【14】記憶の鼓動(2)

「ルディ、見える? 彼らの足元に階段があるだろ? その先にサロの日記が保管された地下書庫があるんだ」


 中庭の入口に置かれた巨大な女神像の陰に隠れながら、ゼニスは地面を指さした。そっと顔を覗かせ、私は中庭の中央を確認する。

 ほぼ中央に鎮座するのは、双頭の白龍が口から水を吐き出す大きな噴水。そこに3人の警備兵が険しい顔つきで立っている。


「さて。問題は、彼をどうやってこの場から引き離すか、だね」

「ゼニスの権限でどうにかできないの?」

「僕が使える権限は微々たるものだからね。あの地下書庫に入るのも、皇帝の許可が必要なほどなんだよ」

「話している時間が無駄だ……とりあえず、誘惑してくる」


 物陰に隠れながら、ああでもない、こうでもないと話し合っていた矢先、痺れを切らしたライルは彼らのもとへ行ってしまった。


「お疲れ様でーす」


 ライルは猫撫で声で彼らに歩み寄った。

 突然のことに身構えていた3人も、艶っぽい微笑みを浮かべて近づく美女を前に、鼻の下を伸ばしてニンマリ。

 それは、瞬きをするほんの一瞬だった。警戒がかすかに緩んだその隙をつき、ライルの拳が彼らの鳩尾みぞおちに一発ずつ、素早く打ち込む。


 彼らは詰めるようなうめき声を吐き出し、そのまま気を失って倒れた。完全に伸びていることを確認し、私とゼニスは急いでライルのもとへ駆け寄った。


「相変わらず強引だね、ライルは」

「ちょっとやり過ぎじゃない? もっと他の方法なかったの?」

「考えてる時間なんてなかっただろ。目覚ます前に、さっさと終わらせるぞ」


 我先にと、ライルは地下書庫へと下りて行く。あの性格はどうにかならないものか。私とゼニスは無言のまま顔を見交わして、ライルの後を追った。


 ほこりとカビが入り混じる古い空気を吸いながら螺旋らせん階段を下りきると、ゼニスは壁にかけられた燭台しょくだいに術を使って火を灯す。ジュッと焼ける音がして、闇に隠れていた地下書庫内に明かりが広がった。


「すごい……これ全部、サロの禁書に関する資料なの?」

「そう。世界各地から集められ、その全てがここで保管されているんだ」


 地下にあると聞いていたから、あまり大きな部屋は想像していなかった。実際はその逆。広さはライルの屋敷の2倍か3倍か、或いはもっと上。その部屋の終わりがどこにあるのか、入口からは確認できないほど広い。数百、あるいは数千に及ぶ書架がその空間を埋め尽くし、その書架一つひとつに、本がびっしりと本が収められていた。


「ゼニス、サロの日記はどこにあるの?」

「こっちだよ。ついてきて」


 ゼニスは燭台しょくだいを手に、等間隔に並べられた書架の間を抜け、奥へと進む。【Ⅹ‐Ⅱ】と刻まれた書架の前で足を止め、スッと蝋燭ろうそくの光を当てた。


「その書架に、黒革の表紙の本が並んでいるだろ? それがサロの日記だよ」


 赤や緑の色鮮やかな本が並ぶその中に、闇に溶けるような漆黒の本が1段分を占領して、ずらりと並んでいる。私はその内の1冊を手に取った。

 少しでも指先に力を入れれば、簡単に崩れそうなほどボロボロだった。表紙の中心には大きなルビーをあしらった銀の装飾が施されている。今も輝きを失わずに光を宿していた。


「おそらく、見張りの交代が来るまで1時間。ライル、問題ない?」

「あぁ。それだけあれば、書き写すには十分だ」


 どこか得意気に、ライルは自らのこめかみを指先で突いた。

 一体、何を言っているのだろう。日記は読むものであって書き写すものではない。私は怪訝けげんな視線をライルに送った。


「書き写すって、どういうこと?」

「じっくり読む時間はないからな。まぁ、ルディは黙って見ていればいい」


 ライルは日記を開き、最初の行に記された文字を指先でスルスルとなぞっていく。とたんに、指先が触れた文字が光を宿して浮かび上がり、文字の複製を作っていく。複製された光の文字は、やがて宙を漂い、ライルの瞳の中へ吸い込まれていった。


「文字が……ゼニス、どうなってるの?」

「直接頭の中に日記の内容を書き込んでいるんだよ。目で追って読むより、短時間で内容を把握できるからね」

「……本当、魔法士って便利よね」


 私なんて、一冊の本を読み終わるまで何日もかかる。便利だと思う反面、こんな風に術を使ってあっさり読んでしまっては、面白味の欠片もないとも思う。

 それから30分ほどが経った。

 全ての日記を頭の中へと書き写し終えたライルは、深く息を吐いて、開いていた日記をパタンと閉じる。押し出された埃っぽい空気が、微かに鼻先をかすめた。


「ライル、終わったの? どうだった?」


 何が書かれていたのか、何か発見はあったのか、淡い期待を抱いて訊ねた。その思いとは裏腹に、ライルの表情はどこか曇っていた。


「名前の通り、これは日記に過ぎないのかもしれないな。サロの禁書らしきものの存在を匂わせるようなことは書いてあったが、それだけだった」

「それだけって……それだけ?」

「そう簡単に見つけられるとは、俺も思っていなかったけどな」


 胸の奥が、ギュッと締めつけられるような、鈍い痛みを覚えた。

 どうしてここにサロの禁書の有りかが記されていないのか、どうして手がかりすらないのか、どうして……。そんな言葉ばかりが、頭の中に響く。


 ライルに無理をさせてまでここに来たというのに、何も得られなかった。くやしさに唇を噛みしめながら日記に手を伸ばした。その直後だった――

 ドクンッと、大きく脈打つ鼓動こどうが耳に届いた。一瞬、自分の鼓動こどうかと思って胸に手を当てた。私の鼓動ではなかった。

 明らかに強さも、早さも違う。この音は一体どこから聞こえてくるのだろう――耳を澄ませると、その音が書架しょかに並んだ日記から発せられていることに気づいた。


「ライル、日記から妙な音が聞こえる……何だか鼓動みたいな音がするの」

「音? 俺には聞こえないが……ゼニス、聞こえるか?」


 たずねられたゼニスは、首を傾げながら日記に耳を寄せた。ゼニスにも聞こえないらしく、首を横に振った。

 その音は確かに聞こえている。

 どの本が音を発しているのか。私は手当たり次第に日記を取り出した。

 何冊目かの日記を手にした時、手首にはまった救世の鍵アナスタシスがカタカタと震えて、白く輝き始めた。それに呼応するように、手にしたその日記も同じ光を宿して、ドクン、ドクンと鼓動こどうを響かせた。


「この日記だわ……!」

救世の鍵アナスタシスと日記が共鳴している?」

「ライル、聞こえる? この鼓動、表紙にあるルビーら聞こえてくるの」


 差し出した日記に耳を寄せ、ライルはその音を辿った。重く刻みつけるような音は、確かに装飾の箇所から鳴り響いていた。


「これは……【夢球トラウム】?」

夢球トラウムって?」

「死者の体から記憶を抜き取って、こういった鉱物にその記憶を写して保管しておくと、後で再生して見ることができる。夢読士レーゼンのみが扱える技術だ」

「つまり、このルビーには誰かの記憶が刻まれているってこと? 一体誰の……?」

「おそらく、サロ」


 戸惑いながら、ゼニスはその名を口にし、鼓動を響かせる夢球トラウムに恐る恐る触れた。


「確かに、それ以外に考えられないか」

「まさかこんな細工がしてあるなんて、僕も想像しなかったよ。だって、今の今まで夢球トラウムの波動なんて感じられなかったから」

「当然だろう。サロは救世の鍵アナスタシスを鍵にして、こいつを封印してたんだろうからな」


 ライルは私の手首にある救世の鍵アナスタシスを握った。その瞳からは落胆らくたんの色が消え、心なしか、りんとした強さが戻っているように見えた。


「それにしても、サロはどうして夢球トラウムを封印したのかな?」


 自分の記憶を残すということは、誰かにこれを見てほしかったということになる。封印してしまっては、その思いは果たされない。


「公にはできないが、伝えなければならないことがあったからじゃないのか? おそらくサロの禁書に関する何か……ゼニスはどう思う?」

「そう考えるのが妥当だろうね。いや、可能性は十分に高い」


 ゼニスは日記から装飾をはぎぎ取り、それをライルの手にしっかりと握らせた。思いもよらない行動に、ライルはこれでもかといわんばかりに目を見開いた。


「おい、皇帝に気づかれたらどうするんだ?」

「いいんだよ。ほら、それを持って夢読士レーゼンの所に行かないと。ライルには優秀な夢読士レーゼンの従姉がいるだろ?」


 脳裏を過ったのはレイディアの姿だった。おそらく、ライルも同じように脳裏を過ったらしく、あからさまに嫌な顔をした。


「またあいつかよ……」

「嫌でも、今は頼るしかないでしょ?」

「……わかってるよ」


 半ば自棄になって、ライルはサロの夢球トラウムを乱暴に上着のポケットへ押し込んだ。

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