【13】記憶の鼓動(1)

 エルディア城へ潜入するため、帝都の東、トリフィル湖の湖畔にある飛翔舟の港【トリフィル港】へとやってきた。


「まさか、こんな形で飛翔舟に乗る日が来るなんて、思わなかったわ」


 こんな時に不謹慎だったけれど、私は好奇心からほんの少しだけ舞い上がっていた。

 見上げた空には、巨大な大地【天穹の庭セレルティアル・グローブ】が浮かんでいる。


 そこは皇帝陛下や家臣、仕える魔法士達や上流階級の貴族。選ばれた者のみが暮らす空の帝都。階級の低い魔法士や庶民は【地の庭シーアス・グローブ】と呼ばれる地上の帝都で暮らし、その巨大な楽園を見上げる事しかできない。


 唯一の交通手段は、飛翔舟ひしょうせんと呼ばれる空飛ぶ船。役所で発行される許可証さえあれば、身分が低くても出入りすることができる。

 天穹の庭セレスティアル・グローブ行の飛翔舟は40人乗りで、船体は眩いほどの白。蒼い湖面に浸かることなく、一メートルほどの空中にふわりと浮かんでいる。浮力はもちろん、天穹の庭セレスティアル・グローブ戦闘艇せんとうてい、街の街灯や部屋の明かりなどにも使用されているエレミアナイト。


 城に仕えているゼニスは天穹の庭セレスティアル・グローブで生活していることもあり、地の庭シーアス・グローブに降りる際は頻繁に利用しているし、ライルもかつては利用していたらしい。


「ルディは初めてだったね。飛翔舟からの眺めって、なかなか見応えあるんだよ」

「本当? 楽しみだなぁ」

「あんまりはしゃぐと田舎者だとばれるぞ」


 ライルが鼻で冷笑しながら言った。

 こちらを見てニヤリとしているのは、赤毛の短髪に、胸元の大きく開いた黒のドレスをまと妖艶ようえんな美女。一見別人ではあるが、それは魔術で姿を変えたライルだ。姿は変わっても、ライルの嫌味さは隠しきれない。私も負けじと睨み返した。


「ライルこそ、その変身がばれて捕まらなきゃいいけど?」

「そんなヘマしねぇよ。ルディこそ、しっかりスカーフかぶって眼鏡してろ。城の連中に顔が知られてる可能性だってあるんだからな」

「わ、わかってますっ」


 外していた眼鏡をかけた矢先、ライルはスカーフの端を掴んで思いっきり下に引っ張った。強引な態度に文句を言おうと身を乗り出したとたん、ゼニスが間に割って入った。


「2人とも、痴話喧嘩ちわげんかはそのくらいにね。そろそろ出港だから、船着き場に行くよ。はい、2人の許可証」


 そう言って差し出したのは、手の平におさまるほどの紙。真っ白な紙に【トリフィル港→天穹の庭セレスティアル・グローブパベル港】と、金の文字で印字された飛翔舟ひしょうせんの乗船許可証だった。

 本来なら申請して許可が下りるまで早くて数日。遅いときは数週間かかる。それを即日発行させたのもゼニスのおかげだった。その理由が 「反逆者ライル・ベルハルトの行方を知る重要人物で、陛下のもとへ連行しなければならない」と、いけしゃあしゃあと嘘をついて発行させたみたい。


「間もなく出港致します。ご乗船の方はお急ぎください」


 出港の時刻になり、係りの魔法士が声をあげた。他の客達に混じって列に並び、私達は許可証を提示して乗船した。


 席は全部で40席。中央の通路を挟んで、左に20席、右に20席。それが2列に分かれている。

 私とライルは最後尾の席に並んで座り、ゼニスは私達を隠すように、1つ前の席についた。間もなく、飛翔舟ひしょうせんは出港。音もなく、滑るように空へ舞い上がる。ものの数分で、地上はあっという間に遠ざかっていった。

 上空から町を見下ろすことはないと思っていた。状況が状況だけにはしゃげないのが、少しだけ残念。


「綺麗だろ?」


 窓から地上を見下ろす私に、ゼニスがそっと声をかけた。


天穹の庭セレスティアル・グローブに住む人達は、いつもこんな景色を見ているのね」

「そうだね。でも、綺麗なのは飛翔舟から見える景色だけ。僕はあの場所にいても、景色なんて綺麗に見えたことはないよ」


 どこか嫌悪の混じる口調で、上空に浮かぶ天穹の庭セレスティアル・グローブを見上げる。ゼニスの横顔に、かすかな苛立ちがにじんでいた。


「あそこから地上を見下ろして喜んでいるのは、馬鹿な貴族連中と皇帝だけだ」


 と、ライルが付け加えた。

 私にも、なんとなくわかる気がした。天と地に分けられた2つの町。同じ人間なのに、身分の違いから分けられて天と地に生きる。それが許せないのだと思う。


 それから数分ほどで、飛翔舟ひしょうせん天穹の庭セレスティアル・グローブの港へ到着した。

 そこは、まるで別世界――青と白を基調として作られた町並みは、空と雲、或いは透き通った水を連想させた。けれど、綺麗なのは町並みだけ。そこを行き交う貴族達は、外見から庶民だとわかる私やライルをどこか蔑むように、物珍しそうに見ていた。


 そんな視線を横目に、町を一望できる暁の丘に聳え建つ古城エルディアへ――向かい合う双頭の白龍像に守られた城門にやってくると、警備担当の魔法士が私とゼニス、美女に姿を変えたライルの3人を出迎えた。


「今戻った」

「ご苦労様です。シャンクマン総長から伝言です。アルラシアの件でしばらく城を開ける。戻るまで総長代理として、ライル・ベルハルト捜索の指揮を取るようにとのことです」

「わかった。とりあえず、部屋に戻らせてくれ。隊の魔法士たちには、それから指示を出す」

「了解です。ところで……そちらの2人は?」


 背後に立つ私とライルが気になったらしく、魔法士の青年は警戒した様子でこちらに目をやった。素性を探るように、頭からつま先へと視線が上下に往復する。


「行きつけの菓子店の店主と、その姪御さんだよ。以前から美味しい紅茶のれ方を教えてほしいと頼んであって、連れてきたんだ」


 紹介されたライルはニコッと微笑みかける。妖艶な美女の微笑みに照れくさそうな素振りを見せたものの、それでも警戒心けいかいしんは解けないらしく、疑いの眼差しは向けたままだった。


「民間人を城内に入れるのですか?」

「そのつもりだけど、何か問題でもあるのかい?」

「いくらゼニスさんの知り合いとは言っても、民間人を中に入れるのは……」

「まさか、彼女達が陛下暗殺を企てるとか思ってる? こんなに美しいのに?」


 美しいということと、陛下暗殺を企てることとは何ら繋がりも関係もないのだけれど、ゼニスは「こんな美女が危険なことをするわけがないだろ?」と、青年に熱弁する。それでも青年は折れず、ゼニスは困ったように溜息をもらした。


「仕方ないな。もし何か問題が起こっても、全て僕の責任だから。君は何も知らないと白を切っていい」

「いや、そう言われましてもっ」

「まぁ、そういうことだから。2人とも、どうぞ」


 このままでは埒が明かないと思ったゼニスは、彼らの反対を押し切って強引に城内へと案内した。

 ゼニスは問題ないと言い切っていたけれど、城門を守る魔法士の青年達は気が気ではなかったみたい。振り返って見れば、奥へと進む私達を青褪あおざめた顔で見ていた。


「ゼニス、少し強引だったんじゃない?」

「仕方ないよ。あのままじゃ、日が暮れそうだからね。とりあえず中には入れたけど、地下書庫へ着くまでは気を抜かないように。ライルも、その姿を維持しておけよ」

「わかってる」


 そう答えたライルの声がかすかに震えていた。眉間にシワを寄せ、強く歯を食いしばって痛みに耐えているのがわかった。そんな顔をさせたくなくて、気づけば、私の手はライルの右手を掴んでいた。


「……どうした?」


 ライルは正面を向いたまま、静かにたずねた。


「辛そうだから。少しくらい痛みが和らげばいいなって、思って」

「それで痛みが引くと思ってるのか?」


 気休め程度でもいい。手を握れば、もしかしたら痛みの半分くらいは吸い取れるかもしれない。その想いが通じたのか、ライルは私の手をしっかりと握り返した。


「こっちに集中していれば、少しは気が紛れる」


 包み込むその手を、私は必死に握り返した。

 お願い、少しでも痛みが和らぎますように――心の中で祈りながら、入口から延びる長い回廊を進む。案内されたのは城内にある中庭だった。

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