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「今回の首謀者はベルドール子爵だよ」


 ベルドール子爵って、レラーフ公爵の次男であるパリスのことよね? それほど親しくないけど、夜会で何度か顔を合わせたことがあるわ。神職には身をおいていないけれど、父親のレラーフ公爵もパリスも、教皇派だったはずよ。


 貴族たちの中には、ロバート様みたいに神職になる人もいるけど、神職にはなっていないけれども教会と強いつながりがある人たちがいるの。そういう人たちは俗に「教皇派」って言われているのよ。綺麗な言い方をすれば、教会が布教しているリアース教の敬虔な信者ってところかしら。悪い言い方をすれば反国王派。国は王が治めるのではなく教皇が治めるべきだと声高に言っちゃう人たち。


「どうしてベルドール子爵がわたしを……?」


 パリスは二十歳で、婚約者がいたはず。わたしを攫って無理やり妻に――なんて馬鹿なことを考えるようなタイプではなかったはずだけど。


「理由は吐かせてみないとわからないが、バーランドが調べたところによると、ここから一番近いグリードの港にベルドール子爵所有の船が停泊していたらしい」


「船?」


「ここからは私とバーランドの推測だが、他国が絡んでいると思う」


 なるほど、そう考えると説明がつくわね。


 国内で聖女を攫って妻にしようと考える馬鹿はいない。だが、国外であれば別だ。もちろん、一歩間違えれば戦争にまで発展しかねないほどの外交問題だが、そこまでしてでも聖女を得たいと考える他国は少なくないらしい。


 つくづく、聖女って何なのかしら。


 他国がそれほどまでに欲しがると言うことは、少なくとも他国の王族レベルの間では聖女が何なのかわかっているということだ。


 聖女に選ばれたわたしも知らないのに、他人が「聖女」を知っているのは面白くない。


「……聖女ってそんなに狙われるんですか?」


「そうだね。だから王家は国をあげて聖女を守る。聖女を王家に引き入れたいのは、その方が守りやすくなるからでもあるんだ」


「でも、お父様は王都のよりも領地の方が安全だって言っていましたけど……」


「その感覚は正しくはないけれども間違ってもいないよ。王都にあるコンラード家の邸にいるよりは、領地の方が守りやすいだろうね。人も少ないし、警備もしやすい。でも安全じゃない。聖女にとって一番安全な場所は、城か、もしくは教皇のいる大聖堂だろうね」


「どうして、聖女は狙われるの……?」


 何度も言うけど、わたしに強い力なんてない。ちょっぴり癒しの力を持った普通の侯爵令嬢だ。政治的な利用価値はあるかもしれないが、国内外の人たちがそれほど欲するほどの存在ではないと思うの。


 メイナードは困ったような顔をして、手を伸ばして、わたしの頭を軽く撫でた。


「聖女はね、――生贄なんだよ」


 わたしは息を呑んだ。






 息を呑んだまま硬直してしまったわたしの頭を、メイナードは何度も撫でた。


「大丈夫。大丈夫だよ。アイリーンが生贄になる未来は来ない。私がそんなことはさせないからね」


 優しく言われるけど、そうなのよかったーなんて安心できません!


 爆弾発言だよ爆弾発言! というより、むしろ爆弾そのものだよ。


 メイナード、わたしの心臓を破壊する気?


 頭をよしよしされても誤魔化されないから!


 どういうことなのか、説明しなさいよ。


 わたしがじーっと見つめると、メイナードは困った顔のまま、言葉を練るようにして口を開いた。


「はじめて国に聖女が現れたのは、八百年ほど前。大陸全土を巻き込んだ大きな戦争があったときだ」


 それは知ってる。ランバース国の建国史に書かれているもの。聖女が祈って強力な結界と癒しの力で国を救ったんでしょ?


 子供でも知ってるわ。まさか誤魔化す気じゃないでしょうね?


 わたしが口を尖らせると、メイナードが苦笑した。


「拗ねないで。あの建国史はね、間違ってはいないけれども真実ではないんだよ。聖女は確かに祈った――、自分の命と引き換えに、国を、大切な人たちを助けてほしいと、神にね」


「命と……?」


「そう。聖女は有事のときに、その命を使って国を救う存在なんだ。聖女の命をかけた祈りだけが神を動かす。八百年前の戦争以降、我が国が他国から侵略を受けていないのはそのためだよ。ほかの国に比べたら小さな国で、軍事力もそれほど強くないわが国が、侵略を受けないのは聖女がいるから。だから王家はどうあっても聖女を守るし、ほかの国は聖女を欲する。いわば、聖女の存在は国にとって、最強の守りだ」


 聖女は国に存在していさえすればいい――、なるほど、そう言われているのは、そのためだったのね。


 メイナードが教えてくれた真実はショックだったけど、なんだか納得してしまった。


 わたしの祈りが神に聞き届けられるのかどうかは怪しいところだけど、聖女の力は有事のとき――それこそ、命を落とす瞬間に発揮されるのであれば、聖女に選ばれたわたしの力に何の変化がなくても頷ける。


「このことは王家と教会の、それこそ一部の人間しか知らない。本当ならば、聖女にも伝えたらだめなんだ。聖女だって一人の女の子だからね。自分が生贄なんて知ったら、怖くて仕方がないだろう?」


 メイナードはずっとわたしの頭を撫でている。


 たぶん、メイナードはわたしに話したくなかったんだと思う。でも、話すことを選んでくれた。わたしが聞きたがったから。――わたしの性格上、知りたがることをやめないと、彼はわかっていたから。


「アイリーン。私は君が聖女に選ばれてほしくなかった。君が宝珠に選ばれたとき、頭の中が真っ白になったよ。君は――君だけは、違ってほしかった」


 もしかして、わたしが聖女に選ばれたとき、メイナードがひどく狼狽えた顔をしていたのはそのためだったの?


 捨てた女が聖女に選ばれて動揺していたんじゃなくて、選ばれてほしくなかった「わたし」が聖女に選ばれたから?


「大丈夫、君のことは絶対に守るよ。他国になんて攫わせない。もちろん戦争もね。私の命に代えてでも、守ってあげるから」


「メイナード……」


「うん?」


 呼べば、愛おしそうに微笑んでくれる。


 ねえ、メイナード。


 なんだかさっきから、わたしのことが「好きだ」って言っているように聞こえるのは、気のせい?


 思わず訊きそうになって、わたしは慌てて「なんでもない」と首を振った。


 聖女が生贄だって言われて、それなりにショックだったけど、思ったほど心にダメージは受けていないみたい。


 だってなんだか、わかっちゃったから。


 メイナードは命に代えてでもわたしのことを守るって言ってくれたけど――、たぶん、本当にどうしようもなくなったとき、わたしの命でわたしの大切な人たちを助けることができるなら、迷わない気がするの。


 もちろん、本当にその時になったら怖くて仕方がなくて震えちゃうと思うけど――、でも、八百年前の聖女様も、そうだったんじゃないかな?


 自分と大切な人を天秤にかけて、大切な人を選んだんだと思う。


 だから、生贄って聞いた瞬間は怖かったけど、説明されたらなるほどって思っちゃった。


 だからメイナード、そんな顔をしなくていいのよ。


 知ってるでしょ? わたし、結構図太いの。

 何かあったら、今日みたいに助けに来てくれるんでしょ?


 だから、いいの。


 そんなに悲しい顔をしなくて、いいのよ。


 これから先の未来で、もしもどうすることもできないようなことがあったとしても、たぶんわたしは、後悔なんてしないから。

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