【16】残された想い(2)


「おいジジイ、気易きやすく触るな」


 語気を強め、ライルは私の肌を撫で回していたお爺さんの手を叩き落としていた。

 ライルは馴れ馴れしい人が嫌いで、初対面でそういう態度を見せたお爺さんが気に食わなかったらしい。正直、その対応も失礼だったとは思ったけれど、内心ホッとしていたのは確かだった。


「ほぉ、護衛付きだったのか。お嬢さん、なかなかやりおるな」

「黙れ、ジジイ。おい、レイディア。さっさと話を進めてくれ」

「えぇ、そうね。紹介が遅れたわね。こちらはセントアデル城の魔法士隊総長で、私の上官のフィガルト・ペルシュメーアさん。フィーさん、こっちは私の従弟のライル、こっちが幼馴染のルディね」


 それぞれの紹介を受け、フィーさんはふんふんと頷きながら、ライルと私の顔を交互に眺める。やはりレイディアの言う通りの女好きなのか、よろしくと言って差し出した手は、なぜか私にだけだった。


「フィガルト・ペルシュメーアだ。フィーでかまわんよ。それで、ワシに何用かな?」

「このサロが残した夢球トラウムを再生してもらいたいんです」


 私が目配せをすると、ライルは持っていた夢球トラウムを差し出した。

 それを見たフィーさんは、大袈裟なくらいに目を丸くして驚いた。手を伸ばして触れたのは、なぜかサロの夢球トラウムではなくて救世の鍵アナスタシスの方だった。


「これは救世の鍵アナスタシス……そうか、鍵は解けたのだな」

「フィーさん、わかるんですか?」

「ん? あぁ、わかるとも。夢球トラウムがワシにそう伝えてきたよ。“鍵は解かれた、サロの名において記憶を解放する”とな。さて、早急にこれを再生するとしよう」

「おい爺さん、再生できるのか?」


 初対面の印象が悪かったせいだろう。ライルの目には胡散臭く映っていたに違いない。「ワシを甘く見るな」と、得意気に笑うフィーさんに、あからさまに疑いの眼差しを向けていた。


「ジイさん、信用していいのか?」

古語オルド・スペルの解読なら誰にも負けはせんよ。何せワシにはウルヴァリース人の血が流れておる。先祖の言葉を理解できないなど、恥ずかしいからのぅ」

「フィーさんはウルヴァリースの末裔だったのですか? 初耳ですね」

「まぁ、このことはリリーティア様にしか話したことがないからなぁ」

「また作り話じゃないでしょうね?」


 普段からしれっと嘘をつくことが多いらしく、レイディアは端から疑ってかかっている。どこまで言えば信じてくれるのかと、フィーさんは肩を落としていた。


「まぁ、ワシのことはどうでもいい。話はこのくらいにして、かけられた鍵を解くとしよう。準備はよいかな?」


 そう問われ、それぞれが首を縦に振る。それを合図に、フィーさんは|夢球(トラウム)を手にそっと目を閉じた。

Wenウェン Itakイタク Ipitaイピカ. Anchikaraアンチカラ Arapareアラパレ, Nipekuruニペクル Ru Heriヘリ atアット……」


 言葉は空気を震わせ、波打ち、響き合う。

 夢球トラウムはフィーさんの古語に共鳴し、その身に光を宿した。

 蝋燭の炎のように柔らかく、淡い光が夢球トラウムの中心に灯り、そこから一筋の光が放たれた。 それは三方へ分かれ、私とライル、レイディアの瞳の奥へと真っ直ぐに射し込む。その瞬間、見覚えのない景色が頭の中に次から次へと流れ込んできた。


 どこかの書斎だろうか。

 サロらしき中年の男が病床につき、苦しそうに呼吸をしているのが見える。傍には、白に近いプラチナブロンドで、黒味がかった灰色の瞳をした20歳くらいの青年が付き添っている。必死に彼の手を握り締めていた。

 その2人は、救世の鍵アナスタシスの鉱石に刻まれた記憶を読み取ってもらった時に見えた、あの2人だった。


『エルグ……お前の存在はまだ知られていない。いや、いずれ多くの者達がお前を求めて探すだろう。そうなる前に、ここを離れるんだ』

『サロ様、気をしっかり持って下さい。そんな病など、必ず治ります』

『エルグ……私の寿命が尽きることは、君が一番理解しているはずだ。さぁ……遠くへ逃げるんだ。急げ、時間がない』

『……わかりました』

『いいね、エルグ。私が指示した通りに……頼んだよ』


 青年は足早に部屋を出て行く。それから少しして、独りになったサロは、まるでこの夢球トラウムを見ている私達に語りかけるように話し始めた。


『今、私の記憶に辿り着き、この記憶を見ているのはどんな目的を持った者だろうか。禁書には覇者となる力が封じられていると、私の流した偽りの噂を信じてその力を手に入れようと企む者か? それとも欲望ではなく別の目的を持った者だろうか……。私の願いとしては、後者であってほしい』


 サロは力なく笑う。吸い込んだ息に噎せ返り、苦しそうに顔をしかめる。それでも話を止めようとはせず、呼吸が乱れたままさらに続けた。


『禁書に何が記されているのか……それを私の口から言うことはできない。すまない……おそらく、私の記憶は死んだ後、皇帝が調べるだろう。もし禁書の存在する意味が知られれば、私が命を賭けてあれを生み出した意味がなくなってしまう……』


 サロの死期が迫っているのか、言葉が途切れるようになり、荒く乱れていた呼吸もゆっくりと、そして浅くなっていく。


『さっき、部屋を出て行った、エルグという青年がいただろう。彼に頼んで、私の記憶を、全て消し去るように言った。皇帝の思い通りに、ならないように……。今、私の記憶を見ている者が、私のように死を目前に控えた者なら……エルグを探してほしい。救世の鍵アナスタシスによって私の記憶は解放され、エルグは、その事実を感じ取ったはずだ……。求めれば、救世の鍵アナスタシスが道を、示す……』


 その言葉を最後に、サロは静かに目を閉じる。夢球トラウムに記されていた記憶もそこまでだったらしく、プツリと途切れてしまった。

 サロの記憶を見終えた私とライルは、言葉を交わすことなく、ただ呆然と互いの顔を見つめ合っていた。


「ライル、今のってどういうことなの?」

「サロの禁書の行方は、あのエルグという男が知っているってことだろうな……」

「でも、サロは500年以上前の人物でしょ? あのエルグって人もその時代に生きていた人なんだから、もうこの世には……」


 いるわけがない、存在しているはずがない。けれどライルは、可能性はまだあると諦めなかった。


「エルグじゃなくても、彼の子孫がいるはずだ。それを代々受け継いでいるとしたら?」


 求めれば、救世の鍵アナスタシスが道を示す――ライルの仮説が正しければ、エルグの血を分けた子孫がサロの禁書を今も守っている。そしてその居場所を示すのが救世の鍵アナスタシス


 サロの禁書が見つかるかもしれない。わずかな期待があっという間に体を駆け抜けて、嬉しさが込み上げてくる。私はその勢いのまま、ライルに抱きついていた。


「ライル、よかったね!」

「お、おいっ。まだ見つかったわけじゃ」

「でも、見つかるかもしれないんだよ? それだけでも嬉しいよっ」

「あぁ、そうだな」


 ライル自身も本心は嬉しいはず。ただ、無邪気に喜ぶのが照れくさいのか「俺より喜ぶな」と、誤魔化ごまかすすように笑っていた。


「さてお2人さん、ワシはお役に立てたかのぅ?」


 邪魔をして悪いのだがと、フィーさんはニヤニヤしながらも少々遠慮がちに声をかける。我に返って、私とライルは慌てて離れた。


「フィー、ありがとう。代金のことだが」

「ワシの店は高いぞ? レイちゃんとデートができるならまけてやっても――」

「あら嫌だ。私、仕事が残ってるのよね。ライル、手伝ってちょうだい。それじゃフィーさん、ご機嫌よう。あぁ、忙しいわ」

「おいっ、レイディア! 引っ張るなっ」


 嫌な予感を瞬時に感じ取ったレイディアは、妙な約束を取り付けられる前にと、先手必勝でライルを連れて鏡へ飛び込んだ。まんまと逃げられたフィーさんは、残念そうに舌打ちをした。


「なんだ、冷たいなぁ。お嬢ちゃん、あの兄ちゃんに伝えておいてくれ。代金は後日、ワシが取りに行くとな」

「はい、わかりました……って、あれ? ライルの屋敷の場所がわかるんですか?」


 フィーさんは、こめかみをコンコンッと突き、ニッと口角を上げた。


救世の鍵アナスタシスに触れたついでに、お譲ちゃんの記憶を見せてもらったからな。大丈夫、誰にも教えはしないよ」

「フィーさん、絶対に誰にも言っちゃ駄目ですよ? もし誰かに話したら、一生恨みますからね。それじゃ、失礼します」

「あぁ、またな」


 礼を言って、私はライルを追って鏡の中へと飛び込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る