【10】残された可能性(2)

 ぶつかる──私はとっさに固く目を閉じた。けれど、何の変化も痛みもない。不思議に思って目を開ければ、鏡の向こう側に映っていた部屋の中に立っていた。背後にある鏡の向こう側には、ライルの部屋が広がっている。


「どうなってるの?」

「もうここは俺の部屋じゃない。数千キロ離れた場所に一瞬で移動してきたんだ。それより、あいつは……レイディア、いないのか?」


 そう呼びかけた時だった。前方に見える廊下から足音が響いてくる。視線は自ずとそこへ向けられ、無意識のうちに身構えた。

 現れたのは、腰まで伸びた長い漆黒の髪と、その髪の半分ほど赤色に染めた長身で細身の女性。最初は驚いていたけれど、ライルと私の姿を見るなり嬌笑。とたんに、ライルの唇が真横に引きつった。


「あら、ライルじゃないの!」

「げっ」


 ライルは声を上げ、大袈裟に後ずさった。

 彼女はあっという間に駆け寄り、その勢いのままライルに抱きついた。そして頬にキスをする。ライルは眉間にシワを寄せ、あからさまに嫌悪感を露わにした。


 私は見てはいけないものを見てしまったような気分に陥り、目のやり場に困ってあたふたした。


「レイディア……そのくせをどうにかしろ。虫唾むしずが走る」

「いいじゃないの。それにしても久し振りね。逃亡生活は順調?」

「ああ、まぁな。そんなことはどうでもいい。レイディア、頼みたいことがあるんだ」

「あら、そうだったの。じゃあ、依頼料か、その代わりになる物を持ってきなさいよ」


 フフッと不敵に微笑んで、レイディアはライル腰に腕を回し、体を寄せた。

 同性の私から見ても、相変わらず見惚れてしまうほどの上質な美女。体を密着させて立っている光景が妙に艶めかしい。


 ちらちらと見ている内に、レイディアもその視線に気づいた。不意に目が合い、ライル同様に後ずさる。そんな私を逃がすまいと、レイディアは駆け足でやってきて、ギュッと抱きしめた。


「ルディじゃないのっ。久し振りね。相変わらず可愛いんだから。ほら、ちゃんと顔見せなさいよ。何年ぶり? 最後に会ったのって、ライルがエルディアの魔法士隊に入隊する前よね?」

「多分、7年ぶりかな? それよりレイディア、離して、ね?」


 吸い込まれそうな深い黒味を帯びた青い瞳が、私をしっかりと捉えた。

 こうして間近で見れば見るほど、ライルとよく似ている。目元や口元、笑い方がそっくりだった。


「レイディア、遊ぶのはそのくらいにしろ。そろそろ本題に入らせてくれ」

「なによ、せっかちね」


 冗談が通じない男なんて面白くないだとか、せっかちは損するだとか、文句をぶつけながら私の抱擁を解いた。やっと解放されて、つい安堵の溜息が漏れた。


「それで? 私に何の用なの?」


 その問いにライルは口を噤んだまま。無言の返事を受け、レイディアは「ああ、そうね」と頷き、私の手を握り締めた。少し、ピリリとした痛みが手の平に走った。


「……なるほど。ルディに預けたバングルが、あの救世の鍵アナスタシスだったのね。ここへ来たのは、救世の鍵アナスタシスにサロの禁書の手がかりが残されていないか調べたいってわけね」

「えっ、どうしてそれを? もしかして今、手に触れただけで記憶を読んだの?」


 レイディアは「正解」と、私の頬をサラサラと撫でた。


「えぇ、見せてもらったわ。私はこの方法が早くて好きなの」


 物や人に触れるだけで、そこに刻まれた記憶を読み取る夢読士。便利だとは思う反面、心の中を全部覗かれたのではないかと思うと、なんだか複雑だった。


「色々頼みごとがあるみたいだけど……それにしても驚いたのは、ライルがルディと暮らしてるってことよね」


 レイディアは救世の鍵アナスタシスではなく、居候の私に興味を抱いたらしい。ライルの生活状況を垣間見たレイディアは、真っ赤な口紅の塗られた艶かしい唇でにやりと笑った。


「そ、そんなことはどうでもいいだろ」

「あら、よくないわよ。だって、ライルが女の子連れ込んで生活してるんですもの。今までに一度も無かったことじゃない」

「連れ込んでって! 人聞きの悪い言い方するなっ」

「私としては嬉しい限りよ。せっかく女にモテる綺麗な顔して生まれてきたのに、本当は女に興味がないんじゃないかって、心配してたんだから」


 いつもは強気な態度で強引なライルも、レイディアの前ではたじたじ。圧倒されて反論すらできなくなっている。普段は見られない反応だけあって、とても新鮮だった。


「でも、よかったわ。これでライルが女に興味があるって判明したから」

「は、話を逸らすな! 俺がここに来たのは、救世の鍵アナスタシスを調べてもらうためだ」


 このままでは主導権をレイディアに握られると焦ったのか、ライルは慌てた様子で怒鳴った。それでもレイディアは軽く受け流し、笑ってあしらっていた。


「本当、せっかちなんだから……わかったわ、始めましょう」


 レイディアはつまらなさそうに返し、リビングに置かれたソファに腰掛けた。隣の席を手の平でポンと叩き、私を見る。


「ルディ、ここへ来て。ライルも私の傍に立って」


 やっと本題に入れる。どちらからともなく、私とライルは安堵して顔を見合わせた。

 言われるがまま私はレイディアの隣。ライルは彼女の正面に立つ。それと同時に、レイディアは右手で救世の鍵アナスタシスに触れ、左手でライルの手をにぎった。


「今から、これに刻まれた記憶を読み取るわ。ライルやルディにもその記憶が見えるようにする――それじゃあ、始めるわね」


 私とライルは同時に頷いた。小さく息を吐いて、レイディアは目を瞑る。

 救世の鍵アナスタシスを握っていた手を開き、ゆらり、ゆらりと、でるように手を左右に振った。やがてその手は白銀の光を放ち、救世の鍵アナスタシスが共鳴するように光り、震え始めた。

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