17

 教皇ユーグラシルに連絡を取ったメイナードは、次の日、彼が保有している邸を訪れた。


 ユーグラシルは自ら城へ向かうと言ったが、話が話だけに、できれば城ではなく二人だけで話をしたいと伝えたところ、ユーグラシルの邸でということになったのである。


 サイフォス家の邸は広いが、ユーグラシルが持つ別邸はそれほど広くはない。だが、小さな庭は品よく整えられていて、大理石を張られた玄関は磨き上げられ、小さな植物が飾られていた。


 何を考えているのかわからない教皇ではあるが、彼は派手なことは好かない性格であり、その性格が表れているような邸だとメイナードは思った。


 小さなサロンに通されると、使用人がティーセットを用意して去って行く。


 邸にいるからか、教皇は白いシャツに黒のトラウザースというラフな格好をしていた。


「そのレモンタルトは我が家のシェフの自慢のレシピなので、ぜひ味わってみてください」


 城で会う教皇よりもだいぶ砕けたように見えるのも、自宅だからだろうか。


 もともと常に穏やかな表情をしている男なので、寛いだ様子を見ると、不思議と普段ほどには苦手意識は持たなかった。


 メイナードはすすめられるままにレモンタルトにフォークを刺して、優雅な所作でティーカップを傾けているユーグラシルを見やった。


 正直なところ、メイナードは、この男が王家の敵なのか味方なのかもわからなかった。王家と教会が表立って争ったこともあったが、ここ最近は穏やかな関係性を築いている。ユーグラシル自身も政治に口を出してくることはなかったし、王家に圧力をかけるような真似もしてこなかった。


 だからだろうか。アイリーンをメイナードから遠ざけようとした――、婚約を解消させた意図が、メイナードにはわからない。


 そしてアイリーンに謎なブレスレットを手渡した意図もわからない。


 ダニーは教皇に訊きいた方がいいと言ったが――、本当に今回のことを教皇に訊ねていいのかも、まだメイナードにはわからなかった。


 口いっぱいに広がるレモンタルトの甘酸っぱさをかみしめて、メイナードは口を開いた。


「聞きたいことがあってきた」


「なんでしょう?」


 メイナードがフォークをおくと、教皇もティーカップをおいた。


 教皇の表情は相変わらず穏やかだ。


 しかし次の瞬間――、教皇の表情が一瞬だけ強張ったのをメイナードは見逃さなかった。


「リアースの祟りについて知りたい」


 そう、この一瞬――、教皇は確かに表情を強張らせたのだ。






「それはいったい何ですか?」


 一瞬後、教皇は変わらない穏やかな表情を浮かべていたが、メイナードは教皇が「リアースの祟り」について何か知っていると確信した。


 メイナードは再びフォークを握って、何気ない様子を装いながら続けた。


「千年前に大陸に流行ったと言われる疫病だ、リアースの祟りというらしい」


「そんなものは、はじめてお聞きしましたね」


「そうか……。では教会の書庫の閲覧の許可を出してくれないか?」


「何故です?」


「リアースの祟りという疫病を鎮静化させたのは聖女であると聞いたのだ。聖女に関することなら教会の書庫にそれらしいことが書かれた書物があるかもしれないだろう?」


「殿下、聖女がこの国に現れたのは八百年前の戦争のときですよ」


「どうやらそうでもないらしい。グーデルベルグに残る書によれば、滅亡したリアース聖国の時代にはすでに聖女と呼ばれる女性は存在していたようだ」


 メイナードはレモンタルトを口に運びながらユーグラシルを観察した。


(さあ、どう出る? まだ誤魔化すか……?)


 ユーグラシルはしばし沈黙して、それからため息とともに言った。


「――そんなものを調べて、どうするというのです?」


「グーデルベルグでリアースの祟りと似た症状の病が流行しはじめたらしい」


「それはグーデルベルグの問題でしょう?」


「リアースの祟りは大陸全土へ広がったという。この国までその猛威を振るわないとは言いきれないだろう?」


「この国には聖女がおります」


「なるほど。リアースの祟りは聖女で防げるのか」


「………、殿下」


 ユーグラシルは疲れたように額をおさえた。この男がここまで表情を崩すのは珍しいなと思いながら、メイナードは知らないふりをして続けた。


「聖女で防げるというのならアイリーンが巻き込まれかねない。私としてはそれはどうやってでも回避したい」


 メイナードはレモンタルトを食べすすめながらユーグラシルの反応を待った。やがて、タルトをすべて食べ終えたところで、ユーグラシルが長い息を吐きだした。


「殿下、気がついていらっしゃるのでしょうから隠し立ては致しませんが、私は一度、あなたとアイリーンを引き離そうとしました。その理由については申し上げられません。ですが、誓って、もう二度とあなたとアイリーンを引き離そうとは致しません。その代わり、リアースの祟り――、グーデルベルグには関わらないでください」


「なぜ?」


「あなたのためです」


「私のため?」


 メイナードは首をひねった。聖女のためではなくメイナードのためとはどういうことだろうか。


「……アイリーンと私の婚約を解消させたのは、私のためか?」


「そうです」


 メイナードはしばらく言葉の意味を考えるようにうつむいたが、顔をあげると、ユーグラシルを鋭く睨みつけた。


「リアースの祟りについて知っていることを話せ」


 教皇はメイナードの深い紺色の瞳をまっすぐに見返して、諦めたように口を開いた。

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