15
一時間ばかり眠っていたわたしは、侍女たちが起こしに来て目を覚ました。
目を覚ました時にはメイナードはいなくて、内扉はきっちり閉められていた。
身支度を整えると、朝食が運ばれてくる。城に泊まっているときはいつもメイナードと一緒に食事を取るんだけど、侍女のローザによれば、つい先ほど急用で部屋から出て行ったらしいわ。
一人きりの食事は味気なくって、ただ黙々と食事を口に運ぶ。
こんな朝早くから急用なんて、何か大変なことでも起こったのかしら?
心配でパンが喉に詰まりそうになって、わたしはオレンジジュースで流し込んだ。
食事を終えてぼんやりとメイナードを待っていると、しばらくして隣の部屋の扉があいた気配がした。
わたしがソファから腰を浮かせた直後、内扉が叩かれる。
わたしが扉を開けると、そこには困ったような顔をしたメイナードがいた。
「何かあったんですか?」
メイナードを部屋に招き入れて、朝食をとっていないようだから侍女にミルクティーとビスケットを用意してもらう。
メイナードは甘めのミルクティーを一口飲んで、細く息を吐きだすと、口を開いた。
「さっきオルフェが来ていたんだが、昨夜、コンラード家に賊が押し入ったらしい」
「賊?」
わたしは目を見開いた。
「それで、みんなは?」
怪我はしていないかしら?
ぎゅっと自分の手を握りしめたわたしに、メイナードが優しく「大丈夫だよ」と答える。
「オルフェによれば、小虎が追い払ったとジオフロントが言っていたとのことだ」
「小虎が……、そうですか」
わたしはホッと胸をなでおろす。
きっと、小虎が大きくなって追い払ってくれたのね。小虎は本当にいい子だわ。
「昨日の賊が何なのか今調べさせているところだが、賊は全員逃げ出したようで、手掛かりになりそうなものは残っていないようだ」
「物取りとかでは……?」
「だったらまだいいが、君を――聖女を狙ったものでないとは言い切れない」
普段、コンラード家には王家が派遣してくれた兵士たちが警護してくれているけれど、わたしが城にいるから今はいない。でも、賊はそうとは知らず、警護が手薄になったと思って狙ってきた可能性もあるみたい。
メイナードはミルクティーを飲み干してから、眉尻を下げた。
「だから、今日、君をコンラード家に帰すわけにはいかなくなった」
「え?」
驚いてしまったあとで、考えてみればそういう結論に至ってもおかしくないと悟る。
きっとお父様もお兄様たちも、少なくとも賊の目的がわかるまで城にいろと言うでしょうし。
「それから、午後から小虎を連れてくるらしい。もしも賊の目的が君だったのなら、君のそばに小虎をおいた方がいいからね」
ダリウス王子の歓迎のパーティーが終わればコンラード家に帰る予定だったから小虎を連れて来ていなかったけど、もうしばらく城に留まるのなら小虎がいてくれるのは嬉しいわ。わたしを守ってくれるのはもちろんだけど、あのモフモフした体を抱っこしているだけで癒されるもの。
でも――、もうしばらく城に滞在すると言うのなら、部屋の問題を言っておいた方がいいわよね。わたしたちの関係のことも――
二人の侍女は気を利かせて控室に下がっているから、込み入った話は今の方がいい。
わたしの胸がまたチクりと痛んだけれど、それに気がつかないふりをして、わたしは口を開いた。
「殿下、ご相談が……」
「却下」
わたしが痛む胸をおさえて一生懸命説明したというのに、メイナードはにべもなかった。
むっと眉を寄せたメイナードは、わたしが新しく入れた紅茶に砂糖を一つ落としてスプーンでかき混ぜる。
「部屋なんてどこでも一緒じゃないか」
そんなわけないでしょう?
客室ならいざ知らず、王太子妃の部屋よ?
「どこでも一緒なら、別の部屋でもいいと思いますけど」
なおも食い下がろうとするわたしに、メイナードが不機嫌なまなざしを向ける。
「とにかく、却下」
とにかくって何よ。
まあ、こうなることを想像していなかったわけでもないから、わたしはため息をつく。
「殿下、わたしと殿下の関係は――」
「関係がどうであろうと、君の部屋はここだよ」
「わたしは王太子妃ではありませんよ」
「私も王太子ではない」
いや、それはそうだけども。第一王子が王太子の部屋を使うのと、その元婚約者が王太子妃の部屋を使うのでは意味が違うのよ。
メイナードがここまで不機嫌そうな顔をするのは久しぶりで、どうしていいのかわからない。
食い下がるともっと機嫌が悪くなると思うけど、だからと言ってわたしも引き下がるわけにはいかないのよ。
しばらく無言の攻防が続いたあとで、メイナードがため息とともに言った。
「アイリーンはなにが嫌なの? 部屋? 内装が嫌ならいくらでも好きなように改装していいんだよ」
内装の話なんて一つもしていないでしょう!
まったく、油断しているとすぐに話をすり替えようとする。
「わたしは立場の話をしているんです」
「そんなことを言ったって、聖女の部屋なんて存在しないんだから仕方ないだろう?」
「だから、普通の客室でいいと」
「だめ」
「殿下!」
こうなったときのメイナードが頑固なのは知っている。
わたしはいつまでもメイナードがくるくるとスプーンでかき混ぜている紅茶に視線を落とした。
「わたしは殿下の何ですか……?」
小声で訊ねると、スプーンがぴたりと止まった。
メイナードがやっと紅茶からスプーンを出して、ソーサーの上におく。
メイナードは少しの間黙って、それから静かに訊ねてきた。
「アイリーンは私が嫌い?」
突然、何?
顔をあげると真剣な表情をしたメイナードがいて、思わず息を呑む。
「私は確かに、君にひどいことを言ったし、今更なんだと言いたいのもわかるけれど、それほど――、拒絶されるほどに、嫌われてしまったのかな」
拒絶なんて、してないわ。
ただ、わたしたちはもう婚約関係ではなくて、わたしが王太子妃の部屋を使うのは間違っているって、そう言っただけなのに、どうして傷ついたような顔をするの?
「わたしは、殿下の……」
「婚約とか婚約していないとか、関係ないよ」
メイナードが真剣な顔をするから、視線を逸らすことができない。
吸い込まれそうなほどの青い瞳が、わたしの視線をからめとって放さないから。
涼し気な青い瞳が、今はまるで炎のようよ。
「君が王太子妃になりたくないと言うのならば、私は王位継承権を放棄してもいい」
「なにを、言っているんですか……?」
王太子妃になりたくないから部屋を替えろと言ったわけでもない。
だから、そもそもわたしたちは婚約関係ではないともう一度説明したくても、ついさっき「婚約は関係ない」と言い切られてしまったから言葉を重ねることができない。
それに、王位継承権の放棄なんて、簡単に口にしていいことではないわ。
「王子とか王太子とか妃とか聖女とか――、そんなことはどうでもいいんだ」
だから、何が……?
メイナードが何を言いたいのかわからない。わからないけれど、これ以上聞いてはいけないような気がする。
見たこともないほどの熱量を持ったメイナードの瞳がわたしを射抜く。
射殺しそうなほどに強くわたしを見つめていたメイナードの瞳が、次の瞬間、微かに和んだ。
「君は鋭いようでいてとても鈍感だから、多分伝わってないとは思っていたし、それでもいいと思っていたけれど……、もう待てないな」
メイナードが立ち上がる。
彼がわたしの隣に移動してくるのを目で追って――、隣に座ったメイナードに手を握りしめられてドクリと心臓が波打った。
「君が将来王妃になりたくないと言うのならば、王位継承権は放棄する。はじめから――、そう、前の聖女が亡くなったときから、そうしていればよかった」
「殿下……?」
メイナードの手が熱い。
メイナードが微笑む。
「アイリーン、私は君が好きだよ。ずっとずっと前から、君だけが好きなんだ」
わたしの呼吸は、間違いなく十数秒ほど止まったと思うわ。
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