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 アイリーンたちがナタージャ侯爵領にある侯爵の邸に来て六日。


 サバドアの町で第二騎士団の面々と合流したバーランドたちが、侯爵領へ到着した。

 第二騎士団隊長バルドワードをはじめ、騎士の面々は一人の欠けもないそうで、アイリーンはホッとする。

 さすがにダニーやバーランドたちとともに騎士たちがぞろぞろと移動すると目立つので数班に分けて行動してナタージャ侯爵領を目指したそうだが、到着した彼らは皆元気そうだった。


 アイリーンが、もし彼らに怪我や疲れがあるなら癒しの力を使うと言えば、バルドワードは苦笑しつつ首を横に振った。


「お気持ちだけで。争ったわけではなく、相手を陽動して散らしただけなので、こちらには被害は何もありませんよ」


 ファーマンにあとから聞いた話だが、それはすごいことらしい。騎士の一人一人の力量もあるが、なによりバルドワードがうまく統率したからこそ、一人の怪我人も出ずにすんだのだ。

 バーランドはバルドワードに憧れて第二騎士団に入ったと聞いたことがあるが、なるほど、彼が尊敬するだけあって、バルドワードはとても有能なのだろう。


「少し休んだら例の話をしましょう。俺が思っていた以上に急いでいるのでしょう? マディアス、フィリップ殿下は?」


 道中、バーランドからメイナードのことを聞いたダニーが言う。


「相変わらず部屋に籠っているわよ」

「一時間後に一階のサロンに呼んでください」


 ダニーとバーランドは旅の汚れを落とすため湯を使うそうだ。ナタージャ侯爵邸の一階には使用人たちが使う大浴場があるそうで、騎士団の面々は一足先にそちらへ向かっているという。ダニーもバーランドも、個別に部屋に湯を用意してもらう時間が惜しいので大浴場を使うそうだ。


 フィリップは二階の客間の一室に籠って、ずっと研究をしている。アイリーンが到着してからも、食事の時間にしか姿を見ていない。ダニーが使っていた小型爆弾などの武器の研究もそうだが、古い文献などからルビーのありかを探っているという。


 アイリーンは小虎を抱きかかえて、キャロラインとともに一足先に一階のサロンへ向かった。

 サロンは、ナタージャ侯爵邸の吹き抜けの広い玄関の右手にある。室内は広く、白を基調とした品のよい部屋だ。部屋の奥には、侯爵のコレクションだろうか、美しい絵皿が数点飾られていた。


「あれって、ランバースの作家の絵皿じゃない? ペニーベル・ジャックソンだと思うわ」


 キャロラインが絵皿のコレクションの中でひときわ目立つ大皿を指して言った。アイリーンは骨董には詳しくないが、言われてみれば確かに、百年ほど前の陶芸作家ペニーベル・ジャックソンの絵皿によく似ているような気がした。

 キャロラインが立ち上がり、絵皿の裏の落款を確かめて、「間違いないわね」と頷く。


「うちにも数点あるからそうじゃないかと思ったんだけど、たぶん本物よ」

「ランバースとの国交ってまだ再開してないんでしょ? どうやって手に入れたのかしら?」


 アイリーンが素朴な疑問を口にしたとき、二人のためのティーセットを運んできたナタージャ侯爵邸の執事レイシースが、ティーカップに紅茶を注ぎながら答えた。レイシースは好々爺然とした優しそうな老人だ。


「それは前の奥様――ダニー坊ちゃんのお母様が、嫁いでくるときに持ってこられたものなのです」

「バニーのお母様って確か、旅芸人だったって言う?」


 キャロラインが問う。キャロラインがダニーのことをバニーと呼んでいることを知っているレイシースは、微笑みながら頷いた。


「ええ。ただ、旅芸人になられる前は、良家のお嬢様でいらしたそうですよ。詳しいことは存じませんが、旅芸人になるのを反対されたので、家出同然で飛び出したのだとか。なかなか情熱的な方でございました」

「……情熱的」


 アイリーンは、ダニーの顔を思い浮かべて首を傾げた。駄目だ、想像できない。どんな人だったのだろう。


「奥様はナタージャ侯爵家を出られるとき、かさばるものはすべておいて行かれました。その絵皿もその一つで……、旦那様は、奥様が残した品々を、今も大切に取っていらっしゃいます」

「でも、再婚なさったんでしょう? 今の奥様は嫌がらなかったのかしら」


 キャロラインがずけずけと訊ねた。


「現在の奥様と旦那様はお互い再婚同士で、もっと言えば幼馴染の関係なのです。そのあたりの事情は汲んでくださる、穏やかな方でございます」

「じゃあ、ダニーが冷遇されるようなことはないのね?」


 レイシースはくすくすと笑った。


「もちろんでございます。ですから、ご安心いただいて大丈夫ですよ」


 揶揄い口調で言われて、キャロラインの頬に朱が差した。どうやら彼には、キャロラインの気持ちは筒抜けだったようだ。年の功というものだろうか。


 小虎は話が退屈だったようで、ソファに寝そべってくぴくぴと寝息をたてはじめた。

 ついでとばかりにダニーの子供のころの話を聞きたがったキャロラインとレイシースが話し込んでいると、入浴と着替えをすませたダニーが部屋に入って来て、嫌そうに眉をひそめた。


「……何を勝手に話しているんだよ、レッツィ」


 レッツィとは、レイシースの愛称らしい。ダニーは子供のころより彼のことをそう呼んでいたそうだ。


「年寄りは昔話が多くなるものですよ、坊っちゃん。さて、お疲れでしょう? 甘いものでも用意させましょう」

「……うん」


 ダニーが小さく頷くと、レイシースがダニーの分のティーセットとお菓子を用意するためにサロンから出ていく。ダニーはナタージャ侯爵邸の使用人と仲がいいらしい。


 レイシースが追加のティーセットを持ってくるころにはバーランドやフィリップ、マディアスも集まってきた。今日ナタージャ侯爵邸に到着したバーランドよりも、部屋に籠っていたフィリップの方がやつれて見える。目の下にくっきりとした隈があることから察するに、昨日は徹夜をしたようだ。

 ダニーが生クリームたっぷりのフルーツケーキにフォークを突き刺しながら口を開いた。


「そちらの事情については把握しましたので、こちらの話をしましょう」


 ダニーが真面目な顔で甘そうなケーキを頬張る。顔色一つ変えずに甘いものを口に入れるのは相変わらずのようだ。

 いつの間にか目を覚ました小虎がのそりと起き上がって、アイリーンの膝の上に乗った。彼も話を聞くらしい。


「まず、今の国の状況ですが、俺たちがグーデルベルグ国に到着したときにはすでに、国王陛下はリアースの祟りに罹患していました。もう長くないだろうと言う話です。そしてここからは……、にわかには信じがたいのですが」


 ダニーはちらりとフィリップを見やった。彼は濃いめの紅茶に砂糖とミルクをドバドバと落として一気に煽ると、ダニーのあとを引き継いだ。


「長兄――、死んだと思っていたニコラスが生きていたらしい。父上が病に罹患してから、国政は兄が取り仕切っているそうだ。これは城に戻ったダリウスが密かによこした連絡でも確認が取れている。驚くほど元気になっているらしいよ。よく似た他人だろうと思ったが、ダリウスが本人だと言うのだから本人なのだろうと思う。それに、いつの間にか結婚していたようだ。ダリウスが言うには、ニコラスの死んだ婚約者に驚くほどよく似ている妻をそばにおいているというが……まあ、これはさほど重要なことではないだろう。問題は、ニコラスがランバースを敵視しているという点だ」

「敵視、ですか……?」


 アイリーンが目を瞬かせた。どうしてランバース国が敵視されているのだろう。なぜならグーデルベルグ国からは第三王子ダリウスが、ランバース国との国交再開に訪れたくらいだ。リアースの祟りをグーデルベルグ国から消し去るべく協力体制も取った。敵視される理由がわからない。


「理由はわからない。ダリウスが言うには、ニコラスはランバース国に攻め入るとまで言ったそうだ。今は、ダリウスがそれを押しとどめている。だが、ニコラスが生きていたことと言い、突然ランバース国に攻め入ると言い出したことと言い、妙なことが多すぎてダリウスも状況を把握するために基本的には静観する方針を取ることにしたらしい」

「……つまり、すぐにはランバースに戦争を仕掛けないけれど、その話は消えてはいないってことですか?」

「そういうことだ。そして、その状況だから、君が王都へ行くには非常にまずい。ダリウスが言うには、君たちが入国許可を申請した時点で、ニコラスは水面下で君たちを捕えるように指示を出したという話だ。オルツァで君たちを襲った連中もニコラスの手のものだろう」

「聖女を理由なく捕えれば、ランバースも黙っていない。もしそれでアイリーンが傷つけられでもしたら、戦争は回避できないな」


 バーランドが顔をしかめた。


「はい。狙いはそれなのか、ほかにあるのかはわかりませんが、王都には向かわない方がいいのは間違いありません。……ルビー探しもやりにくくなりました」


 本来であれば、国に戻ったダリウスが王を説得するか、自身が率いてルビー探しをする予定だったという。だが、ニコラスが実質上国の頂点に君臨し、なおかつランバース国を敵視していることでそれもできなくなった。ダリウスは、ニコラスは信用できないと判断したようだ。


「ダリウス殿下はニコラス殿下を監視するそうです。何かあれば連絡が来ることになっていますが、ルビー探しは俺たちだけで行わなくてはいけません」

「ルビーについて、どこまでわかっているんだ?」


 ダニーがフィリップを見た。ダニーがアイリーン救出のために出かけている間、調査はフィリップ一人で行っていたのだ。

 フィリップはメイドの一人を呼んでグーデルベルグ国の地図を持ってこさせた。テーブルの上にそれを広げると、とん、とグーデルベルグ国の北にある地を指先で叩く。グーデルベルグ国は魔法使いの杖の先のような形をしていて、真ん中にはサルドリナ海とつながっているディオル内海がある。フィリップが指さしたのは、ちょうどそのディオル内海の真北――キブロア国との国境を背にしている場所だった。


「一番可能性が高いのはここだと思っている」

「コーンセット領ではないんですか?」


 ダニーがナタージャ侯爵領の西隣の領地コーンセットを指さした。


「僕も最初はここかと思ったんだが、聖女の棺に納められたという点を考えると、ここではないだろう。以前文献を探しに行ったとき、ここには墓地らしいものはなかった」


 フィリップによると、コーンセット領には旧リアース聖国の城跡が残っているらしい。以前、フィリップはその城跡で旧リアース聖国の文献を探していたという。だが、その時には聖女の棺らしいものはなかったらしい。


「千年前の聖女が処刑されたとき、その遺体が消えたか、すり替えられたかという情報を見つけた。遺体は何者かによって運び出され、人目につかないところで埋葬されたと言う。そこで思い出したのがここだ。ここは旧ヴァーミリオン家の領地で、彼らは異教信仰のために滅ぼされた。信仰していた異教が何なのかは知らないが、リアース教ならば……」

「なるほど。そう考えると可能性は高いですね」

「……がう」


 ダニーとフィリップの遮るように、小虎が小さく鳴いた。

 どうしたのかと思っていると、小虎がアイリーンの膝から飛び降りて、耳と尻尾の生えた子供の姿に変わる。急に姿を変えた小虎に驚いていると、小虎はアイリーンの膝の上に戻って、ぎゅっと彼女に抱きつくと言った。


「そこだよ。アメリの遺体はレーガルが運び出してそこに埋葬した」

「アメリ? レーガル?」

「アメリは千年前に処刑された聖女、レーガルはアメリの父親でそばに最後まで残ったリアースの賢者。そしてエディローズとフォレスリードの孫」

「え?」

「僕はアメリの棺の中で一緒に眠った」

「「「ええ⁉」」」

「だからアメリの棺はそこにある」


 小虎はそれだけ言うと、それ以上は思い出したくないことなのか、再び小さな虎の姿に戻ってアイリーンの膝の上で丸くなった。

 アイリーンたちはぽかんとしたが、小虎が言うのならば本当なのだろう。


「じゃあこれで、ルビーが手に入る……!」


 アイリーンはぎゅっと小虎を抱きしめた。

 これで、メイナードは助かるはずだ。


(メイナード……!)

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