【12】サロの日記

 サロの禁書に関する手がかりも、期待していた救世の鍵アナスタシスも不発に終わって、また振り出しに戻った――

 結局、サロの禁書を探す以外に方法はない。その行方を追うため、ライルのやしきにある資料をかき集めて一から洗い直すことになった。


 リビングの床に古書を山のように積み上げ、片っ端から読み漁っていく。

 このおとぎ話がいつから伝承されるようになったのか、どこの地で生み出された話なのか。調べれば調べるほど、本によって伝承の内容も地名も異なっている。


 目の前にハッキリと見えるのに、まるで掴めない霧のよう。存在するという確固たる証拠もないのに、なぜこの国の皇帝やライルはその存在を疑わず、ただひたすらに求めているのか不思議だった――


「えっ! サロの禁書を生み出した魔法士って、この国の皇帝に仕えていたの?」


 調べを進める中で聞いたその話に、私の声は見事に裏返った。


「今から500年くらい前、この国に仕えていた魔法士サロ・ウェストールが生み出したと言われてるんだ」


 ライルはリビングにある特等席の赤いソファに座り、資料を読みながらそう言った。


「城にはサロが残した研究日誌や資料が多く残されていて、中にはサロの禁書らしきものの記述もあった。救世の鍵アナスタシスも、他の資料と一緒に保管されていたんだ」

「そうだったの。ライルはその資料、見たことがあるの?」

「あぁ。城を抜け出す前に、何度か」


 一国の主たる皇帝が、存在するのかさえ疑わしい書物を本気になって探しているなんて妙だとは思っていたけれど、そういう理由なら納得がいく。


「おとぎ話じゃなくて、その存在を裏付ける資料が残っていたのね。でも、そう考えると妙ね。サロの禁書が人の手で生み出されたなら、願いを叶える力なんてないと思うけど?」

「おそらく“願いを叶える”っていうのは、伝承される内に表現が変化しただけだ」


 ライルは読み終えた古書を少し乱暴に閉じ、それをソファの上に放り投げた。

 魔法士サロは、現在の魔法士達が使う術の基礎を作り、高エネルギーが凝縮されたエレミアナイトの発見から、それを武器や兵器、生活用品などに利用する応用技術を生み出した人物らしい。仮に、その高度な知識の全てがサロの禁書に記されているのだとしたら――


「サロの禁書は願いを叶えるというより“願いを叶えるだけの知識が詰まっている”と解釈した方が正しいかもしれない」


 それだけの知識を持った人が生み出した本なら、刻印を消せるような技術が記されていてもおかしくない。

 納得して頷いていた、そこへ「お邪魔します」と、声が割り込んだ。リビングへ姿を見せたのはゼニスだった。


「ゼニス、どうしたの?」

「サロの禁書の記述が載った本を探して欲しいって、ライルに頼まれてね。それを持ってきたんだ」

 自嘲気味じちょうぎみに笑って「要は小間使いだよ」と、抱えていた本に視線を落とした。


「そんなことより、ライル! 玄関のかぎが開いたままだったよ。城の魔法士達が乗り込んで来たらどうするんだ?」

「んー、そうだったか」


 どうでもいいと言わんばかりに、ライルは抑揚よくようのない空返事をした。

 集中している時は何を話かけても「あぁ」とか「そうだな」しか返事をしない。これもライルの悪いくせの一つだった。


「それはそうと、頼んだもの手に入ったか?」


 本に視線を落としたまま、ライルは突慳貪つっけんどんに言った。


 ゼニスが抱えていた本を目の前に差し出せば、とたんに上機嫌。手を伸ばしたかと思えば、その表情は瞬く間にしかめっ面に変った。


「たった5冊だけか?」


 もっとなかったのかと呆れるライルに対し、ゼニスはムッとして腕を組んだ。険悪な雰囲気になりそうな気配がして、そばで見ている私はあたふたしていた。


「手に入っただけでも運がいい方だよ。残りは全部、城が回収しちゃったんだからさ」

「回収って?」


 話が見えずに首を傾げる私に、ゼニスは困ったように眉尻を下げた。


「サロの禁書に関連する資料や本は全て回収するようにと、皇帝の指示でね。国中から回収されたその膨大な資料が今、城の地下書庫に保管されているんだ」

「皇帝がそこまで徹底するってことは、本当に見つけようとしてるってことなのね」

「それに拍車をかけるような事態も起こっているから、僕も忙しくなるかもしれない」


 ゼニスは脇に抱えていた新聞を差し出した。その一面には『ガイラディアス軍、アスルの森へ進軍か』と書かれていた。

 ガイラディアスとは、このエルディア帝国と対立するクライスドールの同盟国。現在、アルラシア平原にあるガイラディアスの拠点を占拠すべく、エルディア軍が進軍し交戦中。そのガイラディアス軍の偵察兵が、国境付近に広がるアスルの森で捕らえられたそうだ。


「偵察を送り込んできたってことは、アルラシアの拠点にエルディア軍を引きつけておいて、その間に帝都に進軍しようとしているのかもしれない」


 戦況が悪化すれば皇帝の焦りも煽られる。サロの禁書を今すぐにでも持って来いと無茶を言い出しそうだと、ゼニスは深く溜息をつく。


「もし今、敵国の軍が攻め込んできたらどうなるの?」

「今のエルディアの軍事力なら、帝都に攻め込まれても返り討ちにするくらいどうってことないと思う。まぁ、油断していると足元すくわれそうなんだけどね」

「――悪かったな」


 本に視線を落としたまま、ライルが唐突にぽつりと言った。


「何のこと?」

「俺の所に来てる余裕なんてなかっただろ?」


 申し訳なさそうに横目でちらりと窺う“ライルらしくない”仕草に、ゼニスは喉をククッと鳴らして吹き出した。


「何笑ってんだよ」

「いや、別に。ライルは余計な心配しなくていいよ。今、僕が城に仕えている理由は、城に居る方がサロの禁書に関する情報が得や易いから。それ以外にない」


 まるで“今起こっている戦争は二の次で、ライルが優先だ”と言っているようだった。彼の立場を考えれば、優先すべきは国であり皇帝であるはず。そこをさらりと否定して、軽い毒を含ませるのはゼニスらしい。


「それより、僕が見つけた資料はどうなんだ?」

「せっかく探してきてくれたのに悪いんだが……ざっと読んだ感じでは、俺が持ってる資料とたいして変わらないよ。こんなわかり切ったことが知りたいわけじゃない」


 と、ライルは苛立ちを仄かに滲ませながら本を閉じた。パタンと、かわいた音が静かな室内に響いた。


「世間に出回っている資料を調べたところで、手に入る情報なんて限られている。答えに一番近い資料が必要だ」

「それはそうだけど。ライル、そんなものが存在するの?」

「城の地下書庫に保管されている“サロの日記”が一番の近道だろうな」


 ライルはソファの背に踏ん反り返るように凭れ、深めに息を吐いて腕を組んだ。


「それって、サロの禁書とは別のものなの?」

「あぁ。俺が刻印を刻まれて城を抜け出した後、サロの生家の床下から50冊以上にも及ぶ日記が見つかったらしい。サロの禁書について記されている可能性も十分にある」


 瑠璃色るりいとの瞳がスーッと流れるように動いて、ゼニスの姿をとらえて静止する。視線がかち合ったゼニスは、何かを覚ってハッと目を見開いた。


「ライル、まさかっ」

「ゼニス、サロの日記を調べたい。城へ入れるように協力してくれ」


 その瞬間、ゼニスは目を見開き、こぶしをグッと握って力を込めた。彼の怒りが、その場の空気を震わせたのがはっきりとわかった。


「馬鹿言うなっ! 死にたいのかっ!」


 温厚なゼニスが、今までに見せたことがないくらいの剣幕で怒鳴った。その姿に言葉を失う私を余所に、ライルは少しも動じず、ゼニスを真っ直ぐ見つめていた。


「目の前に可能性があるのに、黙って見過ごすわけにいくか」

「それは理解できるけど、保管されている場所が問題だ! 城に踏み入れるってことがどういうことなのか、お前が一番わかってるはずだっ」

「それでも、確かめたい」

「僕は許さない! そんなのっ、自殺行為だ!」

「ゼニス、落ち着いて!」


 今にも殴りかかっていきそうな勢いで、ゼニスはライルの腕を掴んだ。私は慌てて止めに入った。それで我に返ったらしく、ごめんと、謝りながら目を伏せた。


「ライルの気持ちはよくわかっている。でも、城に足を踏み入れるなんて……」

「そうよね。ライルは今、反逆者として追われている身ですもの。上手く変装するにしても、城に行くってことは自ら捕まりに行くようなもので」

「違うんだ。そんな単純な理由じゃないんだ」


 ゼニスはひたいに手をあて、深く息を吐きながら、力なくソファに腰を下ろした。


「城全体に吸血ノ唱文クローフィ・コードという術が施してあってね。それは咎の刻印の力を増幅させる。命を削る速度が急激に早まるんだ」


 刻印を刻まれていない者には何の影響はない。ただ、ライルのように刻印を持つ者が城にいれば、何倍もの速さで命が削られる。ライルとゼニスが助けようとした仲間のルードさんが、数ヶ月で命を落としたのは、吸血ノ唱文クローフィ・コードが施された城の地下牢にとらわれていたせいらしい。


 可能性があるなら確かめるべきだけれど、それと引き換えにライルの命が削られる。それが妙に不安を煽られ、心配になってライルの顔を見つめる。すると、ライルは呆れたように笑って私のほおつままんだ。


「痛っ! ライル、痛いよっ」

「そんな顔するな。こっちにまでその不安が移る」


 迷惑だと嫌味を言いながらも、手を離した後、つままんだ頬そっと指先で撫でくれる。真っ直ぐに見下ろす視線が妙に柔らかくて、不安なはずなのに、なぜか安堵感を覚えた。


「ゼニスの言ったことは本当だが、一瞬で命が奪われるわけじゃない」

「でも……」

「そんなに心配なら、一緒についてきて確かめろ。ルディが見ていて耐えられなくなったら、すぐに城から出る。それで文句ないか?」


 そう聞き返す声がいつになく優しくて、それ以上“駄目”だとは言えなかった。

 可能性があって、少しでも答えに近づけるなら――危険でも、ライルのために確かめたい。私はうなづくしかなかった。


「そういうわけだ。ゼニス、頼むよ」

「……わかった。けれど、ライルの体に負担がかかることは避けたい。手短に済ませることが条件だよ」


 許可はしたものの、ゼニスはまだ納得がいかない様子だった。

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