくの間食堂でゆっくりさせてもらうことにした。


「グーデルベルグ王家には王子が三人でしょう? 次の国王はどうなるのかしら」


 口当たりのざらざらするコーヒーに眉をひそめて、カップをテーブルの上に起きながらキャロラインが言った。

 食堂の中は長方形の木製のテーブルと丸椅子が並んでいるだけの簡素な造りだ。奥に船員たちの食事の世話をするスタッフがいたので飲み物を頼めば人数分のコーヒーが出てきたのだが、薄くて口当たりの悪いコーヒーはキャロラインのお気に召さなかったらしい。


 アイリーンも飲んでみたが確かに美味しいとは思わなかった。カップの底にコーヒー豆のカスが沈殿しているのが見えて、なるほど、ざらざらの正体はこれらしいと妙に納得したところで、テーブルの上に卵色のケーキが運ばれてきた。素朴な味だが、これは美味しい。

 国王セオドアが崩御したという知らせは昨日のうちに届いていた。崩御されたのは一週間ほど前だそうだ。国民皆喪に服すようにと通達があったという。


「どうでしょうか。順当にいけば、現在政務を取り仕切っている王位継承権第一位のニコラス殿下が上がるかと思われますが……。俺はずっとこの国いなかったので、この国の事情はよくわかりません」


 ダニーがそう言いながらマディアスを見れば、彼は薄いコーヒーを飲み干して口を開いた。


「ちょっと前までは、フィリップ殿下が有力だったのよ? ほら、ニコラス殿下は体調問題があったから。……まあ、フィリップ殿下本人にはやる気はなかったんだけど……。でも指名手配されちゃって、じゃあ残るはダリウス殿下かしらって思っていたのよね。まさかここで死んだと思われていたニコラス殿下が出てくるとは誰も思わないでしょう? 正直言ってニコラス殿下のことは詳しくないけど、ダリウス殿下がランバース国に行っている間、政務を取り仕切っていたのがニコラス殿下だって言うのならば、彼が最有力候補かしらネェ。王妃……フィリップ殿下のお母様がどう出るかわからないけれど、政治のことを何も知らないあの方が騒いだところで、どうにかなるものでもないもの。フィリップ殿下のことであの方の立ち位置も危ういでしょうし」

「ダリウス殿下のお母様は?」


 アイリーンが訊ねると、マディアスはおかしそうにケラケラと笑った。


「あの方が何かするなんて絶対にありえないわ! だって自分のことにしか興味がない小物だもの。息子にも国にもなーんにも興味がない。ただ、自分さえ幸せならそれでいいような女よ」


 なかなか辛辣な言い方だが、確かにそのような性格であれば、国取りに興味は示さないだろう。


「だが、ニコラス殿下が玉座につくのはいささか困るな」


 バーランドが一口だけ飲んだコーヒーをテーブルの端に押しやりながら嘆息した。

 バーランドの言う通り、ランバース国へ攻め入ろうと計画しているニコラスに玉座につかれるのはこちら側としては困る。

 けれど、グーデルベルグ王家の問題にこちらが首を突っ込めるはずもなく、ただ成り行きを見守るしかないのだろう。


「本来であれば、王が生前に王太子を指名するのが習わしですが、セオドア殿下は誰も指名せずに旅立たれました。この状況ですので、しばらくはニコラス殿下が国王代理を務め、時期を見て玉座につくのが順当な流れでしょう。ニコラス殿下が国王になり、本気でランバース国に攻め入ると決断を下す前に『リアースの祟り』を何とかしなくてはいけません。その手柄をそっくりダリウス殿下のものとして、ニコラス殿下を蹴落としてダリウス殿下が玉座につけば、ランバース国にとっては一番いい流れでしょうか」


 もちろんどうなるかはわからないけれど、ダリウスが玉座につく可能性としてはこれが一番有力だろうとダニーは言う。


「フィリップ殿下が生き残る道としてもそれしかないわね。ニコラス殿下がどう出るかはわからないけど、ニコラス殿下が玉座を狙うなら、フィリップ殿下を始末した方がいいもの。何を言ったところで嫌疑は晴れないでしょう。その点ダリウス殿下なら、曲がったことが嫌いな真っ直ぐな性格の方だから、フィリップ殿下の嫌疑も晴らしてくれるでしょう」


 ま、最悪の場合はまた国外へ逃げればいいと言って、マディアスはコーヒーのお代わりを頼んだ。逃亡生活が長かったからか、この手の質の悪いコーヒーも平気らしい。一般庶民にはこれが当たり前だそうだ。ダニーも平然としている。


 アイリーンはなるほどこれが当たり前な味なのかと思い直して、飲みかけていたコーヒーに口をつけた。庶民臭いコンラード家で育ったとはいえ、出されるものはすべて一級品だった。そしてそれが当たり前だと思っていた。だが、違ったのだ。ならば知りたいと思う。国民が何を食べて何を飲んで何を考えているのか。上に立つのならばそれを知らなくてはならない。……アイリーンは、もう一度メイナードの手を取ると決めたから、メイナードのそばにいると決めたから、彼の隣に立ったときのことを考えたい。

 アイリーンがカップに残ったコーヒーを飲み干したとき、興奮したフィリップが食堂へ駈け込んで来た。


「マディアス! すごいぞ! 新しい発明を思いついた!」


 機関室を見て、何やら構想が浮かんだらしい。

 ダニーは卵ケーキを口に入れながらあきれた顔で言った。


「……この人だけは絶対に王にすべきではありませんね」


 親が死のうと指名手配されていようと気にせず自分の欲求に突っ走れるフィリップは、確かに国王は向いていないかもしれなかった。

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