4

 ゴーン――、と時計塔の鐘が鳴る。


 自室から窓外に見える城の前庭を眺めながら、規則的に聞こえてくるその重厚で物悲しい音を聞くともなく聞いていたダリウスは、朝から数えて何度目かの鐘の音がしたところで、そっと目を伏せた。


 ――国王セオドアが、崩御した。


 その知らせを受けたのは一週間前のことだ。

 それは早朝のことだった。ダリウスはまだ眠りの中にあって、女官長に叩き起こされてその事実を伝えられた。


 父が儚くなったと聞かされたダリウスは、そのときはただ、「そうか」としか堪えられなかった。親の死を知ったと言うのに、その死に目を見ることもできなかったというのに、悲しいとも淋しいとも思わなかった自分自身に驚いて、同時にどうしようもなく虚しくなった。


 グーデルベルグ国の王家において、親子の情はそれほど重要視されていない。父からも母からも愛された記憶はないし、ダリウス自身、家族とは血のつながった他人だと思っている。そしてその歪さを歪だと感じずに育ったダリウスが、父の死に何の寂寥も抱かなかったのは仕方のないことだった。

 そう思うっていたのに――


(今になって……淋しいと思うのはどうしてだろう)


 グーデルベルグ国で信仰されるタリチアヌ教の教えに則り、死後一週間安置された国王セオドアは、本日の午後、埋葬される。

 時計塔の鐘は偉大なる国王の死を悼むために、この一週間の間、昼夜問わず、十分おきに鳴り響いていた。

 今になって心の中にぽっかりと穴をあけられたような淋しさを覚えるのは、もの悲しい鐘の音のせいかもしれないし、――もしかしたら心の中で、家族の関係をやり直せるのかもしれないと期待したせいかもしれなかった。


(……ランバース王家のせいだ)


 王族なのに親と子の距離の近いランバース王家。兄弟でいがみ合うこともなく、国王夫妻は愛し合っていて、朗らかで温かい人たち。それはダリウスの知る歪なグーデルベルグ王家とはまったく異なっていて、ゆえに羨ましかった。そしてそれは、もしかしたら自分たちも家族としての関係を模索できるのではないかという淡い期待すら抱かせるほどに。


「……そんなはずないのにな」


 ダリウス一人が望んだところで、長年をかけて壊れ歪んだ王家が変わるはずもない。

 ダリウスは重たい冬の空と、美しく整えられているのに、ダリウスには灰色を流し込んだようにしか見えない前庭から逃れるようにカーテンを引く。


 国王セオドアが崩御しても、家族は誰も悲しまない。

 母も、フィリップの母である王妃も、夫の死後に考えることは自身の保身だけだ。

 王が崩御したと言うことはすなわち、この国の王が変わると言うことだ。順当に考えれば、第一王子で現在政務の大半を担っているニコラスが次期王になるだろう。


(王妃は今頃……逃げる算段かな?)


 ニコラスの生母であった前王妃を毒殺しその地位を奪ったと噂されている王妃は、その噂の真偽に関係なく慌てているはずだ。母を殺されたニコラスが自身に裁きを下すかもしれないからである。

 そしてダリウスの母は、おそらく王妃を見限るだろう。


(権力の好きな人だから……次に取り入ろうとするのは、リリーかな?)


 ニコラスが王になれば、彼の妻であるリリーが王妃になる。だがリリーは母を受け入れるだろうか。


(……どうだっていいな)


 母がどうなろうと、王妃がどうなろうと、ダリウスには関係ない。あの二人は変わらない。期待をするだけ無駄だ。何も、変わらない。


 コツ、とカーテン越しに窓に額をつける。

 もしもグーデルベルグ王家に、ランバース王家のような温かさがあれば、何かが変わっていただろうか。

 子供たちを愛する王と王妃に、兄を慕うサヴァリエ。弟に甘く、他人であるダリウスにさえ手を差し伸べたメイナード。


 もしもダリウスがサヴァリエだったなら、これから取る行動も違っただろう。けれどもダリウスはサヴァリエではない。ニコラスもメイナードではない。――歩み寄るには、遅すぎる。


 コンコンと扉を叩く小さな音がした。

 ダリウスが何も言わないのに開いた扉から現れたのは、側近のロレンソだ。

 ロレンソは黙ってダリウスのそばまで歩いてくると、声を落として言った。


「アイリーン様達は、無事に逃れたそうです」

「……そうか。よかった」


 ダリウスはひとまずほっとした。

 窓から離れるとソファに腰を下ろす。

 ロレンソがメイドにティーセットを用意させた。ティーカップとティーポットが到着すると、メイドからそれを受け取り、年若いメイドは部屋から追い出す。ロレンソはまずからのティーカップを洗って、それからティーポットに入った紅茶を少量カップに注ぐと、ポケットから取り出した試薬を振り入れた。しばらく待って色が変わらないことを確認し、再度カップを洗うと、改めて紅茶を注ぎ、ダリウスに差し出す。


 グーデルベルグ城に戻ってから、ダリウスもロレンソも、食事や飲み物に毒を盛られることを警戒していた。ニコラスが玉座につくのならば、邪魔になるのはダリウスだ。フィリップはすでに指名手配されているから、始末するには捕えて処刑してしまえばいい。残るはダリウスだけだ。


「今のところ、殿下を消そうとする動きはありませんね」

「不思議とね」


 ダリウスは頷いて、ティーカップに口をつけた。試薬で確かめたから問題ないとはわかっていても、一口目はやはり緊張する。味に違和感もないし、舌もしびれない。毒は入っていないようだ。

 毒を検知する試薬は、城に戻る前にフィリップから受け取った。研究者気質の変わった兄だとしか思っていなかったが、ダリウスが思っていた以上にフィリップはすごいらしい。この試薬はフィリップが作った毒の検査薬で、一般的に毒殺に使われている毒のほぼほぼすべてが検知できるという。いったいどうやったらそんなことができるのだろうか、ダリウスには甚だ謎だった。


(念のためにと言われて受け取ったけど、まさかこんなにすぐに活躍するとはね)


 ニコラスが生きて城にいることはまったくの想定外だった。受け取っておいてよかったと思う。


「殿下、今のところ動きがないとはいえ、ここは危険です。早く離れましょう」

「そういうわけにはいかないだろう。僕が離れれば、誰が兄上を――ニコラスを監視するんだ。明らかにニコラスは怪しい。生きていること自体怪しいのに、リリアーヌそっくりの妻ときた。さらにはあの……、銀髪の男だ。あんな男、僕は知らないぞ」

「ヴィンセント、ですか」


 ヴィンセントと名乗る銀髪の男は、ニコラスの側近だと言う。だが、ダリウスは彼を知らなかった。王や王子の側近は貴族がなるものだ。その貴族の中に、ヴィンセントのいう男はいない。姓はないというのだから、ダリウスの覚えていない貴族である線もない。身元不明の一般市民。そんな男がどうして王子の側近になっているのか。どうしてそれを誰も止めないのか。……わけがわからない。


「とにかく、僕がここを離れるわけにはいかない。ぎりぎりまでここにいて、兄上の目的を確かめなくては。……ランバースに攻め入るなど、正気の沙汰とは思えない」


 ランバース国への侵略は、ひとまず実行には移してはいないようだが、いつ動き出すとも限らない。冗談で言っているとは思えなかったし、冗談で言っていい言葉でもないのだ。


(聖女を捕えよという命令を出していたし、……ニコラスはおかしい)


 ニコラスは『リアースの祟り』の原因はリアースの聖女で、そのためにアイリーンを捕え、ランバース国を攻め入ると言ったが、本当にそれが狙いだろうか。それは目的の一つかもしれないが、どうしてもそれだけだとはダリウスには思えない。

 聖女を捕え、彼女に危害を加えれば即戦争になるだろう。間違いない。聖女はランバース国の宝で、なおかつ次期国王であるメイナードはアイリーンを溺愛している。国力の違いは関係なく、ランバース国はグーデルベルグ国に対して宣戦布告をするだろう。ランバース国には同盟国も多く、下手をすれば大陸全土を巻き込んだ戦争だ。そんなことは容認できない。


 だからダリウスは、ニコラスのランバース国の侵略はもとより、アイリーンの捕縛命令も阻止しなければならない。そのためにはグーデルベルグ城を離れるわけにはいかないのだ。


「ニコラスの周辺のついての調査結果は?」


 ダリウスはロレンソにニコラスの周辺を探らせていた。ロレンソはダリウスの側近になるまでは諜報官として働いていて、当時の仲間が城の中にはたくさんいるのだ。ニコラスではなくダリウスについてくれる人間も多い。

 ダリウスが訊ねると、ロレンソが渋い顔をした。


「……それが、静養に出て城へ戻って来るまでの間のことは、びっくりするくらい情報がないんです」


 ロレンソが言うには、ニコラスはセルジオ国王が『リアースの祟り』に倒れるのと時を同じくして城へ戻ってきたとのことだった。まるでセルジオが倒れるのがわかっていたと言わんばかりにタイミングがぴったりだったらしい。そしてセルジオが倒れたことにより混乱する城内をまとめ上げて、国王の代わりに完璧な政務を行った。体が弱くて寝たきりだったにもかかわらず、ニコラスの政治手腕は見事なもので、城で働く人心を掌握するのに時間はかからなかったという。


「殿下が気にされていたリリー様ですが、すみません。こちらもあまり芳しくありません。わかっているのは、ニコラス殿下が城へ戻って来るときに一緒に連れてきて、その時にはすでにご結婚されていたとのことだけです」

「あり得ないだろう。王子が極秘結婚?」

「はあ。そう言われましても……」

「悪い。責めているわけじゃない」

 ダリウスはがしがしと髪をかきむしった。

「あれはリリアーヌではないのか」

「死人は蘇りませんよ」

「そんなことはわかっているが、だがあれはあまりに――」


 リリーはニコラスの婚約者だったリリアーヌに瓜二つだ。同一人物でないとするならば、双子としか思えない。だが、リリアーヌは双子ではなかった。


「リリアーヌに姉妹は?」

「リリアーヌ様にはお兄様がお一人いらっしゃるだけです。血縁関係も洗いましたが、どれも該当者はいませんでした」

「では、完全なる他人だと?」


 そんなことがあり得るのだろうか。似ているというレベルではないのだ。同じとしか思えない。

 ダリウスは空になったティーカップをおいて、コンコンと指先でテーブルの上を叩いた。


「ニコラスが急に元気になったのは?」

「それについてですが、ニコラス殿下の治癒を行ったのはヴィンセントという噂です」

「なに?」

「あくまでこれは使用人の噂レベルのことですが、ヴィンセントがニコラス殿下の診察をしているところをメイドの一人が見たと言います」

「診察? ……あの男は医者か?」

「それが、ヴィンセントのほうも情報が少なくわからないのです」

「あくまで噂か。……だが、その噂が本当ならば、ニコラスがヴィンセントをそばにおいている理由に説明がつくな」

「はい」

「いや、やはり無理だ。ニコラスの病は誰にも治せなかった。医者が全員匙を投げたんだぞ。ヴィンセントが医者でも、兄上が元気になったことへの説明にはならない。それこそ聖女でも連れてこない限り無理な話……いや、まて」


 ダリウスはテーブルの上を叩くのをやめて、顎に手を添えた。

 ニコラスの体を蝕んでいた病が何であったのかはわからない。医者も原因はわからないと言った。だから治せないのだと。ただわかっていることは、グーデルベルグ王家には稀にニコラスと同じような症状を持った子供が生まれるということだけだった。その子供たちは多少のずれはあろうとも、たいていが二十歳前で命を落とす。だからニコラスも二十歳までは生きられないだろうと言われていたのだ。

 そのニコラスの病が、本当に治るだろうか。


「だからか? ……ニコラスの体は完全には治っておらず、治癒させるために聖女を捕えようとしている?」

「殿下、それだと理由付けとしては弱いです。捕えずともアイリーン様は王都へ来られる予定でしたし、あの方はお優しい方なので、強引に捕えずとも頼みさえすれば癒しの力を使ってくださったでしょう。なにより、ランバース国を攻める理由がありません。ランバース国を侵略しようとすれば、アイリーン様を捕えたところで、癒しの力は使ってはくださらないでしょう。本末転倒です」

「やはり、『リアースの祟り』がリアース教のせいだと、ニコラスは本気でそう思っているということか? そしてニコラスの病は本当に治ったと?」

「さて、それは何とも」


 ダリウスははーっと大きなため息をついた。


「……ヴィンセントについて、ほかにわかっていることはあるか?」


 ロレンソは「これが役に立つのかはわかりませんが……」と前置きして、ダリウスのティーカップに紅茶のお代わりを注ぎながら答えた。


「ニコラス殿下が、リリー様とヴィンセントに出会ったのは、昨年、ニコラス殿下が静養に向かわれた王家の別荘との話です」


 ニコラスがリリーとヴィンセントに出会ったのが静養に出向いた別荘地であることは、別に不思議でも何でもない。まともに出歩けないニコラスが歩き回るはずはないのだから、グーデルベルグ城へ戻ってくる前に彼らと知り合ったと言うのならば、王家の別荘以外に出会う場所はないだろう。


(……いや、待て)


 ダリウスは眉を寄せた。

 ニコラスが向かった王家の別荘。あそこはかつて一つの公爵家が治めていた。かの家が取り潰された時に王家預かりになって、そのままになっていた場所だ。

 ダリウスはごくりと唾を飲みこんで、胸の奥に広がった嫌な予感を沈めようとした。けれどもその予感は静まるどころか大きく広がり、ぞわりと背筋を這って主張してくる。


(関係はない。あるはずがない。なぜならあの家は……、使用人に至るまで、全員処刑されたはずだ)


 それなのに、何故だろう。『リアースの祟り』の――闇の力が封印されたと言うルビーの話を聞いたからだろうか。確信があるわけではないのに、妙に引っかかる。


「ダニーに……ダニーに手紙を。この予感があたらなければいい。だが……」

「殿下?」


 ロレンソは訝し気な顔をしたが、ダリウスはふらつきながら立ち上がると、手紙を書くためにライティングデスクへ向かった。

 そして、震える手でペンを取り、つぶやく。


「……ヴァーミリオン家」


 ロレンソが息を呑んだのがわかった。

 ヴァーミリオン家――それは、二十年ほど前、国家反逆罪で取り潰された公爵家の名前だ。

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