18

「リアースの祟り――そう呼ばれる病について、多くの情報は残っておりません」


 ティーカップが空になったので、ユーグラシルはティーポットから自らカップに紅茶を注ぎ入れて、ぬるくなっている紅茶の中に角砂糖を一つ落とした。


 紅茶の温度が低いからか、スプーンでかき混ぜても、角砂糖はなかなか溶けずに紅茶のうすの中で小さく回った。


「リアースの祟りを語る前に、リアース教についてご説明した方がよさそうですね。リアースの神は光と闇の二つの力を持つ神というのはご存知ですね?」


「ああ」


「では、リアース教のはじまりは?」


「……リアース聖国で起こった」


「どうやって?」


 メイナードはまるで教師に質問されているような気分になった。


 知らないと首を振ると、「そうでしょうね」とユーグラシルが薄く笑う。


「リアース教のはじまりについては、誰も語らない。知っているものも少ないのですよ。それが――悲劇のはじまりであったから」


「悲劇……?」


 宗教のはじまりが悲劇とはどういうことだとメイナードは眉を寄せる。


 ユーグラシルは砂糖の溶け切らない紅茶に口をつけた。


「千二百年以上も前、リアースの神は自らの力の一部を、二人の人間に授けた。光の力を授かった女は光の聖女と呼ばれ、闇の力を授かった男は月の神子と呼ばれました。二人を中心にリアース教は急速に信者を伸ばし、巨大な宗教国家を作った。それがリアース聖国です。

 二人を中心に、リアース聖国は国土を延ばしながらも平和な時代を送った。けれども、事態は月の神子の持つ闇の力の暴走を前に一転します。神の力は、たとえそれが一部だとしても巨大で、特に闇の力は人には大きすぎた。月の神子は狂い、闇の力は暴走して、世界を覆い尽くそうとしたとき、光の聖女は命を懸けて月の神子の闇の力を封印したと言います。封印は彼女が常に身に着けていた二百カラットを超えるルビーの首飾りに施したそうです。ただルビーに封じ込めるだけでは闇の力をすべて抑え込むことができず、封印は彼女の棺をもって二重に施された。つまり、封印したルビーを聖女の遺体ごと棺に納めたんです。それにより世界から闇の力は消えましたが――、光の聖女が命を落としたことを嘆いた月の神子は自ら命を絶った。

 リアース教は二人の存在が消えたとともに、徐々に衰退をはじめます。そしてリアース聖国は滅亡したと言われています」


 ダニーが調べ上げた「ルビー」と「箱」――、それはこのことだったのかとメイナードは目を見張る。


 ユーグラシルはティーカップをおいて、そこに残った砂糖をスプーンの腹でつぶすような動作をしながら続けた。


「リアース聖国は滅亡しましたが、世界はそれにより平和を取り戻しました。けれど千年前、光の聖女の棺が破られたことで、再び闇の力の片鱗が世界を襲うことになります。それが、リアースの祟りです」


「つまり……、光の聖女が施した封印が解かれた、と?」


「いいえ。ルビーの封印は解かれてはいません。けれども、先ほどお伝えした通り、闇の力は強すぎる。ルビーの封印はそのままですが、光の聖女の棺という外の封印が破れたことで、闇の力の片鱗が世界にあふれた。それにより疫病の流行を引き起こすことになりました」


「なぜ聖女の棺が破られた?」


「封印を破ったのは当時のグーデルベルグの王妃です。理由はわかりません。ただ宝石がほしかっただけかもしれませんし、何かほかの意図があったのかもしれません。ただ、王妃は聖女の棺からルビーの首飾りを取り出して自分のものとした。それにより、疫病騒ぎが起こり、グーデルベルグで新しく信仰されはじめていたタリチアヌ教の神の御子を名乗る男が、リアース教が疫病の原因だと言ったことによりリアース教の信者への迫害がはじまりました。当時聖女であった女性は磔にされて殺害され、やがてリアース教徒たちはこの地へ逃れましたが、疫病はおさまりませんでした。疫病は四十年の月日をかけてこの地を除いた大陸全土を覆い尽くし、人口が五分の一以下に減少したと言われたいます」


「……どうやってその疫病は沈静化したんだ?」


「密かにグーデルベルグに残っていたリアース教の信者の一人が、磔にされた聖女の棺にルビーを封印したと言います。聖女は磔にされて殺害される前にすべての準備を整えていたそうです。グーデルベルグの王妃とともに埋葬されたと言われるルビーをどうやって掘り起こしたのは定かではありませんが、とにかく、それにより封印は再度なされ、疫病はおさまりました」


 メイナードはそこまでを聞いて眩暈を覚えた。


 ユーグラシルが言ったことが本当なら、それは――


「つまり、グーデルベルグでそのルビーが聖女の棺から出された可能性があり、もしそうであるならば、封印できるのは聖女の棺――つまりは、アイリーンの死と棺が必要であると、そう言いたいのか?」


 ユーグラシルは答えなかった。


 しかし、その沈黙が雄弁に語っている気がして、メイナードは唇をかみしめる。


「……ほかに方法は?」


「破られた聖女の棺の封印の力が生きていれば、あるいは。千二百年前の光の聖女の棺は、千年前に遺体とともに消えたと言われていますが、今までルビーを封じ込めていた千年前の聖女の棺が残っていれば、可能性はあるかと」


「なければ?」


 ユーグラシルは押し黙る。


 メイナードは思わず怒鳴りそうになる気持ちをおさえて、拳を握りしめた。


 そのとき――


「やはり三度目の間違いを犯すのだな、そなたは」


 静かな声とともにサロンの扉が開かれて、現れた男にメイナードは目を丸くした。


(……風車?)


 頭に風車がささっている。しかも赤と金色という実に悪趣味な色合いだ。


 思わず茫然としてしまったメイナードに、突然現れた男はため息とともに言った。


「もしもの時は、前聖女、サーニャの棺を使え。それをアイリーンの力で補えば、おそらくは、どうにかなるだろう」

 






 突然現れた風車の男に、ユーグラシルは顔をしかめた。


「リカルド」


 メイナードはリカルドという名に聞き覚えがあった。リカルド・キューベック。いつもふらりといなくなるとかで、実際に会ったことはないが、枢機卿の一人に名を連ねている男だ。


 リカルドはユーグラシルの隣に座ると、彼が手を付けていなかったレモンタルトを引き寄せて食べはじめた。


「どのみち、今のアイリーンの力では封印には足りない。しかしサーニャの棺を使えばその力でも封印には足るだろう」


「それは、サーニャの棺を掘り起こせというのか」


「掘り起こさなければ使えないだろう?」


「つくづく冒涜的な男だなお前は!」


 ユーグラシルがここまで声を荒げるのをメイナードははじめて見た。


 確かに、およそ四か月前に他界した聖女の棺を掘り起こすなど正気の沙汰とは思えない。だが、それによりアイリーンが危険にさらされる可能性が回避できるのであれば、メイナードはどれほどそれが冒涜的であろうとも飛びつきたかった。


「そうすればアイリーンが死ぬことはないと?」


「うまくいけばな。まあ、封印を話し合う前にまずはルビーを探すことが先決だろう」


 確かに。実際、本当に聖女の棺からルビーが出されたのかどうかもわかっていない。あくまで、千年前のリアースの祟りという疫病と同じような症状の病が流行しているという事実だけだ。だが、もしも本当にそうであったときに、アイリーンに危険が及ばない方法がわかるだけでもメイナードには収穫だった。


 メイナードは立ち上がると、ユーグラシルに礼を言って立ち去ろうとした。その背を、ユーグラシルの静かな声が追いかけた。


「殿下、できればグーデルベルグにはあまりかかわらないでいただきたい。そして、その身に何か違和感があればすぐに私に知らせていただけませんか?」


 メイナードはユーグラシルがどうしてそう言うのか気になったが、リアースの祟りについて語ってくれた感謝もあり、ただ黙ってうなずいた。

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