【15】残された想い(1)

「あら、また来たの?」


 エルディア城から真っ直ぐ、レイディアの邸へやってきたものの、着いて早々、出迎えた彼女の第一声がこれ。あからさまに不機嫌な出迎えだった。


 レイディアは専属の夢読士レーゼンとして、セントアデル帝国の女帝リリーティアに仕えている。ここ1ヶ月ほど城での仕事を放置して、古語と呼ばれる古代言語の研究に没頭していたらしい。それが上官の耳に入って“一週間で終わらせなければ、城から追い出す!”と、宣告されたそうだ。

 溜まりに溜まった仕事を片付けるため、ここ数日は徹夜続きで寝不足らしく、そのせいで機嫌が悪かったみたい。


「今、忙しいのよね。急用じゃないなら、別の日にしてちょうだい」


 リビングのテーブルに山と積まれた資料越しに、レイディアはうらめしげな眼差しを向ける。だからどうしたと、ライルも冷笑を返した。


「自分が招いた結果だろ。俺には関係ない。それに、こっちは急用なんだ」


 ポケットから取り出した夢球トラウムを資料の上に置いた。

 最初は興味がなさそうに見ていただけだったレイディアも、その装飾から放たれる力の波動を感じたらしい。瞳に生気が戻り、身を乗り出して夢球トラウムを手に取った。


「あら、夢球トラウムね。これ、どうしたの?」

「悪いが説明は省く。これに閉じ込められた記憶を再生してほしい」


「また依頼料を貰うから、そのつもりでいてね」


 仕事そっちのけで引き受ける気でいたレイディアだったが、しばらくそれを見つめた後、急に苦々しい笑みを浮かべた。「駄目ね」と捨て台詞を吐いて、再び夢球トラウムを資料の山の上に放り投げてしまった。


「これ、私じゃ無理だわ」

「はぁ?」


 まさかレイディアの口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。驚く私の隣で、ライルは再度聞き返すように声を裏返した。


「私には再生できない。これ、古語オルド・スペルで鍵がかけられているわ。触れた瞬間わかったの」


 |古語(オルド・スペル)とは、かつてこの世界を支配していたウルヴァリース人が使っていた言語。彼らは潜在的な魔力が最も強いと言われていた種族で、魔法士達が使う魔術の基礎を生み出したと言われている。


 1000年程前、ウルヴァリース人と、現在この世界の大半を占めるエルメナート人との間で対立が生じ、〈紅炎の大戦〉と呼ばれる大きな戦争でウルヴァリース人が大敗してからは、エルメナート人が彼らに代わって世界を統治。自ずと古語オルド・スペル衰退すいたいし、今となっては失われた古代の言語になってしまった。


「もともと、魔術はウルヴァリース人が基礎を構築したから。私達の言語で発動させるよりも、古語オルド・スペルの方がより強い魔術を使えるの」


「この夢球トラウムに施された術が、古語オルド・スペルを使っているってことは……」

「よほど見られたくない何か、あるいは守らなければならない何かが記録されているってことね」

「レイディアには解けないの?」


 たずねると、レイディアは申し訳なさそうに頷いた。


「今の私では、これを再生するだけの力も知識もないわ。もし無理に解こうとしたら、私の命すら危ういわね」


 自らの心臓を指さし、お手上げだと言わんばかりに夢球トラウムを私に突き返した。


「どうにかならないのか? どうしても、これを再生したいんだ」

「うーん……そうね」


 レイディアはしばらく黙り込む。ふと思い出したように「あっ」と声を上げて、とたんに嫌悪のにじむ苦笑いを浮かべた。


「あんまり気が進まないんだけど……あの爺さんに頼ってみようかしら」

「お爺さんって?」

「私の上官。城に仕えている魔法士なんだけど、古語オルド・スペル研究の第一人者でね。おそらく、あの爺さん以上に優れた知識と能力を持った人はいないわ」


 尊敬しているのか、馬鹿にしているのか。褒めておきながらも“認めるのはしゃくなんだけど”と、付け足して否定するのは、レイディアは負けず嫌いだから。きっと悔しさからそんな風に言っているのかもしれない。


「ちょっと女好きなのが難点だけど……あの爺さんなら解けるかも。頼ってみる?」

「今は手段を選んでいられないからな」

「それじゃ、今から行きましょう。この時間だと、城じゃなくて自分の店にいるわね。人に説教するくせに、私と同じで仕事のサボリぐせがあるのよね」


 あきれ交じりの溜息をついて、レイディアはリビングの隅に置いた姿見の前に立った。

 上官が経営しているという店の場所を指示すれば、鏡の向こう側にぼんやりと、少々散らかった部屋の様子が映し出された。


「はぁ、あの爺さんに会うの、気が乗らないわね……」


 盛大な溜息をついて、レイディは鏡の中へと踏み込んだ。私はその後ろ姿とライルの顔を交互に見つめ、クスクスと含み笑ってしまった。


「どこかにも、同じようなことを言っていた人がいたよね?」

「……っ」


 その嫌味にはライルも気づいたらしい。苦々しい顔をして、逃げるように彼女の後を追った。

 鏡を抜けると、棚で埋め尽くされた狭い店の中に出た。


 四方どこを見回しても、あるのは棚、棚、棚。天井まで続くその棚には様々な色や形の瓶が所狭しと並べられている。それぞれの瓶の中には、ビー玉のような透き通った球体が一つずつ納められていた。

 入り口には派手な桃色をしたブタの置物が2つ。これには可愛さの欠片もない。目はやけに大きく、睫毛まで生えている。奇妙な柄と配色のベストを着ていて、おまけに薄気味悪い笑みを浮かべていた。


「うわっ……変な置物」

「あら、本当だわ。あの爺さんの趣味、疑うわ……」


 私とレイディアは顔を見合わせ、我慢しきれなくなって吹き出した。


「それにしても、たくさんあるね。レイディア、この瓶の中に入っているのは何なの?」

「これも夢球トラウムよ。ここは記憶屋といって、亡くなった人の記憶を思い出の1つとして保管してくれるお店なの」


 こっちはある国の王妃の記憶、こっちは100年前の司祭の記憶だわと、レイディアが瓶に触れながら説明していると――


「ん? おや、レイちゃんじゃないか?」


 不意に、しわがれた声が割り込んできた。

 歳は70くらいだろうか。白髪に白い髭を生やし、漆黒の外套がいとうを羽織ったお爺さんが店の奥から姿を見せた。

 その第一印象は“派手”の一言。左目にはモノクルをかけ、耳には無数のピアス。両手の指には色鮮やかなリングが幾つもはめられている。両手の甲には、紋様が肌を埋め尽くすようにびっしりと彫られていた。


「こ、こんにちは、フィーさん」

「レイちゃんがここを訪ねてくるとは珍しいのぅ。招待しても何かと理由をつけて断っておったのに」

「ちょっとフィーさんにご相談したいことがあって」

「ほぅ、ワシに用があると? 嬉しいことを言ってくれるわい」


 お爺さんはニコニコしながら歩み寄り、すかさずレイディアの手を握った。「相変わらずの別嬪さんだ」と褒めながら自らのほおり寄せる。とたんにレイディアの表情は引きつった。


「フィーさん、そういうことはお酒が入っている時だけにして下さいね。本気で怒りそうですから」

「なんだ、つれないな。まぁ、その冷たさもまたたグッとくるんだがな」


 レイディアがさり気なく威嚇いかくしても、しれっとして豪快に笑い飛ばした。

 ライルもたじたじのレイディアが、このお爺さんにはたじたじ。誰にでも弱点は存在するらしい。


「おや、見かけない子だね」


 気づけば、レイディアを見つめていたはずのお爺さんの目が、私に向けられていた。とたんに寒気のようなものを感じて、反射的に身構えた。


「いやぁ、レイちゃんも美しいが、こちらはこちらで可愛らしい。どれ、このジジイに顔をよく見せておくれ」

「えっ、あのっ」


 あたふたしている内に逃げ遅れ、あっという間にお爺さんの手に捕まってしまった。

 レイディア同様に手を握られ、スリスリと肌を撫でられる。レイディアの上官だということもあって、嫌な顔をするのも失礼になる。対応に困っていた矢先、店内にパシッと小気味よい音が響いた。

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