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 リーナがサヴァリエ殿下の婚約者になるって話だけど、どうやら本当のことになりそうよ。


 数日後、王妃様から「お茶会しましょー!」って例のごとく連絡が来て、適当な理由をつけて断ろうと思っていたんだけど、サヴァリエ殿下とリーナも一緒だからって言われて断れなかった。


 メイナードも呼ばれていて、陛下もいらっしゃるそう。


 これはいよいよサヴァリエ殿下とリーナの婚約の話がまとまりそうだと思って、わたしの気分は今日の空模様のようにどんよりよ。今にも雨が降りそうだわ。


 リーナが真の聖女説は日に日に大きくなっているし、このままだとわたしはいつ侯爵家に帰れるかわかったものじゃない。


 今日は雨が降りそうだからお城の中でお茶会だそうです。


 お城にはいくつもサロンがあるんだけど、今日は一階の中庭に面している部屋を使うそうよ。


 中庭に面している方の壁は大きなガラス戸になっていて、部屋の中から庭の噴水が見えてとてもきれいなの。


 サロンに向かうと、そこにはすでに陛下と王妃様、メイナードとサヴァリエ様にリーナ、そしてバーランド様とオルフェウスお兄様――それから、リーナのお父様のワーグナー伯爵がいた。


 ワーグナー伯爵は頭皮が少し淋しくて、四角い顔をしている。わたしがサロンに入ると、細い目でわたしを鋭く一瞥してきた。


「申し訳ございません、遅れてしまいましたか?」


 わたしが最後のようだったから、主催者であるリゼット様に謝罪をしたんだけど、王妃様は鷹揚に「遅れてないわよー」って言ってちょいちょいとわたしを手招きした。


 だから王妃様の隣に座ろうと思ったんだけど、それよりも早くにメイナードに手を取られて、彼の隣に座らせられたから、リゼット様は不満そう。


 テーブルの上にはお菓子やサンドウィッチが並んでいる。


 メイナードによく似た顔立ちの陛下は、イチゴのサンドウィッチがないなーって不満を漏らして、リゼット様に「子供ですか」って笑われていた。


 リーナはサヴァリエ殿下の腕に自分の腕を絡めて、満面の笑みを浮かべている。


 メイナードが「何食べる?」って訊いてくるけど、――ごめん、食欲ないわ。


 お兄様に視線を向けると、あちらはあちらであからさまに不機嫌。バーランド様が肘でつついて何か言っているけど、たぶん「陛下の前だぞ!」みたいなことを言っているんだと思うわ。


「それで、どうしてこの場に、関係のない聖女様がいらっしゃるのでしょう?」


 お茶会がはじまってすぐに、ワーグナー伯爵がわたしを見ながらそう言った。


 わたしに訊かれたって知らないわよ! 主催者に訊きなさいよ! 


 さすがに噛みつけないから、わたしは、困ったように微笑んで見せる。


「あら、アイリーンちゃんはわたくしのお友達よ?」


 王妃様が美しく微笑んでいるけど、その背後に黒いものが見えてわたしは思わず目をそらした。「文句あんのかコラ」っていう幻聴が聞こえたけど気のせいよね?


 能天気な王様は「リゼットは今日も可愛いなー」なんて堂々とのろけている。


 もうやだこれ。すでに帰りたいんですけど!


 そもそもどうしてこの場に呼ばれたのかしら? メイナードもお兄様も役に立ちそうもないから、バーランド様に視線を向けると「たえろ」って口の動きだけで言われた。


 ワーグナー伯爵はえへんえへんとわざとらしい咳ばらいをして、


「今日は娘のリーナとサヴァリエ殿下の婚約の話をするとお聞きしてきたのですが」


 なんて言い出した。


 聞いてないわよそんな話!


 メイナードを見上げれば困った顔をしていて、ワーグナー伯爵がでたらめを言っているのではないとわかる。


 どうして教えてくれなかったの? というか、わたしこの場に必要⁉


 ムッとしてメイナードを睨んだら、手を握りしめられた。指の腹で、なだめるように手の甲が撫でられる。


 ……何か事情があるの?


 仕方がないわね。黙って成り行きを見守りますよ。


 わたしが取り澄ました表情を作ると、メイナードがあからさまにホッとした。


 陛下はサヴァリエ殿下とリーナに視線を向けて、口を開いた。


「今回、サヴァリエの毒を治癒してくれたリーナ嬢には感謝している」


「もったいないお言葉ですわ、陛下。わたくしは当然のことをしたまでですもの」


「うむ。それに、そなたの治癒能力は素晴らしいものだ」


「そんな……、わたくしなんて、聖女様に比べたら」


 そう言ってちらっとこっちを見てくるから、わたしの胃がキリキリしてきた。


「聖女様がいらっしゃったのに、わたくしなどが出すぎた真似を――と心配しておりましたが、そうおっしゃっていただけて安心いたしましたわ」


 何が出すぎた真似よ。わたしを思いっきり突き飛ばしたくせに。


「殿下にも何事もなくて、わたくし……、あの時は本当に怖くって」


 リーナが潤んだ目でサヴァリエ殿下を見上げると、サヴァリエ殿下もにっこりと微笑み返す。


「父上、僕はリーナに命を救われました」


「なるほど、それでは伯爵からの申し出をすすめてもいいのか?」


 伯爵からの申し出?


 と言うことは、今回の婚約ってワーグナー伯爵から言い出したことなの?


 メイナードとの婚約破棄のあとにその弟に娘を売り込むって、なかなか図太い神経しているわ。


 サヴァリエ殿下は微笑んだまま、


「ええ。進めてください。でもまさか、無造作に取ったシャンパンに毒が入っていたなんて。シャンパンなんてほかにもたくさんあったのに、どうやって僕のシャンパンだけを狙ったんだろうね」


「きっと、犯人は殿下がイチゴが嫌いなのをご存じだったんですわ」


 リーナが頬に手を当てておっとりと返した。


 イチゴか。確かにサヴァリエ殿下はイチゴが昔からきらいよね。ダンスパーティーのシャンパンにはイチゴが入っていたけど、殿下のだけはいつも何も入っていないものが用意されるのよ。だから犯人はそれを知って――ん? あれ? そう言えばあの日、殿下が手に持っていたシャンパングラスの中に、何か入っていなかったかしら?


 んんん――?


 わたしの中で何かが引っかかる。


「なるほどね、イチゴが入っていないグラスに毒を仕込んでおけば、僕を狙えるのか」


「ええ。犯人は殿下がサクランボのグラスを手に取るとわかっていたんですわ」


 そう! サクランボよ。殿下が揺らしたグラスの中に赤いものが入っていたのを見たわ。


 サヴァリエ殿下って、シャンパンを飲むときにグラスを揺らす癖があるの。どうしてって訊いたら炭酸が強いのは苦手だって言っていたわ。


 サヴァリエ殿下はテーブルの上のサクランボを一つ取って、無造作に口に入れた。


「給仕が持ってきたグラスの中に、サクランボ入りのグラスは一つしかなかったものね」


「ええ。ほかは全部イチゴ入りでしたもの」


「そうそう、よく覚えているねリーナ」


 サヴァリエ殿下はサクランボを咀嚼したあと、ナプキンを口に当てて種を出して、二つに折りたたむとテーブルの上においた。


 それから、テーブルの上に置いてあったシャンパンボトルを取って、シャンパングラスに一つサクランボをいれると、それにシャンパンを注いでリーナに手渡した。


「あの日、僕のシャンパンにはサクランボが入っていたね。……ところで」


 サヴァリエ殿下はリーナがシャンパングラスを受け取ったあとで、ふと笑みを消した。


「君はどうして僕のグラスにサクランボが入っていたってわかったの?」


「え?」


 リーナが目を丸くしたけど、わたしも首をひねる。


 そんなもの、見れば誰だってわかる――、あれ?


 わたしはぱちぱちと目をしばたたく。


 わたしとメイナードが座る席からは、サヴァリエ殿下とリーナは少し遠い。


 お茶会の人数が多いから、長方形のテーブルが二つくっつけられていて、端と端に座っていたらまあまあ距離があるのよ。


 わたしはリーナの持つシャンパングラスを見つめて、嫌な予感を覚えてしまった。


 リーナが持っているシャンパングラスには、ピンク色のシャンパンが注がれている。そう――、あの日、サヴァリエ殿下が手に持っていたのもピンク色のシャンパンだった。


 ピンク色のシャンパンの中に入ったサクランボは、わたしの席からは、グラスの中でぼやけてしまって、それが何なのか判断がつかない。


 思わずメイナードの握る手をぎゅっと握り返してしまった。


「リーナ、君はあのとき、僕とアイリーンからは離れたところにいたよね。それなのに、どうして僕のシャンパングラスにサクランボが入っていたってわかったんだろう?」


 笑みを消したサヴァリエ殿下の双眸が、驚くほどに冷たい。


 リーナも笑顔が凍りついてしまっていて、シャンパングラスを持つ手が震えていた。


「で、殿下! 娘はとても視力がよく――」


 誰もが固唾を飲んで見守る中、ワーグナー伯爵が焦ったような声をあげるが、サヴァリエ殿下はそれをひと睨みで黙らせる。


「あの後、会場のメニューを用意した担当者に話を聞いたんだ。僕のシャンパンにサクランボを入れる指示をしたのかって。答えは否だった。いつも通り、何も入っていないシャンパンを用意したとね。だから今度は僕にシャンパンを手渡した給仕係に訊いた。サクランボが入っていたのはどうしてか、と。そうしたら彼はこう言ったよ」


 サヴァリエ殿下は優雅な所作で紅茶を口に運ぶ。まるで本当にただのお茶会――おしゃべりをしているように。それが逆に怖かった。


「何も入っていなかったら味気なくてお可哀そうだと、ワーグナー伯爵令嬢がサクランボを入れられました――とね」


 リーナの顔から表情が消えた。


 もともと白い彼女の顔が、まるで雪のように白くなっていく。


「サクランボの種をくりぬいて、中に毒を仕込んでおけば、シャンパンの中に毒を溶かしこむことも容易だよね。僕はシャンパンを揺らして飲む癖があるから余計に。ふふ、どうしたの? そんなに怯えた顔をして。ああ――、そのシャンパン、僕からのプレゼントだよ。ぜひ、飲んでほしいな?」


 このときわたしは、サヴァリエ殿下だけは絶対に敵に回さないと心に誓った。


 いつの間にか震えていたわたしをメイナードが抱きしめていたけれども、そんなことにも気がつかないくらいにわたしの頭の中は真っ白になっていて。


「あああああああ――――――!」


 リーナの悲鳴が、サロンの中に響き渡った。

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