【8】4年前の真実(3)

「話は変わるけど、これから外出する時は用心して」

「一応、追跡されないような対策はしている。それ以上に何かしろっていうのか?」


 その問いに、ゼニスは今まで見せていた柔らかい笑みを消し、真剣な眼差しを向けてこくりと頷いた。


「皇帝とファローの間で何か話が進んだのか……ライル捜索について妙な動きがある。炙り出すために、大きく動くんじゃないかって噂があるんだ」

「……そうか。肝に銘じておくよ」

「本当にわかっているんだろうね?」


 と、ライルの鼻先に人差し指を突きつけて念を押す。咄嗟とっさのことにライルは目を丸くして驚いていたけれど、すぐに面倒くさそうな顔をして、紅茶を一口飲んだ。


「わかってるよ。自分の立場くらい、理解しているつもりだ」

「それならいいけど」

「いいのか? こんなところで油売ってて。城を長くあけると怪しまれるぞ」

「それなら心配いらないよ。今日はライル捜索のため城には戻らないって言ってあるから。体のことも心配だから、今日はここにいるよ。そういうことだから」


 語気を強めたかと思えば、ゼニスは力強く階段を指差した。


「今すぐ、部屋に戻って寝ること。大丈夫そうに振舞っているみたいだけど、僕にはお見通しだよ。起きているのも辛いはずだ」

「いや、それは――」

「問答無用。さぁ、戻って」


 口答えは許さんと言わんばかりに、ゼニスはきっぱり言い返す。

 ライルもそれ以上反論できなくなった。分が悪そうに席を立って、素直に私室へと戻っていった。


「ライルって、ゼニスの言うことは素直に聞くのね」


 姿が見えなくなったのを見計らって、私はぽつりとこぼした。

 同じ孤児院で一緒に育ってきたのに、私には見せない姿をゼニスには見せている。それが何だか少しだけ悔しくなって、言葉に嫌味がこもってしまった。

 もちろん、ゼニスはそういうところは鈍感だから、気づいていないみたいだった。


「私があんな風に言ったら、絶対言い返してくるのに」

「ライルが素直なのは、刻印が痛む時だけだよ。普段は耳も貸さないくらい頑固なのは知っているだろ?」


 ゼニスは困ったように苦笑いを見せて、「それが元気な証拠だから安心するんだけどね」と、独り言のように言った。


「ルディにお願いがあるんだけど、いい?」

「何?」

「しばらくの間、ライルの傍にいてあげて。僕が目を離すと、すぐ無茶するから」


 ―― ルディ、一緒に来い。必ず、俺が守ってやるから


 ライルの言葉が脳裏を過る。

 必ず守ると口にした以上、意地でも約束を守ろうとするはず。それがどんなに、自分の身を危険に晒すことになっても。ライルはそういう人だから、間違いなく無茶をする。


「あの刻印が消えるかどうかは、僕にもわからない。でも、僕も諦めたくないんだ。最後の最後まで、足掻あがけるだけ足掻あがこうと思う。ライルと一緒にね」

「最後って……?」


 ゼニスは不意に表情を曇らせる。気まずそうに視線を逸らし、一度だけ唇を噛みしめた。


「可能性として、ゼロではないから言っておくね。咎の刻印は、罪人の命を確実にうばうための呪だ。つまり、ライルにとって時間は無限じゃない」

「むしろ、少ない……のね」


 刻一刻と、こうしている間にも刻印はライルの命を削っている。

 心臓をにぎつぶされているような、息苦しさが全身を駆け抜けた。このまま止まってしまうのではないか、そんな錯覚さっかくにさえおちいる。


「だから、ライルには自分のことだけ考えてほしいんだ。でも――」


 歯切れの悪い言い方をしたゼニスは、呆れたような顔をして額に手を当てた。


「自分のことだけ考えろって言っても、聞く耳持たないかもしれない。特に、今はルディが一緒だから」

「私が?」

「あれ、気づいてないの? ライルって、小さい頃からルディのことになると無茶するっていうか。必要以上に頑張っちゃうんだけど」


 ククッと堪えるように笑って、ゼニスは小首を傾げた。含みのある言い方に思わず照れくさくなってしまった。


「そう、だった?」

「まぁ、その行動の大半が裏目に出て、ルディを困らせているだけなんだけどね」


 ゼニスは両腕を上に突き上げ、グッと伸びをして、息を吐くと同時に椅子の背に凭れた。しばらく、ぼんやりと天井を見つめ、まるで眠るみたいに静かに目を閉じた。それはどこか、天に祈りを捧げているようにさえ見えた。


「もう少し、僕の言葉を素直に聞いてくれると助かるんだけどね」

「もしかしたら、今なら聞いてくれるかもしれないわ」

「そう思う根拠は?」


 閉じていた目を開け、反動をつけて起き上がり、テーブルに身を乗り出す。不思議そうに首を傾げるゼニスに、私は不敵に笑って勢いよく席を立った。


「刻印が痛むような時は素直だって、言ったでしょ? だから、今なら聞いてくれる」


 物は試し。ゼニスをその場に残して、私は3階へ向かった。

 ライルの部屋の前に立って、躊躇ためらいながらもドアをノックする。すぐに返事はなかったけれど、少し遅れて「どうぞ」と声が返ってきた。


 のぞき込むように、そっと部屋の中を見た。ゼニスに術をかけてもらったとはいっても完全ではないみたい。ライルはベッドの上に仰向けになって、気だるそうに天井を見つめていた。


「ライル、入るね」


 おずおずと足を進めると、床がギシッときしんだ。その音に導かれるように、ライルは首を傾げる程度に顔を動かした。


「どうした?」

「ちょっと、話がしたくて」


 目を伏せたまま小さく呼吸を繰り返すライルの顔を、躊躇ためらいがちに覗き込んで、ベッドの縁に浅く座った。ギシッと音をたて、スプリングが軋む。音に合わせるようにライルは目を開けた。

 瑠璃色るりいろの瞳が、真っ直ぐに私を見つめる。見慣れた瞳のはずなのに、その時ばかりはやけに綺麗に見えて、不本意に鼓動が速くなる。


「ゼニスから話し聞いちゃってごめんね」

「そのことか……気にするな」


 溜息混じりにそう言って、ライルは少しだけ体を私の方へ倒した。

 ボタンが外れて開いた襟元えりもとから、咎の刻印がかすかに見えた。その色が青から薄らと青緑色に変化していることに気づいて、まだ胸が締めつけられる。

 この色が、ライルの命の長さを示している――言いようのない不安に駆られた。


「もう遅いから寝ろ」


 どう声をかけていいのか、わからないでいる私を心配したのか、こんな時に限って優しい言葉をかける。そのせいで言葉に詰まってしまった。


「ほら、行けよ。こんな所にいたら、風邪引くぞ」

「あのね、私……ライルに守ってもらわなくて、大丈夫だから」


 唐突にそんなことを言い出したから、その意図が読めなかったのかもしれない。ライルは怪訝そうな顔で私を見上げていた。


救世の鍵アナスタシスを外す方法も、自分で見つけてみようと思うの。ゼニスに魔術を教わって、身を守る方法も身に着けるわ」

「ルディが魔術? 無理に決まってるだろ」


 きっぱりと断言されると、それはそれでしゃくだった。魔術が扱えないことくらい、自分が一番に理解している。それでも頑張ると言っているのだから、少しくらい応援してくれてもバチは当たらないのに。


「私は真剣なの」

「あぁ、そうですか」

「だからね、ライルは自分のことを一番に考えて。それから……」


 言葉を区切り、そっと手を伸ばす。指先が行き着いたのは、ライルの胸元に刻まれた刺青。


「私ね、一緒に刻印を消す方法を探したいの」


 今の今まで、そんなことは考えていなかったのに、なぜだろう。ライルの顔を見たら、そうしたいのだと自然に言葉が出ていた。


「1人より、2人の方が早く見つかるかもしれないよ?」

「ルディが手伝うって? なんだか頼りない協力者だが、いないよりはマシか」


 力なく笑いながら、ライルは私の髪をそっと指先にからめ取る。けれど、ぼんやりと見つめるその表情が一瞬にして苦痛に歪んで、低い呻きと共に胸元をき抱いた。


「くそっ……また、痛みが」

「私、ゼニス呼んでくる!」

「ル、ルディっ!」


 切羽詰った声で呼び止め、ライルは私の腕を強く掴んで引き留めた。驚いて振り返った時、私はすでにライルの腕の中にしっかりと抱き寄せられていた。


「今だけでいい……そばに、居てくれ」

「……うん、わかった」


 すがるように抱きつくライルの背にそっと腕を回す。少しでも不安が消えるのならば――そう願いながら、その体をしっかりと抱き返した。

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