10

 コンコンコンコン―――


 就寝前に本を読んでいたら内扉が叩かれてわたしははーっと息を吐きだした。


 あとは寝るだけだからセルマは下がっていて、部屋には私一人しかいない。


 勝手に入るなって言ったから、メイナードってば入ってきたいときに扉を叩くんだけど、あんた、今何時だと思ってんの。


 開けるまで叩くから、仕方なく立ち上がって扉を開けてやる。


「殿下」


 恨めしそうに見上げてやるんだけど、この人には通用しない。


「今日はフロランタンだよ」


 そう言って差し出してきたお菓子の箱。


 メイナード、今、夜なんですけど? 今からお菓子なんて食べられるはずないでしょ?


「まだまだお菓子はたくさんありますけど」


 たぶんこれ、わざわざ自分で買いに行ってくれたのよね。


 その心は嬉しいけど、量を考えてほしい。


 わたしがお菓子の箱を受け取ると、メイナードはそわそわしはじめる。あーもう、わかったわよ!


「ちょっとだけですよ」


 わたしがそう言って扉を開けたまま部屋に戻れば、嬉しそうに入ってきた。


 最近のメイナードのお気に入りは、就寝前にわたしの部屋でお茶を飲むこと。


 セルマがいないからわたしがお茶を用意するんだけど、その姿をにこにこ笑いながら見てくるから集中できないわ。


 まあ――、一人きりでいると、余計なことを考えて落ち込んじゃうから、メイナードが来てくれるのは嬉しいには嬉しい。絶対に口には出さないけどね!


「不自由してない?」


「していませんよ。お茶も十何種類もあるし、お菓子も山のようにあるし、こんなにしていただかなくても大丈夫なんですが……」


 お茶もお菓子もドレスも――、メイナードが次から次へと用意するから、逆に困っちゃうのよね。ちなみに花は毎日届けないでってお願いしたわ。だって置く場所に困るもの!


「じゃあ、ほかに欲しいものはない?」


「ありませんよ?」


「でも、退屈だろう?」


 メイナードは心配しているみたいだけど、退屈ってほど時間を持て余しているわけじゃないのよ?


 キャロラインは頻繁に遊びに来るし、オルフェウスお兄様もジオフロントお兄様もお城で用事があるたびに顔を見せてくれる。お父様に至っては二日に一回くらい会いに来るし。城に来て十日ほどたつけど、暇で暇でどうしよう――って日は一日もなかったわ。


「あ、ハンカチ、できあがりましたよ」


 紅茶を煎れたあと、わたしは棚の中に畳んでおいていたハンカチを三枚ほど出してメイナードに手渡した。


 メイナードが刺繍入りのハンカチがほしいって言うから、時間があるときに作っていたの。


 全部にメイナードのイニシャルは入れたけど、絵柄は全部違うのよ? クローバーと、薔薇の花と、それから最後が一番難しかったんだけど、鷹を刺繍してみたの。


 メイナードは全部のハンカチを広げてみては満足そうにニコニコ笑っている。


「宝物にするよ!」


 って言うんだけど、お願いだから使ってね?


 三年前にあげたハンカチも使ってよ?


「額に入れて飾ろうかな」


 やめてね絶対!


 冗談に聞こえない口調で言うからひやっとしちゃうわ。


「それで、聖女選定のことですけど……」


「うん?」


「もう一度するって聞きましたけど、本当です?」


 そう、今朝のことだけどね。図書室に本を借りに行っていた帰り、使用人さんたちが噂をしているのを聞いちゃったのよ。


 前回わたしが聖女に選ばれたのは間違いだったから、もう一度聖女選定をやり直すことになった――って。


「誰がそんなことを言ったの?」


 メイナードが怖い顔になっちゃったから、わたしは慌てて口をつぐんだ。


「教えて。誰がアイリーンにそんな失礼なことを言ったの?」


 これはちょっとまずいかもしれない。メイナード、目が据わっちゃったもの。


「う、噂で聞いただけです」


「その噂はどこから? 教えて? そんなくだらない噂話をしていた人間、全員クビにしてあげるから。どうせ城の使用人だろう?」


 まずい。本当にまずい。この顔は本気だ。本気で噂をしていた使用人全員クビにする気よ。わたしはブンブンと首を振った。


「た、たまたま風の噂で……」


「風の噂で飛んでくるわけないでしょ?」


「だ、だから……」


 メイナードはわたしの手をぎゅっと握りしめて、首をかしげる。


「教えて?」


 そんなに可愛らしく首をかしげて見せてもダメ!


 教えたら最後、この城の使用人さんたちが路頭に迷う!


「どこで聞いたかなんて忘れました!」


 ええい、必殺「忘れちゃった、えへ」で乗り切るわよ!


 メイナードは明らかに不満そうな顔をしているけど、意地でも知らぬ存ぜぬで通しますとも。


 メイナードは肩をすくめて、仕方ないなぁって息を吐いた。


「とりあえず今度同じようなことがないように、くだらないことを言ったらクビって脅しておくか。いや、地下牢に放り込むって言った方がいいかな」


 怖いよー。メイナードが怖いよぉ!


 すっごく怖いことを言っているメイナードは、わたしを見て、さっきのセリフが嘘みたいににっこりと微笑む。


「聖女選定のやり直しなんてしないよ? したところでアイリーンがもう一度選ばれるに決まっているし」


「そ、そうなんですか?」


「当たり前でしょ? くじ引きじゃないんだから」


 そ、そうだよね。


 一等おめでとうございまーす! くらいのノリで神官に言われたけど、くじ引きなはずないわよね!


「アイリーンは何も心配しないでいいんだよ」


 いつもアホだからうっかり忘れそうになるけど、メイナードってたまに怖い。


 婚約していたときも、わたしを害そうとした人に対してのメイナードの対応はびっくりするほど冷酷だった。


 メイナードは笑って「未来の王妃に失礼を働いたんだから相応の報いが必要だよ」なんて言っていたけど――、あの時の怖さを思い出して、わたしは震えそうになる。


 今回、何事もなければいいけど――


 わたしはただ、聖女にふさわしくないって噂されているだけで、直接いじめられたりしているわけじゃない。


 だからきっと大丈夫だって信じているけど――、メイナードはやりかねない。


「殿下……、無茶しないでくださいね?」


 被害者が出ないようにわたしは祈るばかりだけど、


「私の心配をしてくれるの? 優しいね、アイリーン!」


 勘違いしたメイナードは感動してわたしを抱きしめて頬ずりだ。


 違うわよ!


 わたしが心配しているのはあんたじゃないから!


 でもここで余計なことを言っちゃうとさらにおかしな方向へ話が進んでいきそうな気がして、わたしは「あはははは」とから笑いよ……

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