【11】拒絶

 どこからともなく、鈴の音が響いてくる。穏やかで、どこか悲しげで。

 誘われるように、私はそっと目を閉じた。


 現実と夢の狭間を漂うような浮遊感が、手首から全身へと駆け抜ける。微睡まどろみに落ちるような感覚の中で、スルリと溶けるように、断片的な記憶がまぶたの裏に浮かんできた。


 最初に見えたのは、本が山のように積まれた部屋だった。研究室だろうか。ランプの灯りだけが広がる薄暗い部屋で、年季の入った机に向かう中年の男がいた。そこへ、美しいプラチナブロンドの青年が、入れたばかりの紅茶を持って歩み寄る。


『順調ですか?』

『今のところは問題ない。鍵としての術は定着した。後は防御魔術を施すだけだ』


 男が立ち上がり、こちらへやって来る。間もなくして、見えていた光景が激しく歪み、目の前が真っ白に染まった。

 バチバチッと、突如として響いた激しい音と、手の平に走った痛みに驚いて目を開けた。目を丸くする私とレイディアの間を、ゆらゆらと白い煙が立ち昇っている。それは救世の鍵アナスタシスから生じたものだった。


「い、今のは……?」

「……弾かれた」


 レイディアは呆然と手を見つめて呟いた。よほど驚いたらしく、彼女の視線は救世の鍵アナスタシスと自らの手の間を何度も往復していた。


「こんなこと初めてだわ。私の力が弾かれるなんて……」

「レイディア、どういうことだ?」


 私もライルも、なぜそんなにもレイディアが驚いているのか、その状況が何を意味しているのか、全くわからなかった。


「今の反応は……反覆ノ呪譜カーポ・コード。おそらく、救世の鍵アナスタシスを作った人物が術を施したんでしょうね。この鉱石に刻まれた記憶が、読み取られないように」

「それを解いて、もう一度読み取れないのか?」

「これだけ強い力で守られたものを、私の力で読み取れるかどうか……」


 さっきまでとは打って変わって、レイディアは自信がなさそうに答えた。

 躊躇ためらいがちに右手を開き、それを私の方へ向けた。綺麗な彼女の手の平が、赤くれ上がり、薄らと血がにじんでいた。


「レイディア、その手!」

「さっき、力を跳ね返された時にやられたわ。でももう一度、やってみないとね」


 意を決したように、レイディアは唇を噛みしめ、再び救世の鍵アナスタシスに手を伸ばした。すると、救世の鍵アナスタシスはとたんに激しく光り、火花を散らしてレイディアを拒絶した。


「……駄目ね。完全に私を拒絶してる。ここまで強力な呪術に触れたのは初めてだわ」


 悔しげにそう呟きながら、赤くれあがった手を静かに握り締めた。私は見ているのが辛くなって、持っていたハンカチで彼女の手を包み込んだ。

 さすがのライルも、それ以上無理強いさせるわけにはいかないと判断したのだろう。再度試みようとするレイディアの手を、慌てて掴んで止めた。


「レイディア、もういい。無理させて悪かった」


 謝るライルに、レイディアは目をぱちくり。とたんにフッと吹き出した。


「いやだ、やめてよ。ライルが謝るなんて気味が悪いわ」

「気味悪いって……」

「このくらい、よくあることだから気にしないで。まぁ、そんなに悪いと思っているなら、依頼料3倍で支払ってくれると嬉しいんだけど?」

「あのなぁ。どうしてそう言う話になるんだ」

「そういう話だわ」


 と、レイディアは不敵に笑う。きっと、彼女は無理をして笑っている。相手を心配させないように、何でもないふりをする時のライルとよく似ていたから。


「あの記憶、続きには何が残されていたんだろうね」


 私はとっさに話題を変えた。ライルに罪悪感を抱かせないように、レイディアが少しでも手の痛みから気持ちが逸れるように――とっさに思いついた、精一杯の方法だった。


「もしかしたら、サロの禁書の行方だったのかな?」

「可能性はあるわね。でも、私を拒絶しているから、確かめることもできないわ。

 期待していたところ悪いんだけど、こうなったら私にも手が出せないわ」

「仕方ないな。また、振り出しに戻ったってわけか」


 ライルは、低く落とすように言った。その声は明らかに苛立っていた。

 少なからず、状況が進展するのではないかと期待していたはず。その思いも裏切られてしまった。行き場を失った感情をどこへ向ければいいのか、わからなくなっているようだった。


「ライル。刻印のこと、焦ってるの?」


 さとすように、落ち着いてと宥めるように問いかけた。

 ライルはゆっくりと視線を動かし、その目に私を映す。眉間にシワを寄せて怒っているようにも見えても、今のライルは怒りの感情よりも、悔しさとあせりが勝っていた。


「気持ちはわかるよ。でも、焦ってもどうにもならないの。焦れば焦るほど、掴めるものも掴めなくなるわ」

「……わかってる」

「だったら、そんな暗い顔しないで。真っ直ぐ前を見なきゃ」


 下を向いていていいの? と、下から顔を覗き込んだ。顰めっ面だったライルは、目が合うなり、フンッと、生意気そうに鼻で笑った。


「そう、その嫌味な笑い。ライルらしくていいわ」

「酷い言い方だな」

「そんなの今に始まったことじゃないわ。あっ、そうだ。レイディア、救世の鍵アナスタシスのことなんだけど」


 不意に声をかけられ、レイディアは驚いて何度も瞬きをした。


「さっき見えた記憶以外に、これがどうして手首にはまっちゃったのか、原因とか見えなかったかなって思って」

「それって、術とか呪の類?」


 レイディアは腕を組んで首を捻る。触れることはできないから、少し身構えながら救世の鍵アナスタシスを眺めた。


「私はこういうものに刻まれた記憶を読み取る力しかないから。呪がどうのっていうのは専門外ね。それらしいのは、見えなかったし」

「そ、そう……」


 内心、少しだけ期待していた。

 ライルは自分が施した術が暴走して手首にはまったと言っていたけれど、もしかしたら、もともと救世の鍵アナスタシスに施されていた術の可能性もある。

 その手がかりになるようなことが見つかるのではと期待したけれど、やはりそう簡単には見つからない。


「とりあえず、依頼はこなしたわ。さぁて、依頼料はきっちり頂かないとね」


 事が終わって早々、レイディアはさっそく依頼料の催促をする。

 まとわりつくような眼差しに捉えられ、ライルは呪をかけられたようにこおりつく。すっかり依頼料のことを忘れていたらしい。


「ちゃっかりしてるな……それで、何が欲しいんだよ」

「ライルの家の棚にあるお酒なんてどう? ほら、赤い瓶に入った貴腐きふワイン」


 それが何なのか、ライルにはすぐに見当がついたらしい。ハッとして、すぐに焦りの色が表情に浮かんだ。

「あれは駄目だ! 売ったら数百万はくだらない酒だぞ」

「それを聞いたらなおさら欲しいわね。それとも、お金で払ってくれるの? 私の依頼料は高くつくわよ」


 身を乗り出したかと思えば、スッと素早く腕を伸ばし、抗議してきたライルの顎をしっかりと掴む。「私に逆らうつもり?」と、レイディアは無言で脅しにかかる。笑顔の裏に隠れた悪魔を見た気がした。


「わかった……明日、届けるよ」

「素直でよろしい。楽しみにしているわ」

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