【9】残された可能性(1)

 まぶたの上がやけにまぶしく感じて目を開けた。

 カーテンの隙間から射し込んだ銀色の朝陽が、室内を白くぼかしている。まぶしさに目を細め、ぼんやりとした視界のまま辺りを見回した。


「私、眠っちゃったんだ……」


 自らそう口にして、ふと気づいた。

 ここがライルの部屋で、今横になっているベッドがライルのものであること。そこまでわかれば当然“床に座っていた私をベッドに寝かせたのは誰?”という疑問に辿り着く。とたんに意識がはっきりとした。


「そうだっ、ライルは?」


 飛び起きて部屋を見回したけれど、すでにライルの姿はなかった。


「……先に起きたなら、起こしてくれればいいのに」


 ムッとしながら、入口脇に置かれている鏡に目をやった。映り込んだ無愛想ぶあいそうな自分と目が合い、何て顔をしているのだと自らに問いながら溜息をついた。


 口を開けば馬鹿にするか嫌味を言うライルも、人の見ていないところではさり気ない優しさを見せる。こうしてベッドに寝かせていたこともそう。それが小憎らしくて、心をき乱される。

 嬉しいような、それでいてどこか憎らしいような気持ちを抱えたまま、部屋を出て2階へ向かった。すると、やけにリビングが騒々そうぞうしい。


「ライル、いい加減にしろよっ。なぜ頼ろうとしないんだ!」

「うるさいっ。誰がアイツなんかに頼るかっ!」


 朝から何事かと思えば、ライルとゼニスが言い争いをしていた。

 途中から聞いたため内容まではわからない。どうやら“誰か”に頼るかどうかということで、意見が分かれているようだった。


「おはよう。ゼニス、どうかしたの?」


 声をかけると、ゼニスは呆れ顔で振り返り、溜息をもらした。


「ルディからも言ってやってよ。好き嫌い言っている場合じゃないって」

「落ち着いてよ。一体、何があったの?」

救世の鍵アナスタシスのことだよ」


 歩み寄ってきたゼニスは私の手を掴み、はまっている救世の鍵アナスタシスを見下ろした。


「ここに鉱石が埋め込まれているだろ? こういう鉱石って、長い年月を経ると魔力が蓄積することがあってね。人の感情とか念っていうのを吸い込んで、記憶として刻み込むことがあるんだ」

「へぇ、知らなかった。こんな小さな石が?」


 救世の鍵アナスタシスがいつ作られたのかはわからない。単純に考えても、数百年は経っている。当然、吸い込んできた記憶の量も膨大。それが小指の爪ほどの鉱石に蓄積しているなんて、想像もつかない。


「もしかしたらこの鉱石に、サロの禁書に関することが記録されているかもしれないんだ。上手くいけば、手首から外す方法も見つかるかもしれないよ」

「ゼニス、それ本当なの!?」


 ゼニスの話によると、死者の魂を呼び寄せたり、物に宿った記憶を読む力を持つ【夢読士レーゼン】と呼ばれる者がいるらしい。その夢読士に、救世の鍵アナスタシスを調べてもらおうという話になったものの、ライルはその相手が余程嫌いなのか、頑なに拒んでいるそうだ。


「そんな大事なことなら、すぐにでも調べなきゃね」

「だから、僕はそう言っているのに。ライルが頑なに拒むから」


 呆れてにらみつけると、ライルは気まずそうに視線をらした。


「だから、アイツだけは勘弁してくれ……」


 先程から登場している“アイツ”とは何者なのだろう。数少ない言葉だけでは、その人が男性なのか女性なのかさえ判断できない。

 一つだけ言えることは、その存在がライルにとって不得意な相手であるということ。何事に強気に出てきたライルがいつになく逃げ腰なのだから。


「ライル、渋っている暇はないんだよ? ライルに残された時間だって永遠じゃない」


 まるで子供のように駄々をこねるライルに、ゼニスは少し厳しく言って聞かせた。

 もちろん、ライルもいい歳なのだから、それは理解しているはず。解ってはいても、生理的に受け付けない何かがあるらしい。


「ゼニスの言う通りだよ。方法があるなら試さないとね。それで、これを調べることができる人ってどんな人なの?」

「レイディア・ベルヴァータだ。この名前を聞いても、まだ頼みたいって言えるのか?」

「レ、レイディア……!」


 その瞬間、ライルが躊躇ためらう気持ちが痛いほど理解できた。

 レイディア・ベルヴァータはライルの母方の従姉で、私も何度か会ったことがある。ライルと兄弟なのではと思うほどよく似ていて、色気のある美女。


 基本的にいい人ではあるのだけど、その強引さというか暑苦しいまでの態度は、一度会うと激しく疲労感が溜まる。できれば接触は避けたいところだった。


「頼るって言ってた相手、レイディアだったのね……」

「ほら、ルディも嫌だって言ってる」


 仲間がいたと、ライルはゼニスに向って勝ち誇ったように腕を組んだ。


「でも、目の前に可能性があるなら試してみないと! ライル、我慢して頼ろうよ」

「いや、でも……」

「でもじゃないっ。我慢して調べてもらいましょ。私がついてるから!」

「うっ……わかったよ、腹くくればいいんだろ。アイツに頼ってやるよ」


 ライルは半ば自棄やけになっていた。「出かけるぞ」と、腕を引かれて3階の私室へと連れて行かれた。

 レイディアは現在、セントアデル皇国という海を越えた別の大陸に住んでいるらしく、長旅になりそうだと踏んでいたのだけど――出かけると言っておきながら、なぜかライルは部屋から出ようとしない。部屋の隅にある姿見を睨みつけながら、唸っているだけだった。


「ねぇ、ライル。出かけないの?」

「出かけるさ。だから、こうしてここに居るんだ」

「ここって、部屋じゃないの。外に出なきゃ出かけられないでしょ」

「いいからちょっと黙ってろ。あぁ……アイツに会うのか。気が乗らねぇ」


 この世の終わりにでも直面したみたいに、ライルは愚痴をこぼした。余程レイディアが苦手らしい。


「本当に会いたくないんだね、レイディアに」

「出来ることなら一生会いたくない」

「もしかして、何か嫌なことされたの?」

「そりゃあもう、数えたら切りがないくらい……!」


 あからさまに嫌悪感をあらわにして「あれも、これも。それからあれだって」と指を折って数える。過去に何かあったことは間違いないらしい。


「……ルディ、最初に言っておく。レイディアには余計なこと言うなよ」

「わかってるよ。色々話すと、厄介だから……ところで、どうやってレイディアの所に行くの?」

「鏡を渡って行く。ここへ来る時に使ったゲートの魔術と同種の術だ。まぁ、見ていろ」


 そう言うと、ライルは指をパチンッと鳴らす。その音に反応するように姿を映していた鏡が青白く光り、そこに世界地図が浮かび上がった。


「目的地、セントアデル皇国のモスコバイト」


 すると、瞬く間に地図が拡大され、セントアデル皇国を映し出す。そこから更に拡大されて、皇都モスコバイトが広がる。


夢読士レーゼンレイディア・ベルヴァータのもとへ」


 鏡に向ってそう告げると、映し出されていた地図は溶けるように消え去り、その向こう側にライルの部屋ではない“別の部屋”が映し出された。


「行くぞ」

「えっ、行くって何?」


 ライルはそれに答えることなく私の腕を掴み、そのまま鏡に向って踏み込んだ。

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