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 ランバース国もすっかり夏めいた。


 じりじりと照りつける日差しは、ちょっと外に出るだけで肌を焼く。


「お嬢様! 帽子と日傘をお忘れです! 夏が終わるころに黒豚みたいになっていても知りませんよ!」


 おかげで、ちょっと庭の花を見に行こうとするだけで、セルマがこう言いながら帽子と日傘を持ってくるのよ。


 それにしても、黒豚って……、もっとましな例えはないのかしら?


「セルマ、ちょっとヒマワリを見に行くだけよ?」


「ちょっとでもです! 最近のお嬢様は油断しすぎですよ!」


 だって、もうメイナードの婚約者じゃないしー。


 ランバース国の女性は白い肌が美点とされている。だから、さすがに小麦色の肌の婚約者を連れ歩かせるわけにもいかないから、メイナードの婚約者だったときは、必死に日焼け止めを塗って、帽子をかぶって日傘をさしてと日焼け防止をしていたけど、もう違うんだから、そこまで神経質にならなくったっていいのに。


 日焼け止めはちゃんと塗っているもの。


「嫁き遅れても知らないぞ、アイリーン」


 今日は仕事が休みらしいジオフロントお兄様が、玄関に顔をのぞかせてニヤリと笑った。


 オルフェウスお兄様はメイナードの補佐官をしているんだけど、ジオフロントお兄様は貴族院のメンバーで、本人曰く「そんなに仕事がない」らしい。だから普段はお父様の補佐をしているのよ。将来コンラード家を継ぐのだから、その方が都合がいいってお父様も言っていた。


 貴族院なんて何かあったときに集まってわーわー言いたいことを言い合うだけの暇な連中――なんてほかの人が聞いたら怒り出しそうなことを平気で言うのよね、お兄様。


 ちなみに、貴族院に名を連ねていたのはもともとはお父様だったんだけど、お兄様が十六歳になって成人するとともに早々にお兄様にその地位を譲っちゃったの。曰く「めんどくさいから」だって。


 お父様はお城で内務大臣なんてしているし、貴族院にまで顔を出していたら忙しいのはわかるんだけど「めんどくさい」って言っちゃうあたりがお父様よ。面倒って理由で押しつけられたジオフロントお兄様はしばらく怒っていたわねぇ。


「お兄様こそ、いい加減エデルと結婚しないとそのうち愛想つかされて婚約破棄されるわよ」


 エデルはお兄様の四つ下の二十歳。エデルが十六歳のときにお兄様と婚約したからもう四年もたっている。


「まあそのうちなー」


「いつもそれじゃない」


「まー、子供でもできたら考えるかなー」


「最低よお兄様」


「冗談だって! そんな冷たい目で見んな!」


 お兄様はぽりぽりと頭をかいて、「いろいろあんだよ」って誤魔化した。


「お前こそどうするつもりなんだ?」


「んー、まだ考え中よ」


 山のように来ていた求婚は、リーナが起こした事件でぱたりと止んだあと、またばらばらと届くようになったんだけど、お兄様たちが「どのツラ下げてこんなもん送り付けてきやがったんだ。ふざけてるとぶっ飛ばすぞ」って求婚者たちを片っ端から脅して回ったら本当に来なくなった。メイナードも微笑みつきで「君、出世したくないんだね」ってお兄様たちに追随したって教えてくれたのはバーランド様。まあ、あっさり手のひらを反すような男性はお断りだけど「やっほー! 選び放題!」状態から一転して「誰か一人くらい残ってないの⁉」状態だから、さすがに落ち込むわ。


 しばらく恋愛するつもりがなかったから、いいと言えばいいんだけどさ。がっかりしちゃうのは確かよね。


「王妃様が『アイリーンちゃんはうちの嫁』宣言したから多分もう求婚者は現れないぞ」


「何それ聞いてないわよ⁉」


 セルマから帽子を受け取っていたら聞き捨てならない言葉がお兄様の口から飛び出してきて、受け取った帽子を取り落としてしまう。


「王妃様主催の茶会で言われたらしく、そこに出席していた夫人とか令嬢とかがあっちこっちで吹聴したから、かなり広まってるみたいだなぁー」


 だなぁー、じゃないわよ!


 何「今日はいい天気だなぁ」みたいにのほほんと言ってるの?


 王妃様もなんてことを言ってくれたのかしら。どんどん外堀が埋まっていく。最近メイナードがご機嫌なのもこのせいね。お父様もメイナードを追い返すのをやめちゃったから、あいつ、当たり前のようにうちに来るのよ。


「お兄様、最近、殿下に妙に寛容じゃない」


 婚約破棄直後は怒り狂って、邸に来たらぶん殴るくらいに息巻いていたのに、最近はメイナードが来ても「今日も来たんですか暇ですね」ってせいぜい厭味を言うくらい。


 わたしは落とした帽子を拾ってかぶると、セルマから日傘を受け取った。


「寛容って言うか、まあ、消去法で考えてみて、一番マシなのは誰かっつー話だよ」


「それって聖女を守るにはどこがいいかって話?」


「そうじゃない」


 お兄様は肩をすくめた。これ以上話すつもりはないみたいだから、セルマと一緒に庭へ出ようとすると、思い出したようにお兄様が、


「あ、トマ子ちゃんの赤い実があったら取ってきて」


 って言いだした。


 トマ子ちゃんって言うのは、先月孤児院の子供たちにもらったトマトの苗の名前。え? ネーミングがダサい? 名付けたのはジオフロントお兄様よ。


 そのトマ子ちゃんだけど、庭の一角に植えたらすくすくと成長して、次々に実をつけているのよ。


 今まで庭で野菜を育てたことなんてないんだけど、お母様まで「最近家庭菜園って流行っているらしいのよー」って言いだして楽しみはじめたから、多分来年はもっと増えそう。


 王都の邸の庭を管理している庭師のおじいちゃんは、自分が整えた庭に突如として現れた異質な存在に渋い顔をしていたけど。カントリーハウスの庭師のおじちゃんなら面白がって家庭菜園コーナーとか作ってくれるんでしょうけど、まあ、ここは性格の違いね。


 トマトを取って来いと言うから、籠とハサミも用意して、わたしは日傘をさして庭に降りた。


 うーん、日差しがまぶしいわ!


 わたしはトマ子ちゃんが植えられているあたりへ足を向ける。二つ三つ赤くなっている実があるから、収穫して――、とハサミを持ってトマ子ちゃんに近づいたわたしは、突然足元で音がして驚いた。


 そーっとトマ子ちゃんの木の下を覗き込めば、そこには真っ白いモフっとした存在が――。


「………、かぁわいい―――!」


 ところどころ黒い縞模様の入った真っ白いふわふわのコロンとしたその存在に、わたしは一瞬でメロメロになりました。

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