16
好き?
メイナードが、わたしを好き?
わたしの頭の中で、メイナードの言葉が回っている。
メイナードはあのあと、混乱するわたしの頭を撫でて、再び仕事に向かった。
困らせてごめんという言葉を残して。
十八年間婚約していたけれど――、彼の口から「好き」という言葉を聞いたのははじめてだった。
メイナードに大切にされているのはわかっていたけれど――、たまに、この人はわたしのことが好きなんじゃないかと思ったことはあったけれど――、彼の口からその言葉が飛び出すと破壊力が違う。
婚約を解消されるまで、わたしも確かにメイナードが好きだった。いや、婚約を解消されたあとに彼が好きだったのだと自覚した。けれども二人の関係は、婚約を解消して、わたしが聖女に選ばれたことで変わってしまったのだと思っていた。
聖女がほしいから、王家は――メイナードは、わたしを守ろうとする。メイナードとわたしには、確かに十八年も一緒にいたという絆があるけれど、婚約者同士でありながらただの友人のようだった関係が――、メイナードの態度が、以前よりも変化したのは、わたしが聖女だったからだと思っていたのに。
「なーに、難しい顔してるの?」
窓際の椅子に座ってぼんやりと窓の形に枠取られた空を見上げていたら、キャロラインの声がして振り返った。
お兄様たちは昨日の賊の件で忙しいから、キャロラインがかわりに小虎を連れてくると聞いてきたのをすっかり忘れていたわ。
ころんとかわいい小虎を腕に抱きしめて、キャロラインが部屋に入ってくる。
わたしが立ち上がると、キャロラインの腕の中で小虎が暴れはじめて、彼女の腕から飛び出した小虎が一目散にわたしのもとに駆けてきた。
「小虎! いい子にしていた?」
小虎を抱き上げて頭を撫でると、ごろごろと嬉しそうに喉を鳴らす。
ソファに移動して、小虎を膝の上にあげて座ると、小虎はわたしの膝の上で長くなった。
「もうしばらく城に滞在するんですって? だからそんな顔をしてるの?」
「そんな顔って?」
「困ったような、悩んでいるような、変な顔」
変な顔って、失礼ね!
でも、困っていたのも悩んでいたのも本当だから否定はできないわ。
「別にお城への滞在期間が増えたから困っているわけじゃないわ」
「じゃあ、何に困っているのよ」
甘いもの好きのキャロラインが、茶請けの菓子を物色しながら訊ねる。
わたしはちょっとだけ迷って、でも誰かに相談したかったから、キャロラインがバタークリームをサンドしたクッキーを口に運ぶのを見ながら口を開いた。
「はあ? あんた、今頃そんなこと言ってるの?」
わたしの話を聞いたキャロラインの第一声はこうだった。
「殿下の気持ちなんてずっと前からわかりきっていたじゃないの。今更驚いてどうするのよ」
メイナードの気持ちがわかっていた?
わたしが首をひねると、キャロラインが盛大なため息をつく。
「あんたって本当に鈍いわ。前にも言ったけど、あんた、殿下がリーナを見る顔を見ても何も感じなかったのね?」
なによそれ。
聖女がほしいから、当時聖女の最有力候補と言われていたリーナと一時的に婚約を結んでいたメイナード。彼がリーナを見る顔が何だというの?
キャロラインはクッキーをもぐもぐと咀嚼しながら、あきれたような視線を向けてくる。
「あー、こりゃ殿下も報われないわ」
「だから、何なの?」
キャロラインは紅茶でのどを潤してから、わたしに人差し指を突きつけてきた。
「リーナと婚約していたときの殿下がリーナに向ける笑顔は、仕事の時の笑顔と一緒だったわよ。そうね、例えば今回いらしているダリウス王子に向けているような、ね。あんたに向ける笑顔とは明らかに違うの、気づかなかったの?」
「笑顔……?」
「それだけじゃないわよ。殿下はリーナを一度も城の私室には招いていない。それどころか一緒にお茶も飲まなかったそうよ。これはお兄様から聞いた話だから、確かな情報だわ」
それは――、メイナードとリーナの婚約期間が短かったからではないの?
「ちなみに、殿下はリーナに呼びかけるときはワーグナー伯爵令嬢って言っていたわ」
「………」
知らなかったわ。
だってあの頃のわたしは、メイナードに婚約破棄されてショックを受けていて――、そこまで冷静に彼を見ることはできなかった。
だってまさか、婚約破棄を言い出した本人が、わたしのことを好きだったなんて、わかるはずないじゃない。
「別にさ、あんたの人生だし、殿下以外の人を選ぶならそれでもいいとは思うけど、ちゃんと見ていないと後悔するわよ」
キャロラインの言葉が胸に突き刺さる。
そっか。メイナードのことをきちんと見ていなかったのは――、理解しようとしていなかったのは、わたしの方だったのね。
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