8

 リーナが本物の聖女だ――


 誰かがつぶやいたその言葉は、瞬く間に社交界に広がった。


 サヴァリエ殿下が倒れたあの日、何もできなかった聖女のわたしアイリーン・コンラードと、絶大な癒しの力で殿下を救ったリーナ・ワーグナー伯爵令嬢。


 まあ――、どちらが称賛されるかなんて、わかりきったことよね。


 我がコンラード家を野次馬たちが取り囲みはじめたから、心配したメイナードの手によってわたしは城に身を寄せることになった。


 メイナードを目の敵にしているお父様も、今回はそうするしかないと思ったみたい。


 もしもコンラード家にいて娘が傷つけられたら――って考えたみたいだけど、でもお父様、わたしが何もできなかったのは本当だから、「名ばかりの聖女」って糾弾は甘んじて受けるわよ。メイナードは無視していればいいなんて言うけどね。


 聖女の役割が本当は有事の時の神の生贄であることを知っているのは、お城では陛下と王妃様、それから前聖女様の夫だった前国王の弟殿下と、メイナードとサヴァリエ殿下。だから、この方たちはわたしにとても同情的なんだけど――、やっぱり、使用人の皆様がわたしを見る目は冷たい。


 わたしが傷つけられることを恐れて、メイナードはコンラード家からセルマを呼び寄せてくれたし、使用人のみんなには「アイリーンが聖女なのは疑う余地のない事実だ」って言ってくれたけど、でもやっぱり、一度疑われたらそう簡単には信用してもらえないものよ。


 サヴァリエ殿下が申し訳なさそうに「僕がもっと気をつけていればよかった」って言うんだけど、サヴァリエ殿下が一番の被害者。本当に無事でよかったわ。


 人の噂も三か月くらいすれば落ち着くって言うから――、今は耐えるしかないわねって苦笑したのはキャロライン。


 三か月か……、長いなぁ。


 さすがに今回のことは、自己嫌悪もあって、簡単には立ち直れそうもないわ。






「あの女、マジでムカつくわ!」


 城に遊びに来たキャロラインは、開口一番にそう吐き捨てた。


 わたしが暮らしている城の一室は、なんと王太子妃の部屋よ。


 もちろん、本当に王太子妃が使うことになったら内装をその方好みに変更するんだそうだけど――、わたしがこの部屋を使っていいのかしら?


 メイナードってば「一生ここにいてくれていいんだよ」って言ってたけど、冗談よね?


 ちなみに王太子妃の部屋の隣は王太子の部屋で――、メイナードはまだ王太子ではないから、本来は彼がその部屋を使うはずがないんだけど、なぜかわたしが王太子妃の部屋に引っ越したのと同じ日に引っ越してきた。


 唖然としたわたしに、サヴァリエ殿下が「まあ、僕は王位になんて興味がないから、兄上が王太子になるのは遠くない未来だしいいんじゃない?」って言うけどそう言う問題?


 なんて図々しいんだと思ったけど、陛下も「いーんじゃない?」って言うし、王妃様は「あらあら仲良しね」って嬉しそうだし――この王家は大丈夫なのか?


 せめて続き扉の鍵はあけないでおこうと思ったら、わたしが鍵をかける前にメイナードってば鍵穴に何かをつめて鍵をかけられなくしちゃうし――ぶん殴るよ?


 頭に来たからこの扉をわたしの許可なく開いたら一生口をきいてやんないって言ってやったわ。だって殴るって言っても、殴られるのを覚悟で平然と使うのは目に見えてるもの。


 それなのにはじめて城のわたしの部屋に来たときのキャロラインってば大爆笑で「もうさっさと結婚しちゃえ!」なんて乱暴なことを言うのよ?


 しないわよ!


「で、ムカつくって何が?」


 セルマがお茶を入れてくれて、わたしはキャロラインのために、メイナードからもらったチョコレートの箱を開けた。


 メイナードってば食べきれないほどのお菓子をくれるのよ。女の子が落ち込んでいるときは甘いものが必要だって言ったのは王妃様らしいけど。間違っているとは言わないけど、いくら何でも多すぎるわ。


 メイナードと婚約していたときから、城のキッチンによく出入りしていたわたしは、お城の料理人たちと顔見知りで仲もいいから、彼らもたくさんお菓子を焼いてくれるし――、キャロライン、頑張って消費してね。本当に食べきれないの。


 ちなみにわたしがお城のキッチンに入り浸っていたのは、お菓子研究のためよ。キッチンに出入りしていたのを知っているのはメイナードだけだけどね。さすがに陛下にばれたら多分怒られていたわ。


「あら、このチョコレート、おいしいわね」


「そりゃそうよ。これ、王都で一番高いお店のチョコレートよ」


 キャロラインってばチョコレートの甘さで少し機嫌が直ったらしい。


 二つ三つと口に入れて、ごくごくと紅茶を飲み干したあと、「ムカつくのはあの女よ!」って語りだした。


「あの女って?」


「リーナに決まってるでしょ!」


 今度はリーナ、何をしてキャロラインを怒らせたのかしら?


 キャロラインはセルマに「おかわり!」って紅茶を要求して、まるでやけ酒のように紅茶を飲み干すのよ。


「あの女、今回のことで天狗になって、『わたくしが本物の聖女ですわ』って言いはじめたのよ! 図々しいにもほどがあるわ!」


 それはまた……。でも妙に納得しちゃうのは、あのリーナならいいそうな気がするから。


「聖女の選定の儀式はきっと間違いだったとか、今もう一度儀式をすれば自分が選ばれるとか、好き勝手なことをほざきまくってるわ! あんの女狐!」


 キャロライン、お口が悪くなっているわよ。


 たぶんわたしも怒るところなんだと思うけど、キャロラインがすごい剣幕だから苦笑するしかないわ。


「何とかしてあの女黙らせる方法ないのかしら?」


「でも、サヴァリエ殿下を助けたのは本当だから……」


「それはそれ、これはこれよ!」


 怒り狂ったキャロラインがバクバク食べるから、チョコレートはもう半分くらいなくなった。このままでは全部なくなりそうね。それは構わないんだけど――、さすがに一つくらい食べておかないとメイナードが拗ねちゃうかしら?


 わたしはチョコレートを一つ口に入れて、セルマにも一つすすめながら、キャロラインに相槌を打った。


 キャロラインはさんざんリーナの悪口を言って、しばらくすると落ち着いてきたのか、喋りつかれたようにソファの背もたれに体を沈める。


「それにしても、何だってサヴァリエ殿下のシャンパンに毒が入っていたのかしら?」


「そうなのよね」


 サヴァリエ殿下は給仕が持ってきたシャンパンを受け取ったけれど、パーティー会場で出される飲み物や食べ物はしっかり管理されているの。サヴァリエ殿下にシャンパンを渡した給仕ももちろん知るはずがなくて、真っ青な顔をして震えていた。


 あのあと会場で配られていた飲み物をすべて調べたみたいだけど、毒が入っていたものはほかになかったそうなのよ。


 王族は命を狙われやすい立場だけど、うちの王家ってみんな仲良しで権力争いとは無縁だし、サヴァリエ殿下も敵を作るような性格じゃない。しかも、次期国王の座に一番近いメイナードが狙われるならまだわかるけど、継承権第二位のサヴァリエ王子が狙われたのも不思議なもの。


「メイナードも調べているみたいだけど――、サヴァリエ殿下も心当たりがないみたいだし」


「バーランドお兄様もうちの諜報部隊を使って調べているから、そのうち何かわかるとは思うけど。でも大丈夫よ、念のためサヴァリエ殿下の周りの警護を固めているって言うし」


「そうよね、大丈夫よね」


 サヴァリエ殿下も、いつ毒が盛られてもいいようにいろんな解毒薬を持ち歩くと言っていた。王族は、子供のころから毒への耐性をつけられているから、多少の毒なら死なないよ――なんて笑っていたけど、たぶんそれは、わたしを安心させるためなんだろうな。


「とにかく、リーナよ!」


 あれ、いつの間にか話題がリーナに戻っちゃってるわ。


 キャロラインはチョコレートの箱をからっぽにすると、今度はテーブルの上のクッキーに手を伸ばす。


「あの女、いつかぎゃふんと言わせてやるわ!」


 ……キャロライン、あんたが言うと洒落にならないから、ほどほどにね。

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