10

 次の日。


 メイナードが別荘の裏手にある湖にピクニックに行こうと言うから、おやつのフルーツサンドをバスケットにつめて、わたしたちは湖にやってきた。


 風が凪いでいるため湖の#面#__おもて__#はまるで鏡のようで、日差しを反射してキラキラと輝いている。岸辺にはクローバーの白い花が咲き誇っていた。


 ちょうどいい木陰に腰を下ろすと、小虎が蝶を追いかけて駆け回るのをぼんやりと見つめる。


 キャロラインはバーランド様とオルフェウスお兄様と三人で、湖でボートに乗ると言って準備をはじめた。


「アイリーンはボートには乗らないの?」


 わたしの隣に当然のように腰を下ろしたメイナードが訊いてくる。


 乗らないわよ。水遊びは好きだけど、わたしが泳げないのをメイナードだって知っているくせに。船が転覆することはないとは思うけど、さすがに気が進まないわ。


「わたしは放っておいて、殿下も行ってきていいんですよ?」


「アイリーンがここにいるなら私もここにいる。アイリーンに何かあったら大変だからね。君のことは私が守る」


 なにそれ。こんなのどかな湖のそばで何かなんてあるわけない。


 わたしは思わず笑っちゃったわ。メイナードは婚約破棄前と後で少し変わった。婚約していたころもわたしと一緒にいることは多かったけど、「守る」とか、そんなちょっと恥ずかしくなるようなセリフは言わなかった。婚約していたときよりも解消した今の方が、メイナードがなんか甘いの。変なの。


 ボートを準備したキャロラインが小虎を抱き上げてボートに乗せる。小虎、水は平気みたい。ボートの淵に太くてもふっとした足を乗せて興味津々に水面を覗き込んでいる。


 キャロラインに向かって手を振っていたら、手を振っているのと逆の手の上にメイナードが手のひらを重ねてきた。気になって重なった手を見下ろしたら、ぎゅっと握りしめられる。


 メイナードの横顔が、少しだけ赤かった。


「夜になったら、このあたりには夜光虫が飛ぶんだ」


 夜光虫って、夜になると体が淡く光る虫のことよ。きれいな水の湧き出るところにしか生息していなくて、王都ではほとんど見ることができない。


「夜、見に来ないか? 二人で」


「二人で?」


「……いや?」


 わたしが訊き返せば、メイナードの顔が曇る。……ちょっぴり、いじめている気になってきちゃうからそんな顔しないでよ。


 手は相変わらず握られたままで、汗ばんできて少し暑い。でも振りほどく気にはなれなくて、じっとつながれた手に視線を落としてから、頷いた。


「いやじゃないですよ?」


 別荘から湖まで歩いて五分くらい。別荘には護衛の騎士たちもたくさんいるから、二人で虫を見に行くくらいなら許されると思う。


 でもメイナードと二人きりか。お城で生活していたときも、夜になればお茶を飲みに来ていたし、もっと言えば婚約していたときは二人きりになることなんて珍しくもなかったけど――、ほんの少ーしだけ心臓がドキドキする。


 メイナードが「よかった」と言って嬉しそうに笑うから、顔が熱くなってくるわ。


 そのあとは自然と会話がなくなっちゃって、二人そろってボート遊びをするキャロラインたちを眺めていたんだけど――、つないだ手は、キャロラインたちが戻って来るまでそのままだった。

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